選択の不可抗力 | 社会福祉法人を退職して 「独り社会福祉士」を目指す 福祉系サラリーマンのブログ

社会福祉法人を退職して 「独り社会福祉士」を目指す 福祉系サラリーマンのブログ

独立型社会福祉士(フリー・非登録)としての開業を目指す某社会福祉法人サラリーマンの奮闘日記! これまでのキャリアや今後の展望を綴ります。
最終的には事業開設し、場所も氏名も公開する予定! 読者皆様に育ててもらい成長したい!

そんな事って、あるのかい?



って言う話なんですよね真顔






福祉の支援をしていると



支援者の間では



どー考えても選ばない選択肢を



利用者さんが選ぶ事がありますよねちょっと不満






僕ら支援者が出来るのは



最終的に選ぶのはご本人の前提で






可能な限りの選択肢を



説明責任を果たす範疇で提示して






ご本人の選択を尊重すること



選択の中で愚行権を容認すること



こんなとこかなぁと知らんぷり






けれども例えば



その利用者さんの選んだ結果



結局は利用者さんも



後から不利益を被ったみたいな



そんな顛末になった時に






支援者の中で、その利用者さんに対し



「利用者さんも事情があったんだ」



「この選択は仕方なかったんだよ」



みたいに言う支援者がいまして凝視






僕はその時、そんな話を聞いていて






なんで同情してるの?


何の立場で言ってらっしゃるの?







そもそも僕は



障害の有無に関わらず



自分の選択の責任は



基本はご本人にあると思っていて真顔






当然、知らないモノは選べないし



障害の特性上、理解が難しい選択肢は



その方の能力で選ばない事は



あるかもしれませんネガティブ






けれども利用者さんの選択の責任が



例えば支援者に降りかかるみたいな事って



あり得ますかぁ?驚き






もう一度、申し上げますが



選択肢を十分に用意しなかった



或いは



有益な選択肢が支援者によって



提案されなかった






これなら支援者側の責任が生じても



納得はできるのですけれども






十分なアカウンタビリティの下で



選択された顛末の責任が



支援者にあるとはどーしても思えない凝視






だから例え



障害者や福祉の対象者であっても



選択する以上は、その責任は本人にある



僕はそう思うのです凝視






これってきっと



賛否両論ですよねー無気力



ケースバイケースでしょうし無気力



けれどもこの国において



「選ぶしかなかった」



と言って情状酌量してもらえる事って



どの位あるのかなぁって



僕はあまり



そーゆー意味での優しい世の中に



触れる事ができた経験がないのです悲しい



この自己選択って事については



世の中は厳しいモノだと



世の中は冷たいモノだと



そう思っているのですよねちょっと不満



擦れてますかね?泣き笑い