大学生活の四年間は、勉学よりも吹奏楽部の活動一色だった。魅力的な先輩後輩たち、同期の仲間たちと濃密に過ごすことができて、夢中になれることに出会えて、本当に実り多き楽しく幸せな四年間だった、・・と、思い込んで、自分がそういうものに創り上げたかっただけなのではないか、と考え始めたのは、最近のことだ。三十年以上たった今になって思い出すのは、その頃の辛かった経験のほうが多いのである。
真剣に演奏する先輩の姿や、穏やかで気さくな雰囲気に惹かれて入部したが、同期の面々は個性の強いタイプが多く、衝突を避けたくて自分の考えに蓋をしたまま周りに合わせてふるまっていた。仲良くしたい、誰にでも良いところがあるという考え方に執着があったのか、理不尽な目にあっても、相手を悪く思ってはいけないと思い込んでいた節もあった。
楽器の上達が思うようにいかなかったのは仕方がない。それよりも思い浮かんでくるのは、当時の自分が言われた厳しいあの言葉、仲間をダメな奴呼ばわりする輩。何もできない自分の無力さに何度も落ち込んだ。あの一種独特の心地よくはない雰囲気は、自分にとっては、冷たく厳しい荒海でもあったのだと改めて認識したことに、驚いている。
その海に入ると決めて飛び込んだのは自分で、途中辛くてもやめようと思ったことは無かった。ギスギスした人間関係の荒海の中で、バラバラになりかけた舟と舟をつなごうと必死にもがいていたのだ。自分の舟は傷んでボロボロになったが、転覆もせず、もがき続けながらも何とかバランスをとっていたことに思い至る。その力だけは、しっかりついたのではないか。自ら挑んでついたその力は、人生において既に自分の一部になっている。過去の出来事の意味が変容したその先で見えたものを、今、心の両掌に大事に受け止めている。
太くなった幹の年輪は外からは見えない。季節がめぐって芽吹いた新芽は、昨年のものと違う愛おしさをまとっている。