今回かなりトチ狂った文章になります。ご了承下さい。


その少年は美しかった。花の精のように舞っていた。完全無欠の「美少年」というものが、日本人で存在するなんて。その少年の名は羽生結弦。当時18歳。


羽生選手のビジュアルを語る時、よく使われる形容詞は「中性的」だが、私はあえてその言葉を使わず、「両性具有的」と言いたい。中性的だと男でも女でもない感じがするが、両性具有は男であり、同時に女でもあるのである。そう、羽生選手は男と女、両方の美しさを持った、稀有な存在なのである。


羽生選手の奇跡は第二次性徴後に起こった。正直言って10歳ごろまでの羽生選手は、ただの目の細い子供であった。特別不細工という訳ではないが、おかっぱ頭の、どこにでもいる素朴な男の子と言う印象だった。


それが中学生になると、一気に綺麗になった。そう、綺麗になったという表現がふさわしい。背はすらりと伸び、手足は一層長く、しなやかになり、さらさらの黒髪、切れ長の美しい目、すっと通った鼻筋、薔薇色の頬、ぷっくりとした花びらのような唇、そしてシミ一つない、雪のような白い肌。誰がどう見ても、美少女だ。そのくせ声変わりも早くて、声は妙に低い。可憐な容姿に似合わず、太くて低い声だった。声を聞くと、「あ、男の子だ」と初めて気づく。


なんとも独特な第二次性徴である。通常男の子は、第二次性徴を迎えると、どんどんゴツク、汚くなって行くのに。羽生結弦はどんどん綺麗になって行った。実際この頃、よく女の子と間違えられたという。競技会で、女子選手と思われたこともあったとか。無理もない。


高校生になると、羽生結弦は更に変幻する。今度は少年らしい危うさと影が加わり、何とも言えない危険な色気を醸し出すようになった。さすがにもう女の子には見えないが、年齢に似合わない色香と妖艶さを漂わせるようになった。その色香と言うのが、男も女も惑わせてしまう類のもので、一言で言えば「あやうい」感じ。妖しい少年美とも言うべきか。10代の少年だけが持つ、刹那的な美しさ。この頃から彼は、「美少年」となった。


なかなかいないわ、こんな子。

そして21歳の現在は、その美しさに更に磨きがかかり、もうなんと表現したらいいか分からないほどになっている。体つきなどは精悍さが増し、少年の頃のような儚さは無くなったものの、かといって成人男性の身体にしてはしなやか過ぎる。体のラインなどは、ほぼ女性である。肌は透き通るように白く、相変わらずシミ一つなく、毛穴すら見当たらない。切れ長の美しい目は健在で、目じりに何とも言えない妖艶な表情が宿る。薔薇色の頬も花びらのような唇も、ますます破壊力を増している。下手な女より色っぽい。多分じっと見つめられたら、男も女も、彼の虜だ。

まさに両性具有。美男であり、同時に美女でもある。羽生結弦のビジュアルを語る時、どうしても高揚気味になる。「とにかく美しい!妖艶!かわいい!凛々しい!透明感半端ない!」ありとあらゆる言葉を総動員して、彼の美しさを形容せずにいられなくなる。


もう私なんか完全に堕ちたもの。毎日ゆづゆづ言ってるよ。

元々フィギュアスケートは好きだった。何といっても我が県は「フィギュア王国」などと呼ばれ、伊藤みどり、浅田真央を輩出している。アルベールビル五輪の時代から注目してはいたが、浅田真央の出現により完全にハマった。2005年、彼女が初めてグランプリファイナルを制した時、「なんだこの子は!?」と大層驚き、以来日本女子フィギュアの世界を注視して来た。ちょうどその頃くらいから「フィギュアスケートブーム」が起こり、安藤美姫、村主章枝、荒川静香などと一緒に浅田真央はスター選手の仲間入りをし、日本中から注目されることとなった。無論私も真央ちゃんファンの一人であった。

しかし、私のフィギュア熱は、2010年のバンクーバー五輪を境に一旦冷めることとなる。浅田真央がキム・ヨナに敗れて金メダルを逃し、その時の真央ちゃんの様子が余りにも痛々しく、見ているのが辛かった。その後お母さまの急死、長いスランプと、真央ちゃんに次々と試練が降りかかる。試合の度に辛そうな彼女を見て、私も辛くなった。真央ちゃんは代名詞のトリプルアクセルを封印し、試合の度にキム・ヨナに負け続けた。正直浅田真央が何故キム・ヨナに負けるのか納得いかず、女子フィギュアに失望し、いつしかテレビでフィギュアスケートの試合を見ることも無くなって行った。

そんな私を、再びフィギュアに引き戻したのが、羽生結弦である。彼のことは、名前だけは知っていたが、ジュニアの選手、という印象しかなかった。それがいつの間にかソチ五輪代表になれる程成長していたのも驚いたが、金メダルをとってそれこそ腰を抜かす程驚いた。女子ならともかく、日本男子がオリンピックで金メダルをとることなど、金輪際ないと思っていたからだ。

