ヘルパーを生業とする男の、福祉から学ぶ"生きるとはなんだ!" -30ページ目

ヘルパーを生業とする男の、福祉から学ぶ"生きるとはなんだ!"

福祉業に身を置いていて感じること。
食レポとかもして、生きることの喜びを自らに実感させようと思います。
あとは適当に。。。

1人が寂しいからこそ2人になった
けど
2人になったら窮屈になるのかい?



って、長渕剛が


パークハウス701 in 1985


で歌ってましたが。



中学生の頃この歌詞を聞いて、染み渡るものがあり。



中学生の未発達な感性と経験値で分かった気になっちゃうのも恐いのだけど、今でもこの歌詞は染み渡るんですね。

むしろ中学生だからこそ敏感に感じるものがあったのでしょうか?


この歌詞の続きに、


愛ってやつは、なんて身勝手なもの

と。

愛してるような気がするけど、愛していると言えない。


私自身、そんな身勝手で臆病な恋愛、生き方をしているような気がします。




そんな拗らせてる私ですが、



今までも、付き合ってはしばらくすると窮屈に感じて別れるというのを繰り返してきたわけです。

この窮屈さって、私自身、我が強いというのもそうなんですが。


わざとドライな考えを持つことで、ニヒルに思うようにすることで何かから逃げていた気もするし。



それって一体なんだったんだろう、、、





と、今、やっとわかるようになりました。


相手を失うことの怖さ

再び世界から自分だけ切り離されて途方もない孤独感に陥る怖さ


ようやく理解することができました。




特に宗教を信じているわけではないので、


死んだら土に帰るだけ。


その考えは変わらないのですが、

もし、死後の世界があって、死んでもあの世で愛する人と会える

という希望があれば、死ぬこともそんなに悪くないな、寂しくないなぁと思ったりするのです。


昔の人は、そうやって見えない孤独感に対して、死生観を磨くことで幸せな生き方を見出そうとしてきたのかなと。



そういう意味でも、私のような介護や看護をやってる人間には、人の生き死に、人様の人生と深く関わる瞬間が多くあるので、死生観について深く考える機会が多くあります。



他者よりも卓越してるとは決して言いません。




中には、極端に偏った考えに至る人もいると思います。




どういう職場、種類か、自分の生育歴によってもそれはかなり変わっていくと思います。




相模原の悲しい事件。彼にああいう考えに至らしめ、行動をさせたものってなんだったのでしょうか。




実は、私が以前勤めていたグループホームに、面接に来た人の中にも、



「この人たちは可哀想だ。安楽死させてあげた方が幸せだ」




と本気で真剣な眼差しで言っていた方がいたそうです。




地区が違うので相模原の事件の方ではないと思いますが。



彼はなぜそう思ったのでしょうか?




こいつは危険なやつだとお断りしたと聞いてます。




不採用は当然だと思います。




ただ、なぜそう思ったか聞きもせず切り捨てることは、この人をより孤独にさせて気がして。

なんか切り捨て方に嫌な感情を持っていました。



正面から話を聞いてみたいものです。





頭の中で想像すること、思うことは自由です。


相模原事件のような自分の死生観を他人に押し付けるような行動さえ起こさなければ。



孤独感は開き直ると、良くも悪くも強みになります。



失うものもないし、共感を得ることも必要ないし。



プラスに働けば良いですが、マイナスに働くと落ちるとこまで落ちます。



孤独感に開き直らず、寂しい時は寂しいと言える素直さがあると、人生幸福感を得やすいのかなと思いました。