益子町の圓通寺 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

今日も栃木県益子町の古墳です。

 

↑まずは益子町大沢にある圓通寺の表門から

こちらの門、応永9年(西暦1402年)建造とのことですびっくり

 

 

 

↑こちらは圓通寺の本堂

 

 

 

↑圓通寺について

応永9年(西暦1402年)創建とのこと。大沢文庫とも呼ばれ、中世における日本三大文庫の一つとされているとかキョロキョロ

 

「日本三大〇〇」って色々ありますね~。

それにしても「三大文庫」って初めて聞きました。

金沢文庫、足利学校はとても有名ですが・・・・おっとこれ以上、言ってはいけませんね(笑)

 

 

 

↑圓通寺境内にある一切経塔

天文10年(西暦1541年)に火災→再建されたものらしいです。

 

実はこの一切経塔まで来るのは2度目。

以前、こちらの圓通寺裏にある入定塚古墳へ行くため、この一切経塔から左手奥の山道を登って行ったのですが、辿り着かず滝汗後日、調べてみたら一切経塔から右手の山道を登ると良い!ということがわかり、今回の訪問となっています。

 

 

 

↑しばら~く山道を歩いていたら、ようやく古墳のような高まりを発見!

(入定塚古墳の前方部です)

 

 

 

↑前方部上にある石柱を発見照れ

 

 

 

↑「史跡 入定塚古墳」と刻まれています。

 

 

 

↑前方部から後方部方向

笹だらけです(笑)

 

以前は前方後方墳と考えれていたのですが、「くびれ部」が明確ではなく古墳であることも疑義が発生しているようです。

 

場所は標高118メートル。もし古墳だったら墳長62.7メートル、後方部辺30メートル、後方部高さ5メートル、前方部幅29メートル、前方部長さ32.7メートル、前方部高さ4.6メートル、5世紀後半築造の前方後方墳。

 

 

 

↑後方部から前方部方向

やはり笹だらけ(笑)

 

 

 

↑こちらが『益子町史』に載っている入定塚古墳の測量図

圓通寺に付属する施設である可能性大と『益子町史』にあります。

 

 

 

↑入定塚古墳、西側から

もし古墳だったら、左側が前方部、右奥に後方部となります。