初めて浅田真央を見た時と同じ衝撃が私を襲った。オリンピック以降、羽生選手の演技を動画サイトで見まくった。かの有名な「2012年世界選手権フリー」を見た時、言葉を失った。トドメは2013年の名古屋スケートフェスティバルである。彼は「花になれ」を舞っていた。「てゆーかアンタが花だよ…」とパソコンの前で独り呟いた。花のように美しい男の子がいることなど、私はそれまで知らなかったのだと思う。

その時から、私は羽生結弦に「完堕ち」した。


(続く)
最近、メニエールさんによく誘われる。「踊りませんか?」と。

メニエールさんなんて書くと、小粋なフランス紳士を連想するかも知れないが、実のところ、病気の名前である。「メニエール病」あるいは「メニエール症候群」とも呼ばれる。主な症状は突然のめまい。命にかかわることはないが、原因不明で、一応難病指定されている。

三年前に、おそらくストレスが原因でこの病気にかかり、以来持病となっている。なので親しみを込めて「メニエールさん」と呼ぶことにしているのだ。

当初は春から初夏に移る時期、ゴールデンウィークの前後くらいしか症状が出なかったのだが、最近は加齢のせいか、季節の変わり目ごとにめまいが起こるようになった。

メニエールさんは現れるや否や私の手を取り、ぐるぐる回してくれる。彼のおかげで 「地球は回っているのだ」と実感できるほどだ。その後暫くは、酩酊状態で全く使い物にならない。メニエールさん、名前は紳士風だが結構なドSである。

私の場合、めまい事態は大したことなく、すぐに治るのだが、軽い船酔いのような状態が暫く続く。そのため疲れやすくなり、色んなことに集中できない。特にパソコン関係は全くダメで、ひどく難儀する。

今はこうやってブログを書いているくらいだから、平気だが。
「やっぱりねー、女に好かれる女でなくっちゃ!」

誰かが言った。

なるほど正論だ。嫌われるよりは好かれる方がいい。

でもなー女っつっても色々いるからなー。

万人に好かれる必要もないのでは?と思う。

「ワタシ、中身はおっさんだから~!サバサバし過ぎてて~女に好かれる女なんです。女友達めちゃ多いし!」

と件の人は言った。なるほどそういうことか。

「男が惚れる男になるべし」って言葉は清々しいが、「女に好かれる女にならなきゃ」って言葉がどこかじめっとしているのはどうしてだろう(笑)
「純と愛」が明日で最終回をむかえる。このドラマ、途中から観たんだけどはまったな~

ウザいくらい元気なヒロインとは裏腹に、物語の展開は不自然にダーク。これでもか、というくらい不運や不幸がやって来て、打ちのめされるヒロイン。なんとか立ち直って歩き出し、また足元をすくわれ、また立ち直ると更なる不幸が襲いかかる。もういいよ、神様、少しは手加減してやってよ、と言いたくなるほどの波瀾万丈ぶり。

しかも、このまま行くとどうやらハッピーエンドになりそうもない。愛は目覚めそうにないし、台風でメチャクチャになったホテルも直っていない。純は一体これから、どうなるのか…。

この朝ドラは、ある意味恐ろしくリアルなドラマかも知れない。家族はいつも互いを思い合うような美しいものじゃない、男女の関係というものは理屈や常識では説明できない、親切や思いやりが空回りをすることだってある、努力が報われるとは限らない…普段現実世界で嫌というほど味わっていることを、ドラマの中でも見せられる。だから拒否反応を起こす人も多いらしい。視聴者を甘やかさないドラマなのだ。

夏菜の、一見グラビアアイドルばりに健康的でセクシーなのに声は妙に低くて太くてハスキーでどこか根暗な雰囲気、風間俊介の、ジャニーズらしからぬ猟奇的な瞳。その他の登場人物もどこかダークで、癖のある人たちばかり。朝ドラらしからぬ世界観。

あまり一般受けするドラマではないかも知れないなぁ…確かに。私は面白いと思ったが、でもなんとも言えない、切ない気持ちになるのも事実。次回作「あまちゃん」はもう少し明るいドラマだといいなぁ。
人に好かれることの意味って何なんだろう。

もちろん嫌われるよりは好かれる方がいいに決まってる。

ただ、厄介なのは人によって「好き」の作法が違うってことだ。(^_^;)

互いに個性を尊重しあい、適度な距離、真心と愛情を持って人と付き合うことができれば、私にとってこんなに幸せなことはない。

でも、私に向けられる「好き」が私の感覚と違った場合、それは私にとって苦痛でしかない。(>_<)

