ワシは基本生きてるのに嫌気がさしている。
この世の人間達の卑しさや汚らしさばかりが印象に刻み込まれてしまい、世の中の全てのことが嫌になっている。
ワシは子供の頃から生きて何かする目的を見出すことができず、
どうせ死ぬんだから…
と何事にも積極的に取り組む意識が湧かなかった。
今もそうで、何か家族を含めた周りの人間が、ワシが頭をひねるようなバカな考えや行いをしてしまい、それを指摘して注意しても聞かないことがあると、もうそいつらと一緒の空気を吸うことも嫌になる。
そんな中でもなんとか頑張ろうと思い続け立ち直ろうとその材料を探し続けて来た。
安藤百福さんのことはもう何年も前から知っていてインスタントラーメンの功績に感動していた。
今回、Netflixで安藤百福さんの半生をモデルにした「まんぷく」が配信されたが、以前見逃して残念な気持ちだったためすぐ観て感動し、ネット検索して安藤百福さんのことについて詳しく調べ始めた。
するとすぐ奥さんが3人いたことが分かった。
それなりにショックだったが、成功者が離婚再婚するのはよくある事だし、再婚してから成功することもよくあるサクセスストーリーだったからすぐに落ち着いた。
更に調べると安藤百福さんの前に即席麺を開発して売っている人たちがいたことが分かった。
百福さんと同じ台湾人の華僑では、陳栄泰、張国文がおり、日本人はもう明治の頃から即席麺は研究されてたことを知る。
第一次南極観測隊の隊員だった西丸震哉という人は、登山の携帯食を研究開発していて様々な具材を食用油脂で固めたアメリカ先住民発祥のペミカンと即席麺を研究開発に成功している。
でも、即席麺についてはできたものの隊長隊員達に評判が悪く、不味い不味いと言われるのを嫌がって南極観測隊員を辞めてしまう。
後を引き継いだのが大阪で中華料理店をやってた張国文で台湾伝統料理の鶏絲麺を参考に中華麺を油で揚げて乾燥させた即席ラーメン・商品名「長寿麺」を開発し南極観測隊に納入している。
調べたらこういうことが分かり、更に安藤百福さんは陳栄泰の工場を見学しロイヤリティーを支払う契約までしてから独自のインスタントラーメン開発に着手していたことが分かった。
百福さんの自伝とはだいぶ違う内容に戸惑って迷い一時は安藤百福さんを嫌悪軽蔑してしまった。
これはワシにとって、生きるにあたり頑張ろうと搾り出したエネルギーを打ち砕いて奪う深刻な問題だったのだ。
しかし、時代背景や安藤百福さんの当時の境遇を合わせて考えたとき、鶏絲麺で儲けようとしてたのではないこと、素麺ではなく中華麺を油で揚げて乾燥させる即席ラーメンを開発しようとしていたことや、
チキンラーメンを売り出したばかりの新規参入ベンチャー零細企業だった百福さんの会社が、なんとか売り上げをあげて生き残るために
当時皇太子ご成婚で皇太子妃の実家の会社の日清製粉の社名まで拝借して社名変更するなど苦肉の策で必死に売り上げを伸ばそうと努めていたことに気づき、納得して再び安藤百福さんの功績に感動する気持ちを取り戻せた。
三人の奥さんと子供達のことについても、あれは簡単に言うと最終的に二人の奥さん達は百福さんの元から逃げて国に帰ってることだとワシは思った。
まあ、仁子さんとの出会いと交際は二番目の奥さんとの家庭がすでにあった時だったから、浮気と思われても仕方なく、それに怒って二番目の夫人・呉金鶯さんは国へと帰ってしまった。
しかし、その娘の美和さんによると百福さんは、かなり引き留めたらしいがそれを振り切って帰っている。更に百福さんは手切れ金と慰謝料も渡しているから妾ではあってもちゃんと別れていると思った。
それでも百福さんは最初の妻・黄綉梅さんとの子供宏寿さんをちゃんと引き取り育ててるし、美和さんが言うには度々二番目の妻の子供達にも支援をしていた。
まあ、色々と男女間のもつれがあったにしろ、安藤百福という人は可能な限り責任を取ろうとしていた形跡は認められるのだ。
これで少し私の中の整理がついて安藤百福さんに対するワシの印象と評価が回復して、なんとか頑張るエネルギーが再生して来ている。
安藤百福さんに対する評価の復活は、ワシにとっての死活問題だった。
だからこだわってしつこく調べ、何とかしようと何度も悩みながら整理していった。
本当に大変だったし疲れてしまった。
やっと整理がついて先へ進めそうになり、リハビリもできるようになって来たようだ。
まあこれから頑張ろうとは思う。