大学生活の四年間は、勉学よりも吹奏楽部の活動一色だった。魅力的な先輩後輩たち、同期の仲間たちと濃密に過ごすことができて、夢中になれることに出会えて、本当に実り多き楽しく幸せな四年間だった、・・と、思い込んで、自分がそういうものに創り上げたかっただけなのではないか、と考え始めたのは、最近のことだ。三十年以上たった今になって思い出すのは、その頃の辛かった経験のほうが多いのである。

 真剣に演奏する先輩の姿や、穏やかで気さくな雰囲気に惹かれて入部したが、同期の面々は個性の強いタイプが多く、衝突を避けたくて自分の考えに蓋をしたまま周りに合わせてふるまっていた。仲良くしたい、誰にでも良いところがあるという考え方に執着があったのか、理不尽な目にあっても、相手を悪く思ってはいけないと思い込んでいた節もあった。

 

 楽器の上達が思うようにいかなかったのは仕方がない。それよりも思い浮かんでくるのは、当時の自分が言われた厳しいあの言葉、仲間をダメな奴呼ばわりする輩。何もできない自分の無力さに何度も落ち込んだ。あの一種独特の心地よくはない雰囲気は、自分にとっては、冷たく厳しい荒海でもあったのだと改めて認識したことに、驚いている。

 

 その海に入ると決めて飛び込んだのは自分で、途中辛くてもやめようと思ったことは無かった。ギスギスした人間関係の荒海の中で、バラバラになりかけた舟と舟をつなごうと必死にもがいていたのだ。自分の舟は傷んでボロボロになったが、転覆もせず、もがき続けながらも何とかバランスをとっていたことに思い至る。その力だけは、しっかりついたのではないか。自ら挑んでついたその力は、人生において既に自分の一部になっている。過去の出来事の意味が変容したその先で見えたものを、今、心の両掌に大事に受け止めている。

 

 太くなった幹の年輪は外からは見えない。季節がめぐって芽吹いた新芽は、昨年のものと違う愛おしさをまとっている。

 

 

 

 毎朝、味噌スープを飲むのが習慣になったのは、今年の春先からだった。慌ただしい朝でも、だし粉末と味噌、ほんの少しのショウガ粉末と乾燥ワカメにお湯を注げば、美味しい味噌スープができる。ポイントは、丁寧につくられた、よき材料を選ぶことだと友人は勧めてくれた。試してみると、朝冷えた体は温まり、胃腸に優しく沁みて、毎朝の楽しみになった。

 

 最近、書店で惹かれて購入した「だしの本」には、昆布、かつおぶしなどを中心に「だし」の素晴らしさが語られていた。スープだけでなく、塩入りのだしでご飯を炊いて握る「だしむすび」は絶品だと書いてある。

 早速炊いて、ふっくら大きなおむすびを作り、海苔を巻いて頬張った。最初は物足りないような気がしたが、目を閉じて数秒待って、その一口を口の中で確かめるようにゆっくり噛んでみると、じわりとかつおだしの味がやってくる。塩味が、ご飯の甘味を一層引き立てていた。そこで改めて気が付いた。日頃、味覚がすっかり「口に入れてすぐにわかるもの」を「味」として認識しがちだったのだ。味を知りたい、味わってみたい、と向き合わなければ、いつも素通りするのは簡単なことだったのだ。

 

 言葉の意味を味わうのも同じかもしれない。すぐにわからなくていい、向き合って味わってみようとする、待ってみる。簡単なようで難しいけれど、感知できるちからを磨き続けていくのは大切なことのように思えた。

 味わう「だし」は、例えるなら、人の作り続けてきた熱量のようなものだろうか。手間をかけたものの存在をいつも傍らに感じていたい。

 今は、だし粉末とお湯の代わりに、作りおいた昆布だしを、朝の味噌スープに注いでいる。今度は味噌も、簡単なものから手作りして味わってみたい。

 

 

 

 

  数年前あるワークショップで描いた抽象画がある。海辺の乾いた砂地のような石膏の凹凸面の画材地に、色を自由にのせて広げるインクアートの体験で、瞑想を経て内面とつながる貴重な時間でもあった。好きな色のグラデーションは楽しかったが、いくつも色を重ねると濁ってしまい、くすんだ暗い色合いになる。消すことができないから仕方がない、と残念な諦めに近い気持ちになっていた。

 最近、その絵と向き合ってしばらく感じ入ってみると、意外にも、濁った色の重なった部分に親しみがわいた。深い濃茶飴色も、苔のような深緑褐色も妙に味わいがある。色を重ね続けた試みがここにあるのだ。

 同時に、過去の人間関係での自分の行動や言動に、情けなさや恥ずかしさが先立つ出来事を思い出した。消えない汚点、と受け入れはしたものの固まったままだった。当時は周りに気を遣い過ぎ、自分を抑えていたのだろう。課題が見えれば進んで動き、力んで何度も空回りしていた。そんなふうにもがいていた頃の自分が、絵の中の濁った深い色合いと重なった。無かったことにしてよいはずがない。消えない試みの証が土台としてあって、今の自分が居るのではないか。

 

 ここに過去の自分がいたら、今の自分は、どう声をかけてあげられるだろうか。

「よく頑張ったね。あなたは真摯に向き合って考え抜いて行動した。自分に向き合い続けたから、少しずつ本来の自分に近づいていけたのだと思う。ありがとう!」心から感謝を伝えて、抱きしめてあげたい。

 自分の川底に沈みこんだ砂土に、手を深く差し込んですくい上げてみたら、思いがけず大きな泥の塊が出てきて、その中に発芽した種をみつけたような感じである。自らの手で意味をすくい上げる。心情という水の流れは絶えず変わり続けていく。