「夏ばこさんはすごい人だから」
「夏ばこさんに任せておけば大丈夫」
「夏ばこさんなら何とかしてくれる」

実際の所、私はすごくもないし、大丈夫でもないし、何か特別なことができる訳でもない。

人が大勢集まる場所では、誤解に基づいた人間関係が作られ易い。

そういう関係はある意味気楽な時もあるし、苦痛なこともある。

ゆっくり関係を吟味できないまましがらみばかり増えてしまった…。
土曜夜9時日テレ。この枠は基本、「子供から大人まで楽しめ、気楽にみられる」正直毒にも薬にもならないドラマが入る枠だが、たまに「銭ゲバ」のような異色作や、「妖怪人間ベム」のような名作が生まれたりする。

19日から始まった「泣くな!はらちゃん」は、もしかしたら名作の部類かも知れない。思っていたのとちょっと雰囲気が違ったが、面白かった。

主人公「越前さん」の愚痴マンガの主人公であるところの「はらちゃん」が、ふとしたきっかけで現実世界に来てしまう、という、夢がありつつも荒唐無稽なお話。設定だけ聞くとドタバタコメディ以外になりようがないのだが、意外や意外、案外「深い」ドラマだった。

人間なんて嫌い、他人なんて信用できない、私のことは放っておいて、とひたすらネガティブな思考で生きている越前さんが生み出した、マンガのキャラクターはらちゃんが、皮肉にも超ポジティブ。自分たちの世界の創造主であるところの越前さんに、何とか幸せになって貰おうと奔走する。はらちゃん自身は、「行きつけの居酒屋」という閉ざされた世界の住人で、ギターの弦が本当は6本であることも知らなかったりする。

それでもはらちゃんは元気でパワフル、現実世界で見聞きする初めての物達に大興奮。見ていて、「幸せになって欲しいなぁ」と思ってしまう、魅力的なキャラだ。越前さんの気まぐれでギターの弦が6本に書き直され、「悪魔」の歌がきっかけで「メロディー」を知ったはらちゃんが、「世界中の敵に降参します…」という後ろ向きな歌詞をギターかき鳴らし思い切りノリノリで歌い、はらちゃんの仲間たちも楽しそうに手拍子するシーンは、シュールながら少しジンと来た。

これからはらちゃんと越前さんがどうなって行くのか?続きが楽しみなドラマである。

それにしても越前さん、画力有り過ぎ。あの絵はホント上手い。
期待値が高すぎたのか…?「日曜劇場 とんび」なんか色々残念だった。イヤ、「全然良くなかった」という訳ではないが、でも何て言うか、ちょっとツッコミ所の多いドラマだった。

まず時代設定。昭和47年という設定なのに、あの当時の様子を正確に再現できていない。

小林旭と吉永小百合が若手スターだったのは昭和47年からさかのぼること10年前だ。だから子供の名前を付けるのに、「小林旭の旭、吉永小百合の小百合」なんて有り得なかった。昭和37年なら有り得たかも知れないが。

オート三輪は昭和50年代にはもう走っていなかった。実は私の叔父が乗っていて、私が4歳か5歳の頃乗せてもらった記憶がある。だから昭和47年ならギリギリ走っていたかも知れないが、それ以降は全く見かけなくなった。47年当時でも珍しかったぐらいだから、旭が3歳の昭和51年には走っていないはずだ。

ボンネットバスももう少し前の時代だと思う。私が幼い頃、既にバスは四角い形をしていた。ただ、今より窓は小さく、ライトは丸型、全体的に丸々としたシルエットだったが。

昭和47年頃の主婦の髪型と言えば、大仏パーマである。当時子供のいる主婦なら、例外なく大仏パーマをあてていた。だから劇中で常盤貴子や加藤貴子の髪がストレートなのに違和感を感じた。ここだけ平成のセンスなのだ。

もちろん、当時の様子を忠実に再現した部分はある。サイケな色調でやたら花柄の家電、買い物かご、台所の玉すだれ、チープなインテリア、ボットン便所など。またヤスの吸っているタバコの銘柄がハイライトだったり。

でも、所々古すぎたり妙に新しかったりで、時代考証が徹底していない。昭和47年当時をリアルに知っている私は、なんかモヤモヤした。

次に尺。2時間は長過ぎ。ぶっちゃけ、大人旭のパートは冒頭の10分だけで良かった。最後の、恋人の子供を保育園に迎えに行くシーンは要らなかった。あの伏線は2話以降だと思う。第一話は両親と、子供の旭だけで十分だ。初回拡大バージョンも良いが、90分で良かった。

常盤貴子の美しさ、良妻賢母ぶり、内野聖陽のはまりっ振り、脇を固める役者陣の豪華さなど、良い所はいっぱいあるのだが…。それでも「うーん」と思ってしまうのは何故だろう?

それでも、最後の所で子供の旭が「おとしゃんの足音、わかるよう」と言った所ではボロ泣きしてしまったのだが。

あと、主題歌が普通にいい歌。