誰かの役に立ちたい。


少しでも周囲がうまく回るように、自分が動けばいい。


そう思ってきた人ほど、ある日ふと気づくのです。

 

「どうして、こんなにしんどいんだろう」
「なぜ“ありがとう”も言われずに、損ばかりしているんだろう」

ーーでも、怒るほどのことじゃないし、
我慢すれば済むことだし、
誰かを責めたいわけでもないし……。

 

そうしてまた、笑ってやり過ごす。


「優しさ」という名の鎧を着て、自分の痛みに蓋をする。

 


けれど、あなたの中の“やさしさ”は、本当にそれで守られているでしょうか?


この社会で、なぜ「やさしい人」ばかりが傷ついているのか。


なぜ「ちゃんとした人」ほど疲弊していくのか。

 

今日のブログでは、その「仕組み」を見つめ、
どうすれば“やさしさ”を消耗されずに生きていけるのかを、
一緒に考えていきたいと思います。


 

🟦 ①やさしさの正体と、なぜ潰れてしまうのか


●「やさしい人」ほど疲れるのは、なぜか

たとえば職場で。

 

✔ 誰かのミスをさりげなくカバーする
✔ 空気を読んで、フォローに回る
✔ 自分の仕事を後回しにしてでも、困っている人を助ける

ーーそうした行動は、間違いなく「やさしさ」だと思います。


でも同時に、そのやさしさがいつしか「期待」や「依存」の対象にされ、
やがて「当然」と見なされていく。

「あの人ならやってくれる」
「あの人は断らない」

そうして、やさしさがシステムの歯車に組み込まれた瞬間、
それは“消耗される資源”へと変わっていく
のです。

 


●やさしさの本質は「他者との距離感」にある

本来のやさしさとは、決して「自己犠牲」ではありません。


むしろ、相手との健全な距離を測るための知性とも言えます。

 

けれど日本社会では、
やさしさ=譲ること
やさしさ=感情を抑えること
やさしさ=空気を読むこと
だとされがちです。

 

その結果、

  • 自分の本音を押し殺して「いい人」でい続ける

  • 本当は疲れているのに「大丈夫です」と笑う

  • 断ることに罪悪感を抱くようになる

ーーそうして、自分の“輪郭”がどんどん曖昧になっていく。

 


●やさしい人が潰れる構造は、つくられている

これは個人の性格の問題ではなく、構造の問題です。

  • 他人の感情を優先することが「美徳」とされ

  • 仕事量の偏りは「人柄」で片づけられ

  • “やさしい”が“都合のいい人”にすり替わる

…そんな環境が、長い年月のうちにあなたの中に刷り込まれてきたのです。


 

 

🟦 ②誰のためのやさしさか──「自己肯定」と「依存」の境界線


●「ありがとう」と言われることが、なぜ苦しくなっていくのか

あなたは、誰かから感謝されたとき、こんな気持ちになったことはありませんか?

「嬉しいはずなのに、なんだかモヤモヤする」
「また“期待される”役割に縛られるのかもしれない…」

それは、感謝の言葉が「次の負荷」を暗示しているように聞こえてしまうからです。

 

特に職場などでは、
やさしさが「便利さ」として見なされ、
一度助けたことが「前提」となり、
感謝の言葉が“次の依頼”とセットになる。

 

やがて「助けた自分」が苦しくなる構造が生まれていくのです。

 


●やさしさの裏に潜む「承認欲求」

もう一つ見逃せないのは、
「やさしさ」の中に自分自身の承認欲求が含まれているということです。

  • 誰かに「感謝されたい」

  • 「必要とされていたい」

  • 「好かれていたい」

ーーそれ自体は、決して悪いことではありません。


人は誰しも、他者との関係の中で自己を確かめながら生きています。

 

しかしその承認欲求が過剰になると、

「相手が望んでいないことまでやってしまう」
「やさしさを返してもらえないと傷つく」
「断れないことで自己肯定感を保つ」

という、「依存に近いやさしさ」へと変質していく。

 


●やさしさとは「相手を信じて、任せること」でもある

本当の意味でのやさしさとは、
「相手に負荷をかけずにすべてを請け負うこと」ではありません。

 

むしろ、「信じて手放す勇気」こそが、やさしさの核心にあります。

 

  • 相手の成長を信じて、任せる

  • 自分が無理しないことで、持続可能な関係を築く

  • 距離を取ることもまた、誠実な選択である

そうした「大人のやさしさ」を持つことができたとき、
初めて自分自身を守ることも、相手との関係性も、
持続可能なものにしていけるのです。


 

 

 

🟩 ③やさしさを取り戻すための3つの問い


「やさしさとは何か」という問いは、
私たちがどのように生きたいか──その核心に触れる問題です。

 

そして、それを見つめ直すために必要なのは、
「他人のために生きる」ことを一度手放し、
“自分に向けた問い”を立て直すことです。

 

以下の3つの問いは、私自身が30代後半から40代にかけて、
やさしさに疲れ、立ち止まり、そして再定義してきた中で得たものです。

 


🔶問い①「そのやさしさは、誰のためのものか?」

まず、自分が差し出している“やさしさ”の背後に、
どんな動機があるかを見つめ直す問いです。

  • 「感謝されたい」「嫌われたくない」

  • 「頼られたい」「期待に応えたい」

それらの気持ち自体を否定する必要はありません。
でも、それが“自分をすり減らす形”で続いているなら、
一度立ち止まり、自分の内側に問いかけてみてください。

 

それは、本当に「自分が望んでいるやさしさ」なのか?


 

🔶問い②「“断ること”は本当に悪いことか?」

やさしい人ほど「NO」と言うことに罪悪感を抱きます。

 

でも、「断ること」は時に、
相手の力を信じているというメッセージでもあります。

  • 自分を守る境界線を引く

  • 過剰な依存を避ける

  • 長期的に健全な関係性を築く

これらを可能にするのは、
「やさしさとしてのNO」であることを、私たちは忘れがちです。

 

断ることで壊れる関係なら、
それは本質的に“依存”の上に乗っていたのかもしれません。

 


🔶問い③「“やさしさ”は、あなた自身にも向けられているか?」

最後の問いは、最も大切な視点かもしれません。

あなたが誰かに注いでいるやさしさと同じものを、
あなたは自分自身に向けていますか?

もし、誰かの期待に応え続け、
自分の心を後回しにしているのだとしたら、
そのやさしさは「自己犠牲」になっているかもしれません。

 

自分を大切にすることと、他人を大切にすることは矛盾しません。


むしろ、自己肯定感が高まることで、本当にやさしくなれるのです。

 


🟨 結語 やさしさを再定義しよう

やさしさとは、ただ“誰かに尽くすこと”ではありません。


それは「人との関係性を、どう結び直すか」という生き方そのものです。

  • 自分を守ること

  • 他人を信じて任せること

  • 無理をしないこと

  • 距離をとること

そうした選択が、「やさしくない」のではなく、
むしろ本質的なやさしさにつながっていくのだと思うのです。

 


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