サザンオールスターズ(SAS)の桑田佳祐が食道がんであることが発表された。
初期で転移はなく、8月手術を決意。
そのため8・25ソロ・シングル『本当は怖い愛とロマンス』以外は、ソロ・アルバムと全国ツアー・年越しLIVEはいったんキャンセルとする
『桑田から
ファンへの
メッセージ』
が発表された。
同日、秋葉原のAKB48劇場ではAKB48の通算2000回公演記念を祝して、チームK「RISET」公演とメンバーである菊地あやかの生誕祭が華やかに開催された。
さらに同日8/2付けオリコンでは、写真集部門でAKBビジュアルブックがチームA B K の順で初登場トップ3を独占する、初の快挙を成し遂げた。
クワタ~!
早くLIVEに戻ってきてくれ!
そして「スタンドアリーナ元気ねぇーぞー!」「COMMON!」 と叫んでくれ。
自称ROCK&ROLLプロレスラーよ!
たしかに、桑田は夫婦ぐるみの盟友山下達郎(妻・竹内まりや)からファンを大切にと批判を受けた事もあった。
けれどROCKとPOPSを抜群のバランス感覚でこよなく愛し、実に32年間ファンに愛し愛され共に歩んできたのは事実だ。
『真夏の大感謝祭』と銘打たれた30周年記念LIVEにそれは示された。
2008年8月16日・17日・23日・24日、横浜の日産スタジアムにて、たった4日間で、その数はなんと《約30万人》!!
これは親子2世代3世代に渡るファン、年配者から子供、さらに新たなファン全員にもれなく感謝して、ひとつになってLIVEを実現するという底知れぬサービス精神と、徹底したプロ意識の賜物だった。
常にファンの視線におりたって巨大宣伝を打った。しかもこれらをやすやすと可能にする実力と自負・誇りをかねそなえてきた。
それはただの大学音楽サークルバンドだった自分たちがファンに支えられて、国民的モンスターバンドに成長できたことを明確に自覚していたからだろう。
LIVEのDVDを見るといい年の女性そして男性が一曲ごと全曲で号泣している事が分かる。
おそらく生で聴きながら、その時々の青春が、人生の一場面が、思い出がオーヴァーラップし涙がとまらないのだろう。それほどの画歴史的なLIVEだったのだ。もちろん俺も……。
桑田はデビュー時、黒柳徹子に「僕達ただの目立ちたがり屋でーす」とうそぶいたようにファンを驚かせることをいつも心から楽しんでさえいた。
驚くなかれ全員がTシャツとジョギパン一丁で。当時衣装費が出なかったのも事実。
しかし、しかしだ!
桑田さん 俺は忘れていない! あんたが『勝手にシンドバッド』でデビュー時、沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンクレディーの『渚のシンドバッド』をしゃれてもじったタイトルをばかにされ続けてきたことを。
今では代表作として疑う者はいないにもかかわらず。
”何を歌っているかさっぱり分からない大学生のコミックバンド“とばかにされ、やゆされていたことを。
同期のシャネルズ(ラッツ&スター)やツイストと比較され、バラエティー番組にひっぱりだこにされ、消耗した自分を「ノイローゼ!!」とネタにさえしたことを。
この風潮は少なくとも、
(デビュー以降の喧騒ですれ違いかねなかった原由子へのゴメンネソングとも言われる)
3rdシングル『いとしのエリー』まで続いた。俺たちはロック・バンドなんだからと、この曲をつくるまで。
初披露時、速射砲のようなボーカルを期待していたオーディエンスは見事に期待を裏切られ、スタジオのファンは水を打ったように静まりかえった。中には離れたファンさえもいた。
しかし3月から夏にかけて、ついにオリコン2位、ベストテン1位をみごと獲得。
このことの一端は3rdアルバム『タイニイ・バブルス』収録ラストナンバー『働けロック・バンド(Workin' for T.V.)』に詳しい。
クワタ・ター坊のうねるギターバトル、原坊のキーボードはエルトン・ジョンのタイニー・ダンサーのようにせつなくまた激しく、そして圧巻はクワタのむせびなくボーカル。ハラ坊の黒いソウルフルなコーラス。
けた違いなザクワタバラッドの名曲の一つ。日本ポップス史上比類ない曲づくり、作詩センスを感じさせる。
俺たちは一体いかなる存在であり、いかにあるべきかと考えただろう事を想像すると泣けてくる。
そして2005年6/25のデビュー25周年でシングル44曲をリマスターしたSASは、オリコンディリーTOP50内を独占。翌週もウィークリーチャート100位以内に44枚の全シングルを一挙に同時にランク・インさせた。
『TSUNAMI』にいたっては293万枚を売上。オリコン歴代シングル売上3位、シングルCDとしては現在単独第1位を記録している。
そしてかの『勝手にシンドバッド』が断トツの第1位をかっさらった。デビューから25年後の2005年ーこの日、歴史はあたかも灼熱の太陽さながらに、彼らの頭上で満面の笑みを浮かべて、勝ち誇ったかのように微笑んだのだ!!
このことは彼らがつねにファンと真正面から真剣に向きあってきた証に違いないと俺は、思う。
クワタ~!
「お前の描いた詩は 俺を不良くさせた」
(8thアルバム『KAMAKURA』所収『吉田拓郎の唄』から)。
ゆっくり静養して、でも早く元気になってくれ!!
原坊の『京都物語』も巨弾だったぞ。
「お前が目の前にいるならいい
ステキな今宵を分け合えりゃあ
また逢えるまでは
この時を
忘れないでいて」
『旅姿六人衆』から
そして
さらなる
AKB48の怒涛の展開が
始まる!!
