息子と私の恩人~元園長のこと~ | 笑顔をもっと❤️23週生まれの息子❤️

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2015年に23週562gで男の子を出産しました。

在宅酸素、経管栄養を経て、3歳手前で保育園入園。2021年春に年長さんになりました! 2022年4月から小学生です!

6つ上にお姉ちゃんがいます!!

 

    

23週 562g生まれの息子

3年間通っていた保育園の元園長には

実は7年間お世話になりました。

息子と私の人生にとって、

最大の恩人です。

 

 

 

 

 

3月31日、3年間通った保育園の最終登園日でした。

担任の先生に挨拶をした後、事務室にもお礼を伝えに行きました。

事務室の奥には、息子が生まれたときに園長先生だった先生(元園長)がいました。現在は園長を引退されています。

 

7年前、

妊娠10週頃→切迫流産で入院してしまい仕事ができなくなってしまったことを知った行政が、年長の長女に保育園退園の連絡がきました。(この保育園は息子がこの春に卒園した保育園です)

母親の私は入院中、父親は単身赴任中でした。祖父母がいるので、退園して、小学校入学まで自宅で過ごすか、幼稚園を探してください。と。

そんな通達を受け、病室のベッドで途方にくれました。

 

そんなときに、当時園長だったこの先生(元園長)が、”保護者の就労→保護者の病気” での保育園の継続を協議してくださり、長女のあと半年の保育園生活を守ってくれました。

(通常、登園条件に変更がある場合は、『1度退園し、また入園手続きをしなくてはいけない。その期間1・2か月かかります』と役所からいわれましたが、元園長先生が協議してくださいました)。

(また、行政からは、出産予定日が10月だったので、出産後は、保育園への登園条件に当てはまらなくなるので退園してもらう。とも言われました。役所はどこまでも事務的な対応でした。)

 

そんなことをしている間に、切迫早産になり、私はMFICUのある病院に転院。長女を見てくれていた祖父母は、この保育園とこの元園長先生にどれだけ助けられたか。母親も父親も不在になり、祖父母と過ごしていた長女も、継続でき精神的に安定できたと思います。

息子出産後は、息子が入院→家族の介護 という名目で、長女の登園許可がおりました。

 

 

出産後、

私たち家族が、息子の早産に悲しみ、自分たちを責めていたときにも、元園長は『一つのちいさな命が、誕生し、その命が生きようと頑張っている。なんと輝かしい素晴らしい命だ』とはなしてくださいました。

『息子君は、大丈夫。今も保育器の中で成長しているんだよ』『小さく生まれた子を何人もみてきたよ。息子君は成長するよ』と会うたびに声をかけてくれました。

 

 

 

長女が卒園したあと、私は、結果的にこの保育園と元園長先生に大変な迷惑をかけてしまったという後ろめたさから、しばらく保育園にも元園長にも顔を見せずにすごしていました。今はとても後悔してます。

 

4年半前、

息子が2歳半になったころ(2年も挨拶もせずにすごしていたのですね)、

ふと時間ができて、むすこを連れて保育園にあいさつにいきました。

 

この時、息子はようやく伝い歩きを始めたころで、言葉は1語文、在宅酸素卒業したところでしたが、経口摂取はできず、経管栄養で医療ケアが必要な状態でした。

 

経管栄養をしていて、年齢よりもこんなに発達がおくれていたら、保育園生活は無理だし、なにより、早産してしまった私が責任をもってどうにか育てていかなくてはと思っていました。仕事をすることもあきらめていました。

 

そんな私に、『なにを言っているんだ。経管栄養があったってうちの保育園は受け入れるよ!!なんで相談してくれないんだ』『お母さん一人で育てなきゃなんておもっていたらだめだ。子供は社会に出て子供たちのなかで育つんだから。お母さんがひとりで背負い込んでどうするんだ。』『そのうち子供は巣立つのに、母親は母親の人生を大事にしなくちゃいけないよ』『今までのキャリアがあるのだから』『入れるかどうかは役所がきめるが、入所申請を出さない限り、絶対に入れないんだよ。』『息子君の可能性をひろげてあげようよ』

 

その日は、翌年度入園の申請締め切りまであと数日でした。

そのまま役所にいき、申請書類を受け取り、翌日に保育園申請を提出しました。

 

そこから、たまたま、私の経歴を生かせる求人をみつけ、すぐに内定をもらい、最終的には内定者として保育園申請をすることができました。

 

そのあとも、『入園前でも、保育園に遊びにおいで!少しの間なら、同学年の子供たちと遊べるよ』と言って下さり、何度か保育園に遊びにいっていました。その数十分の交流のなかでも息子が周りの子の真似をしてできることが増えていくのを実感しました。

 

4年前、

結果的には、この保育園は落ちてしまい、系列の小規模保育室に入園がきまりました。

その時は、小規模保育室にきまったことはとても残念におもいましたが、結果的に、この保育室がとても素敵な保育室で、息子はたくさんの愛をうけ、保育園生活をすごすことになります。

 

3年前、

小規模保育室は3歳時までの保育室でした。改めて、保育園申請を提出し、小規模保育卒園加点、両親フルタイム勤務の加点の末、

今の保育園に入園となりました。

保育園での3年間でも、行事の度に息子の成長を喜んでくださり、育児や生活、就学についてもいつも温かく心強い言葉をかけてくださいました。

いつまでもうじうじ悩んでいる私に『もういい加減覚悟をきめなさい。息子君を社会に送り出すんだよ』『大丈夫、かならず成長するから。息子君のタイミングで。』と。

 

なんど振り返っても、息子の出生、入園申請、就職、息子の成長、現在は、この元園長先生との出会いから始まっていると感じます。この先生がいなかったら、、、この先生の言葉がなかったら、、、まったく違っていたでしょう。

 


昨日、

登園最終日、元園長のところに挨拶にいきました。

だけど、顔を見た途端、涙しか出てこなくて、なにも言えなかった。泣くとは思っていなかったのに、涙しか出なかった。

元園長先生は『息子君と、あなたたち家族に出会えてよかったよ。ありがとう。素敵な出会いに感謝しています』『何かあればいつでも

きてください。まってます』といってくださいました。

全部元園長のおかげなのに。

暖かく、ありがたい言葉に、涙が止まらず声もでませんでした。

 

息子は本当に出会いに恵まれている。と改めて感謝しました。この出会いは一生の宝物にしたいです。