 

 

 

  

二十年前、子ども達が通っていた幼稚園にはヤギがいた。各クラスにはカメやウサギもいて、畑もあって、ログハウスのような園舎は風通しも居心地もよかった。

 そんなのびのび幼稚園には、親達の保護者会活動のために当時の園長先生が用意してくれた広い畳の部屋があった。任意のクラス会などが開かれており、『子ども達と同じように、親達も「はじめまして、よろしくね」と、関わり合って成長していきましょう』という園の趣旨を聞いたときには少し驚いたが、なるほど、と目が開くような新鮮な心持ちになった。

その保護者会主催で行われる秋祭りの話し合いが始まったとき、まず、園側から開催の可否について「今年はどうしますか?」と問いかけがあった。ほとんどの親は面食らう。毎年恒例なのだろうし、どうせやるんでしょ、と思っている人が大半だからだ。

問われて初めて考える。「開催しない、という選択肢もあるのか・・」「そもそも何のために開催するの?」はじめて問いが浮かんでくる。

 開催が決まり、今年の方針を話し合う。少しずつ「みんなで協力して、自分達の手で秋祭りをつくっていこう」という気持ちが高まってくる。子育て真っ最中の親達にとって、過度な負担はもちろん避けたいところだが、経験者を中心に知恵を出し合い助け合う空気が生まれ、「できる人ができることをやろう」「準備も無理のない程度にしよう」ということになっていった。最初は戸惑って疲労感もあったが、時間をかけて理解し合い、お互いの程よい距離感も少しずつ学んでいったと思う。関わり合いの中での成長経験として貴重なものだったと、今となっては懐かしい。

 

 実は子ども達も日々同じような経験をしていた。人と人との関わり合いを肌で覚えていく大事な時期だ。先生方は、いつも柔らかいまなざしで、懐深く見守ってくれていた。年長さんが積極的にヤギの世話をするのも、夏のお泊りで配膳や五右衛門風呂の薪の準備などの分担を各自が率先してやるのも、子ども目線の話し合いや先生との信頼関係の賜物なのだった。

 

 意味を考えることは、一度立ち止まらないとできない。やらなきゃいけないものだ、という思い込みに囚われていることにさえ気が付きにくい日常のなかで、問いかけをもって立ち止まらせてくれたこと、そして先生方が親子一人一人に対して敬意をもって接し続けてくれたことには、本当に頭の下がる思いがする。

 今になって、人の集まる場で何かものごとを決めるような場面に出会うと、幼稚園のことを思い出す。多種多様な人々の意見はまとまりにくくても、「何のためにやるのか?」と原点に立ち返ってみると、話し合いもゆるやかに川のように流れ出すことがある。

 立ち止まって考えたり問いを持つことは、自分の土壌を耕し続けるようなものだと思う。育ててもらった大事な根っこは枯らしてはいけない。そこから水や養分を吸い上げ続けたい。

 

 

「土からの(いざな)い」

 

 長い間放置していた小さな庭の一部を、業者に整えてもらうことにした。家の周りを心地の良い場にしたい、植物と向き合って手入れすることにも慣れていきたい。今まで、何からどうして良いかわからず途方に暮れていた庭の、仕切り直しができそうで嬉しかった。  

 雨が降ると水浸しになっていた足元をレンガ敷きにして、その向こうの地面は一部の草木を掘り起こし、土壌改良をしてもらった。自分でも、玄関先の花壇の土を入れ替えて、初心者向きの花苗を買ってきて植えた。

 

 日がよくあたる場所は少しだけれど、プランターにミニトマトと小ネギの苗を植え、枝豆の種も蒔いてみた。ある程度土を入れたところで、十本の指を差し込むようにして土の中を少し密に固めていく。ふと、土の上に手を開いて置いてみた。手のひら全体が土の表面に吸い付いていく。なんて気持ちが良いのだろう。土を握ってみる。新鮮なのに、なぜか懐かしい。手のひらから何か余分なものを吸い取ってもらっているような、新鮮な感覚だった。

 

 数日後、大雨のあとのプランターが気になって夜の庭へ出た。突然、足元から土の塊が、びょんっと三十センチほど先へ動いた。驚いて恐る恐る見てみると、握りこぶしぐらいの大きさのヒキガエルだった。ゴツゴツとしたイボ状の皮膚表面が、海岸の岩場のように濡れ光っている。庭でヒキガエルを見たのは初めてで、あまりの驚きにしばらく見入っていた。艶のある黒い目で姿勢よく夜空を見上げている姿は、美しくて息をのんだ。

 この小さな生きもののおかげもあって、庭へ出る気分が今までと全く違ったものになった。庭の番をしてくれているのかもしれない彼が棲むところを、せめて木や植物が育ち、風が通り水が循環する、生きた場にしたい、という思いが膨らんだ。

 

 強い雨に耐えてしっかりと根を張り始めたミニトマトは、硬い毛で覆われた茎芽の中から小さな黄色い花を咲かせた。土を持ち上げて出てきた枝豆の萌黄色の芽や、伸びてきた産毛だらけの柔らかい葉は、生のよろこびにあふれているようだった。小さなプランターの中で日々ものすごいことが起きている。彼らからの伝言をこれからも受け取り続けたい。

 

 玄関先の花たちは、仕事に出かける夫や娘を微笑みながら送り出してくれている。共に暮らす仲間が増えたことで、水やりも、よろこびの「しごと」になった。

 こちらが手をかけて育てているつもりだったが、自分のほうが、眠っていた種を育ててもらっているのかもしれない。