在日華僑のための資金調達金融機関として大阪華銀という信用組合が作られた。


呉百福(安藤百福)は、請われて理事長になり許炎亭(井上炎亭)は理事兼顧問になった。


百福は、GHQに脱税用語で逮捕されて巣鴨に収監され、税務署に財産全てを没収されたのでほぼ無一文だったらしい。


大阪華銀は華僑向けの金融機関であったが預金者には日本人もいたらしい。


華僑が同胞に資金を融通するためか審査が甘く回収不能の焦げ付き不良債権が多発し、更に百福が大豆相場に手を出して失敗、大阪華銀は破綻して倒産する。


百福は組合の資金を個人的流用したとして背任罪で起訴され有罪判決を受ける。


差し押さえなどで再び財産全てを失った百福は借家に移って生活を始める。


その後、大阪華銀で一緒だった許炎亭と再会して、陳栄泰という者が即席麺・鶏絲麺を商品化して売り出したことを聞く。


鶏絲麺は台湾伝統の料理だから百福が知らなかったわけはない。興味が湧いた百福は陳栄泰に会いに行き工場を見学する。


許炎亭は陳栄泰の鶏絲麺を販売する会社・三倉物産を立ち上げる。百福はその株主になった。


大阪でも鶏絲麺を売るのに東京から運ぶのは大変だから大阪で作ろうということになり、許炎亭に権利料を払って大阪で鶏絲麺を作ることになった。


大坂池田の借家の庭に小さな小屋を建てて、日本人向けの鶏絲麺を作る。日本人に合うようにニンニクを入れないようにして麺も素麺ではなく太くした中華麺にした。


基本的製法は鶏絲麺と同じで油で揚げて乾燥させて作る。そもそも元々麺を油で揚げる製法はあり、それを使って鶏絲麺の改良型を作ったのをインスタントラーメンとして百福が売り出したのだ。


三倉物産で鶏絲麺を売り出す際に商品名を英語に変えてチキンラーメンとすることにしていたが、百福は自分のインスタントラーメンをチキンラーメンと名付けて商標登録までし販売を開始する。


瞬間油熱乾燥法として百福が発見したとされている製法は、元々鶏絲麺の製法としてあったもので、先に陳栄泰や張国文によって鶏絲麺の発展型を商品化する際に使っていた製法だった。


陳栄泰の工場を見学した際に、その製法も学んだと思われる。


百福の自伝にあるチキンラーメン創始の話とはだいぶ違っているようだ。