古墳ブログ 伝ヤマトタケルの墓 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

今日アップするのはヤマトタケルの陵墓として長年有力視されてきた白鳥塚古墳です。

(※有力視って考古学的な意味ではありませんよてへぺろ)

 

↑白鳥塚古墳、東側(前方部側)から

江戸時代の有名な国学者らがこちらの白鳥塚古墳をヤマトタケルの陵墓であると有力視。

明治9年には当時の教部省がヤマトタケルの陵墓であると治定したのに、明治12年、宮内省が現在の亀山市にある能褒野王塚古墳(後日アップしますウインク)をヤマトタケルの陵墓であると治定し現在に至っています。

 

場所はこちら: 34.901434, 136.525880 

 

 

 

↑三重県指定史跡 白鳥塚古墳の解説板

この古墳は古くから日本武尊(倭建命)の墓との言い伝えがあり、尊が葬られた後に白鳥となり飛び立ったという伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれている。かつて県内最大の円墳とされていたが、近年の発掘調査の結果、東側に造出しを持つ帆立貝式の前方後円墳であることが判明した。墳丘長は78メートルで、円丘部の径67メートル、高さ9メートル、方丘部の長さ18.4メートル、幅27メートルである。円丘部は高さ1.5メートル、径77メートルの基壇上に二段に築成されており、葺石・埴輪を有する。方丘部は丘陵を幅8メートルの溝で区画することにより形作られている。埴輪には円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、壺・蓋・盾形の形象埴輪があり、その型式から5世紀前半に築造されたとみられる。鈴鹿川流域を支配した首長の墳墓である。

 

 

 

↑写真左奥に後円部、右側が前方部。

帆立貝式前方後円墳と判明したので、前方部は最近になって整地・形成されたのかな??

 

 

 

↑南側へ参道があります。

 

 

 

↑近づいてカメラ

白鳥塚古墳、南側から。

墳丘全体が聖域になっているので、さすがに墳丘へ登ることはできませんえー

 

 

 

↑後円部の様子

径67メートル、高さ9メートルもあるので、かなり大きいです。

埴輪の破片探しとかしてみたいところですが、そこは我慢です口笛

 

 

 

↑白鳥塚古墳裾からの眺め

高台に築かれていることがわかりますねおねがい