日本映画ベスト5はまた別の稿で。
初期で転移はなく、8月手術を決意。
そのため8・25ソロ・シングル『本当は怖い愛とロマンス』以外は、ソロ・アルバムと全国ツアー・年越しLIVEはいったんキャンセルとする
『桑田から
ファンへの
メッセージ』
が発表された。
同日、秋葉原のAKB48劇場ではAKB48の通算2000回公演記念を祝して、チームK「RISET」公演とメンバーである菊地あやかの生誕祭が華やかに開催された。
さらに同日8/2付けオリコンでは、写真集部門でAKBビジュアルブックがチームA B K の順で初登場トップ3を独占する、初の快挙を成し遂げた。
クワタ~!
早くLIVEに戻ってきてくれ!
そして「スタンドアリーナ元気ねぇーぞー!」「COMMON!」 と叫んでくれ。
自称ROCK&ROLLプロレスラーよ!
たしかに、桑田は夫婦ぐるみの盟友山下達郎(妻・竹内まりや)からファンを大切にと批判を受けた事もあった。
けれどROCKとPOPSを抜群のバランス感覚でこよなく愛し、実に32年間ファンに愛し愛され共に歩んできたのは事実だ。
『真夏の大感謝祭』と銘打たれた30周年記念LIVEにそれは示された。
2008年8月16日・17日・23日・24日、横浜の日産スタジアムにて、たった4日間で、その数はなんと《約30万人》!!
これは親子2世代3世代に渡るファン、年配者から子供、さらに新たなファン全員にもれなく感謝して、ひとつになってLIVEを実現するという底知れぬサービス精神と、徹底したプロ意識の賜物だった。
常にファンの視線におりたって巨大宣伝を打った。しかもこれらをやすやすと可能にする実力と自負・誇りをかねそなえてきた。
それはただの大学音楽サークルバンドだった自分たちがファンに支えられて、国民的モンスターバンドに成長できたことを明確に自覚していたからだろう。
LIVEのDVDを見るといい年の女性そして男性が一曲ごと全曲で号泣している事が分かる。
おそらく生で聴きながら、その時々の青春が、人生の一場面が、思い出がオーヴァーラップし涙がとまらないのだろう。それほどの画歴史的なLIVEだったのだ。もちろん俺も……。
桑田はデビュー時、黒柳徹子に「僕達ただの目立ちたがり屋でーす」とうそぶいたようにファンを驚かせることをいつも心から楽しんでさえいた。
驚くなかれ全員がTシャツとジョギパン一丁で。当時衣装費が出なかったのも事実。
しかし、しかしだ!
桑田さん 俺は忘れていない! あんたが『勝手にシンドバッド』でデビュー時、沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンクレディーの『渚のシンドバッド』をしゃれてもじったタイトルをばかにされ続けてきたことを。
今では代表作として疑う者はいないにもかかわらず。
”何を歌っているかさっぱり分からない大学生のコミックバンド“とばかにされ、やゆされていたことを。
同期のシャネルズ(ラッツ&スター)やツイストと比較され、バラエティー番組にひっぱりだこにされ、消耗した自分を「ノイローゼ!!」とネタにさえしたことを。
この風潮は少なくとも、
(デビュー以降の喧騒ですれ違いかねなかった原由子へのゴメンネソングとも言われる)
3rdシングル『いとしのエリー』まで続いた。俺たちはロック・バンドなんだからと、この曲をつくるまで。
初披露時、速射砲のようなボーカルを期待していたオーディエンスは見事に期待を裏切られ、スタジオのファンは水を打ったように静まりかえった。中には離れたファンさえもいた。
しかし3月から夏にかけて、ついにオリコン2位、ベストテン1位をみごと獲得。
このことの一端は3rdアルバム『タイニイ・バブルス』収録ラストナンバー『働けロック・バンド(Workin' for T.V.)』に詳しい。
クワタ・ター坊のうねるギターバトル、原坊のキーボードはエルトン・ジョンのタイニー・ダンサーのようにせつなくまた激しく、そして圧巻はクワタのむせびなくボーカル。ハラ坊の黒いソウルフルなコーラス。
けた違いなザクワタバラッドの名曲の一つ。日本ポップス史上比類ない曲づくり、作詩センスを感じさせる。
俺たちは一体いかなる存在であり、いかにあるべきかと考えただろう事を想像すると泣けてくる。
そして2005年6/25のデビュー25周年でシングル44曲をリマスターしたSASは、オリコンディリーTOP50内を独占。翌週もウィークリーチャート100位以内に44枚の全シングルを一挙に同時にランク・インさせた。
『TSUNAMI』にいたっては293万枚を売上。オリコン歴代シングル売上3位、シングルCDとしては現在単独第1位を記録している。
そしてかの『勝手にシンドバッド』が断トツの第1位をかっさらった。デビューから25年後の2005年ーこの日、歴史はあたかも灼熱の太陽さながらに、彼らの頭上で満面の笑みを浮かべて、勝ち誇ったかのように微笑んだのだ!!
このことは彼らがつねにファンと真正面から真剣に向きあってきた証に違いないと俺は、思う。
クワタ~!
「お前の描いた詩は 俺を不良くさせた」
(8thアルバム『KAMAKURA』所収『吉田拓郎の唄』から)。
ゆっくり静養して、でも早く元気になってくれ!!
原坊の『京都物語』も巨弾だったぞ。
「お前が目の前にいるならいい
ステキな今宵を分け合えりゃあ
また逢えるまでは
この時を
忘れないでいて」
『旅姿六人衆』から
そして
さらなる
AKB48の怒涛の展開が
始まる!!
日本映画ベスト5はまた別の稿で。