(第5回)坂もトラウマ
先日、三ノ宮に出かけた時、「ふっ」と、思い出した。
阪神淡路大震災が起こったのは、一月の寒い日の早朝であった。当時二十五歳で会社勤めだった僕は、
「若い肉体を生かしてボランティアに行くべきだ」
と、会社の義援金募集を断った。上司達は、余震もあるみたいだし危ないぞ、と反対したが、なにともゆわばいえ、
「わがなすことはわれのみぞしる」ぜよ。
震災は確か月曜日に起こった。僕が、仲の良かった体育会系同僚「ナル」を連れて神戸に向かったのは、会社が休みに入った土曜日である。前日の情報では、地震発生から五日経った神戸では、食料や飲料水は充分補給されているが、トイレットペーパーや女性の生理用品などが不足している、とのことだった。僕とナルは、恥ずかしいのを我慢して、コンビニで大量のトイレットペーパーとナプキンを購入して、神戸に向かった。リュックは膨れ上がっていたが、軽かった。
阪急電車で行ける所まで行き、西宮北口駅で降りると、そこは大きな荷物を抱えたボランティアや被災者身内の人々でごった返していた。
僕とナルは、とにかく、一番被害の大きい長田区まで行ってボランティアをしようと、西を目指して歩きに歩いた。が、トラウマになりそうな瓦礫の中を、方々道に迷いながら歩いたため、三ノ宮にやっと辿り着いた頃には、とっぷりと日が暮れていた。
長田区まではまだ遠いが、足が棒のようで、僕もナルもボランティアできるような状態ではなかったので、三ノ宮で野宿することにした。
当時の三ノ宮の光景は今も忘れられない。真っ暗で人けのない都会ほど無気味なものはない。僕達は崩れかけたビルを避け、何とか風の当たらぬ所を探し、新聞紙をかぶってナプキンを枕に寝ようとしたが、一月のこと、寒いのなんの…。
腹も減るは、ナルは「ウンコしたい」とまでいい出し、幸いトイレットペーパーは沢山あったので、どこかの茂みで野グソしたようだが、とにかく、二人とも夜中を過ぎても一睡も出来ない上、寒さにやられて発熱してしまった。
相談の結果、情けない話だが、朝を待たずに京都に帰る事にした。
西宮に帰るより、神戸電鉄有馬線の鈴蘭台駅の方が近かったので、そこを目指すことにした。(電車は西宮か鈴蘭台までしか走っていなかった)
地図で見ると7~8キロに見えたが、その道のりは六甲山地の急な上り坂で、おまけに冷たい雨が滝のように降り始め、僕もナルもずぶ濡れになって、ミイラのような顔で暗い山道を歩いた。トンと押されればガクっと膝をついてしまいそうなくらいに体力を消耗し、この辛い坂道もトラウマとなって残ってしまうのではなかろうかと思ったその時、ふと一台の車が僕らの目の前で止まった。
「どこまで行くん?」
と、その人はいった。
鈴蘭台まで送ってもらう車の中で、その人とそのお連れさんが、
「パンあるけど食べるか? コーヒー飲むか?」
と、いろいろ親切にしてくれた。
あの時ほど、人情の有り難みを感じたことはない。
僕とナルは、その時食べたぶどうパンの味を一生忘れないであろう。
結局、僕らが神戸に残したものは野グソだけであったが、得たものは大きかった。
2002年1月16日号掲載

坂本竜馬
土佐藩出身の幕末の志士。薩長同盟締結を仲介、大政奉還を成功させる。
| 追記・・・坂もトラウマ = さかもとらうま = さかもとりょうま = 坂本竜馬…。この話はナルの結婚式でもして、たいそう喜ばれました(笑)。ただ、実際に震災にあった神戸の方にしたら、「残したものは野グソだけ」というジョークが全く伝わらず、ひんしゅくをかいました…(汗) |
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