無事に?!
と書いたのは、ほんとは無事にじゃなかったんだと後から知ったから。
息子は、出産から退院まで、NICUに約3ヶ月、GCUに約3ヶ月入院していました。
半年もの間に、主治医から母親の私に、『息子が危ない』『ココを乗り切らないと命に関わる』というような話はほとんどありませんでした。
『緊急時にはお母さんの携帯に電話しますね』という説明も受けてたが、緊急の電話はきたこともありませんでした。
出産直後に、まずは3日生きられるかどうか、そのあとは、1週間生きられるかどうか
という説明はもちろん聞きましたが、
その3日間にも、次の1週間にも
『危ない』だとか、
『こんな(大変な)エピソードがあってこう対処しました』とかそーゆー話はなくて、
私はてっきり『息子は大きなエピソードなく3日間を乗り切った!』と思ってたし、看護師さんにも主治医の先生にも『3日間すぎましたね!次は1週間ですね。またなにも大きなエピソードがありませんよーに!!』なんて話してた。
しかし
退院時に主治医の先生がポロリともらしたのが、
『何度も「危ない。」「もうダメなのか」「帰ってこい!!」』って思いながら過ごしたけど、こうして退院の日が迎えられて良かった』
という言葉
私が『え?!先生、そんなことあったの?!電話もかかってこなかったし、そんな話ほとんどしてなかったじゃないですかー!』
と聞くと、
『お父さんには何度か話しましたけどね。お母さん、聞いてないんですか?お父さんの強さですね』
と言われました。
パパに聞くとパパは何度か主治医から、『今は危ない』『今後の予後について』などなど話されていたようです。
思い返してみると、息子面会時に主治医から
『呼吸がだいぶ苦しそうで呼吸器の設定を変えました。今は落ち着いて寝れているみたいでよかったですね』
とか、
『また抗生剤を増やしましたが、抗生剤良く効いているみたいですね!これが効かなくても別なお薬もありますから』
とか、
受付の時点で、息子くんが処置中で入れません。と面会を待たされたり。
そーゆーの、が、『ソレ』だったのかな。。
主治医に、そう問いかけると『だって、お母さん、ストレートに報告すると、お母さんが死んじゃいそうでしたから』
と言われました。
先生や看護師さんたちは、私の弱さを見て、前向きな前向きな説明の仕方をしてくれていたんだと、退院時に知りました。
それから、息子の危機や、怖い話を一人で受け止めて、私に漏らさずに、病んでいる私を励ましていたパパの『息子を信じる強さ』『私をかばう強さ』を感じました。
『私、『息子すごい!!』なんて思ってたけど、息子は、ほんとはほんとはいっぱいの危機を乗り越えていたんですよね。そーですよね。そーだよね。』
と先生に言うと、『23週産まれて何にもないわけないじゃないですかー。まったくお母さんはほんとに天然ですね』
と笑って言われました。
改めて、息子、頑張ってたんだね。すごいね❤️
すごい なんて言葉じゃ表せないよ。
ほんとに奇跡なんだね❤️
なので、私、息子の本当の危機を詳しく知らないのです。でも、覚えている範囲でどんなことがあってどんな風に乗り越えて退院の日を迎えたのか、少しずつ書いていきたいと思っています。