いよいよ今日は、卑弥呼の墓ではないか?という説で有名な箸墓(はしはか)古墳をアップします
箸墓古墳が卑弥呼の墓かも?と考えられるようになった理由はウィキペディアが詳しいので、そちらをご覧下さい
↑まずは「ザ・前方後円墳」という感じの国土地理院航空写真より
↑箸墓古墳、北西側より
左側が「後円」部、右側が「前方」部の前方後円墳。墳長は約278メートル。
逆光で、けっこう幻想的になりました
スピリチュアルなことは全面的に否定するつもりもなく、興味もあるほどですし、神社の雰囲気とかも大好きなんですが、一部、霊視ができるという方々のブログを拝見すると、「箸墓古墳に巫女の霊が現れた・・」など、どうにもウソくさい内容を見ることがあります。
箸墓古墳からすぐ西側に墳長が100メートルはあった「イヅカ古墳」や、箸墓古墳の北側に広がる大池の中に3基の古墳があったのですが(すべて消滅)、それら現存していない古墳の被葬者の霊までもが現れて色々語ってくれた・・なんて内容を見かけたら、ふっき~も信じるかもしれません(笑)
↑箸墓古墳へは、すぐ近くにある「ひみこの庭 駐車場」を利用させて頂きました
↑駐車場を出て見えるのが箸墓古墳の「前方」部
↑「前方」部の中央にある拝所
大市(おおいちの)墓。倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓として宮内庁より治定されています。
↑国土地理院の傾斜量図
前方後円墳の形状を見るかぎり、3世紀前半のいわゆる纒向型前方後円墳ではなく、3世紀末~4世紀前半の前方後円墳の形状なんですよ(もちろん、のちの時代に変形された可能性もあります)
卑弥呼が実在していた場合、3世紀前半の人物。
この箸墓古墳に葬られたと考えるのは、かなり難しいですよね。
↑「前方」部北西端より。「くびれ」部がよくわかります
左に写る大池の底から見つかった土器を放射性炭素年代測定したところ、西暦280~300年という結果が出ています。やはり卑弥呼が活躍したと思われる時代から半世紀はズレています。
↑箸墓古墳、北側の様子
写真手前、大池の中にある小島は堂後古墳(11D-0510)ですかね?
↑北東側より
左側に「後円」部、右奥が「前方」部。
この写真を撮る前に、「纒向遺跡」跡を訪れています。
↑「後円」部東端の様子
↑墳丘南側、「くびれ」部の様子
↑「くびれ」部を西側より
このブログで何度か書いてますが、距離もしくは方向が間違っている『「魏志」倭人伝』を、あたかも絶対に正しいものとして捉えて邪馬台国論争が続いています。その一方で『古事記』・『日本書紀』には邪馬台国やら卑弥呼やら、全く記載がないって、変ですよね。尊王攘夷の機運が高まる以前から、日本各地に歴代天皇を祀る神社、『古事記』・『日本書紀』に登場する人物が祀られている神社があるというのに・・。
ちなみに、邪馬台国論争について、議論するつもりはありません。あしからず