今回は道を歩いているときに思っていることを伸べたいと思います。
最近、というよりも携帯電話が普及した頃から何かを見ながら
道を歩く人が増えてきています。
さらに、携帯ゲーム機やポータブルDVDプレイヤーが大人にまで
普及するようになってからはその人口はさらに増加傾向にあります。
皆さんもつい何かを見ながら歩いてしまうということがありませんか?
今回はそのことについてやったことがある、或いはやっている方々に
対してやめて欲しいなぁ、という私の意見を述べます。
最近の日本人は公共の場を公共の場として認識できなくなって
きているのではないかと思います。
公共の場とは不特定多数の人が利用する場所、つまり言い換えれば
人の迷惑になるようなことは慎みながら活動する場所と言えます。
公共の場であるという認識の欠如するところ、大勢の人が歩いている
道や乗り換え駅の構内などで平然と携帯などに注視して周りの人の
歩く速度を無視してふらふらと右へ左へ歩いて多くの人に迷惑をかける
行為が平然とできるようになってしまったと思います。
別にちょっとふらふら歩くぐらいいいじゃないかと思う人も居るでしょう。
いやいや、そうはいきません。
そうやって考えるあなた一人の行為で大勢の人が迷惑するのですかr。
公共の場での慎みという精神があったころの日本人であれば
他人の迷惑になるという言葉だけでも多少は意識改善の効果が
あったと思いますが、今はその認識が欠如し始めている(最終的に
我々日本人はこの精神も復活させなければならないと思います)
ので異なる観点から説得を試みて見ましょう。
その異なる観点とは、そうやってふらふらと歩いている馬鹿の所為で
社会システムの運用効率が下がるということです。
馬鹿が一人、道をふらふらと携帯を見ながら歩いていると他の道を歩く人
、反対側から歩く人も同方向へ向かう人もよけなければなりません。
すると、その人々は本来使わなくて良いエネルギー(道を横に数歩避けて
その馬鹿を避けてからまた元の位置に数歩戻る)を使わなければなりません。
そんな数歩避けるためのエネルギーなんて大したこと無いじゃないかと
思うかもしれませんが、東京のど真ん中では数十人、下手をすれば数百人
の人が一人の為に道を避けねばならなくなります。
そしてそれが365日行われればそのエネルギー量は大変なものになると
思われます。(実際のエネルギー量を計測したいんですが学生の頃ほど
余裕が無くて出来ません)
さらにそれらの人々が数歩避けるために使う時間もたった一人の馬鹿の為に
無意味に消費されますし、精神的な負荷も掛かりますし(馬鹿がふらふらして
歩行の妨げをしてるとイラッとすることはありませんか?)、ぶつかったり、転んだり
というリスクも発生します。
その上、狭くて人が多い場所では自然に人の流れが出来るのですが、その流れ
事体が歪められる形となり、馬鹿を直接避け無ければならなかった人以外にも
エネルギーや時間の消費を強いることとなります。
計算してみれば面白いと思います。
ふらふらとものを見ながら歩く人間の一回の平均時間と移動距離を取って、
その間にすれ違って避けなければならない人の数を計測し、それによって
発生するエネルギーロス、時間ロス、発生リスクを測定します。
次にを全て金額換算、エネルギーロスは実際に摂取するエネルギー金額
、時間ロスはそれらの人々の平均時給額から計算し、リスクもリスクの発生
した場合の期待損失額を計算すると結構な額が算出されるのではないかと
思います。
これらの損失はさらに大きく波及していきます。(例えば時間ロスが生じた
人が電車に飛び乗ろうとして電車の運行を遅らせたり)
それらの損失は巡り巡って最終的にその一部を馬鹿本人が負担することにも
なります。
そうやって、社会的な損失を考えていくと少しはやめようという気にならないでしょうか?
別に私は携帯を観るなと言っているのではありません。
仕事の上で緊急のメールなどがあることもあるでしょう。
しかし、別に歩きながらやる必要は無いはずです。
狭い液の構内でも人が歩くルートから外れた隅などが30秒も歩けば必ずどこかにあります。
緊急で携帯を使いたいときはそういうところにサッと寄って立ち止まって
携帯を見れば誰にも迷惑をかけることは無いですし、社会的な損失を
発生させることもないでしょう。
家の一歩外からは公共の場所です。
公共の場所では社会の運用を妨げる行為は避けるようにしましょう。
本当に少し考えればわかるようなことです。
家の中であれば誰も困らないですから好きなようにやってください。
あなたが家の中で携帯を見ながら歩いて転んで怪我をしても困るのは
あなただけですから。