新原奴山古墳群20号墳 | 古墳探訪記

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関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

今日も今年3月3日に訪れた福岡県福津市にある新原・奴山古墳群の続きです。

 

↑現地解説板を抜粋

今日は20号墳・21号墳の2基をアップします。

 

 

 

↑菜の花に囲まれる新原・奴山古墳群20号墳(奴山13号墳・津屋崎19号墳)、南西側の様子

場所はこちら: 33.817823, 130.485428

 

 

 

↑新原・奴山古墳群20号墳(奴山13号墳・津屋崎19号墳)の解説板

直径30メートル、5世紀後半築造の円墳。

 墳丘は二段に築かれ、墳丘高さは5メートルあります。墳丘を覆っていた葺石が今も斜面に見られます。また、墳丘上からは築造途中に行われた祭祀に用いられた須恵器の高坏や甕が見つかっています。

 

津屋崎町文化財調査報告書『新原奴山古墳群』によると、墳丘南側のトレンチからは周溝が確認できなかったので、周溝をもたない可能性大とのこと。

 

 

 

↑新原・奴山古墳群20号墳(奴山13号墳・津屋崎19号墳)、南東側の様子

菜の花・・・・満開の少し手前って感じでした。天気が良くて菜の花が満開の時期に再訪したい古墳群です。

 

 

 

↑新原・奴山古墳群20号墳(奴山13号墳・津屋崎19号墳)、北東側の様子

 

 

 

 

 

↑こちらは墳丘の周囲がフェンスで囲まれている新原・奴山古墳群21号墳(奴山16号墳・津屋崎21号墳)

直径約15メートル、高さ約1.5メートルの円墳。出土した須恵器甕片から、築造時期は5世紀前半と想定されています。

 

 

 

↑墳丘上に「新原の百塔板碑」と呼ばれる8基の石塔が建っているようです。

5代執権の北条時頼が平家の霊を弔うために建てたという説と、蒙古襲来の戦死者の供養のためという説もあるようです。

 

 

 

↑フェンスで囲まれてるし草木もボーボーで、墳丘すらよく見えず。板碑すらわからず滝汗

 

新原・奴山古墳群、まだまだ続きますウインク