昨年末の岡山県墳活一人旅、2日目の午後は備中国分寺周辺の古墳を堪能しようと、大雑把な計画を立ててました![]()
※ 岡山県の古墳の位置を把握している方は、吉備津神社→造山古墳・・・・あれ?楯築遺跡とか王墓山古墳に行かなかったのかな・・と思ったかもしれませんが、最終日(4日目)に行ってます![]()
↑まずは備中国分寺と周辺の古墳の位置を知って欲しいので、国土地理院地図をアップします(赤い文字はふっき~が加筆)
↑こうもり塚古墳、南西側より![]()
左側が「後円」部、右側が「前方」部、6世紀後半築造の前方後円墳。
場所はこちら: 34.667154, 133.785897
仁徳天皇の寵愛を受けた吉備黒媛(くろひめ、黒日売)が被葬者との伝承があった古墳ですが、仁徳天皇は4世紀末の人物のため、完全に否定されています。
↑こうもり塚古墳の解説板
こうもり塚古墳は、全長約100メートル、後円部径55~60メートル、同高8メートル、前方部の長さ約60メートルの前方後円墳です。これまで葺石や埴輪は見つかっていません。
後円部には、南南西に開口する全長19.4メートルを測る岡山県内最大の横穴式石室があります。石室は玄室と通路にあたる羨道からなり、玄室長7.7メートル、幅3.6メートル、高さ3.6メートル、羨道の長さは11.7メートルあります。
玄室内には、浪形石(岡山県井原市産出の貝殻石灰岩)製のくり抜き式の家形石棺が置かれています。この石棺以外にも陶棺(焼き物の棺)や、木棺に使用した鉄釘が見つかったことから、複数の埋葬があったことがわかりました。また、石室内からは金銅装単鳳環頭大刀の柄頭や鉄鏃、馬具、耳環・玉類などの装飾品、須恵器など多様な副葬品が出土しています。
石室や石棺の形態、出土した須恵器の特徴から、こうもり塚古墳が築かれたのは6世紀後半と考えられます。6世紀における吉備地域最大の前方後円墳であること、巨大な石室、豊かな副葬品から、こうもり塚古墳の被葬者は、この時期の吉備地域で最も有力な豪族だったと推測されます。
↑こちらの解説板には吉備の三大石室古墳(こうもり塚古墳、箭田大塚古墳、牟佐大塚古墳)のことと、吉備津彦命が鬼神(温羅)を退治する伝説について触れられています。
※箭田大塚古墳、牟佐大塚古墳、どちらも今回の墳活旅中に訪れました。後日ブログにアップします![]()
↑横穴式石室の開口部
石室の全長は19.4メートル。明日香村にある有名な石舞台古墳より、少し長いんですよ。
(石舞台は全長19.1メートル)
↑内部の様子
玄室には入れません![]()
花崗岩製の巨大で見事な石室です・・・・と言いたいところですが、左側の側壁は3段積み、右側の側壁は4段積みですね
どうして、異なる積み方をしたかな?
↑玄室と刳抜式家形石棺
解説板には載ってないのですが、こちらの石室内部から鉄滓(てっさい、製鉄の際に出る鉄くず)、合計で約240キロも見つかってます![]()
鉄くず240キロ!
なんだかスゴイですよね![]()
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副葬品に鉄くず240キロ・・・・不思議だ(笑)
↑振り返って![]()
↑「後円」部墳頂の様子
↑「後円」部から「前方」部方向
↑「前方」部から「後円」部方向
キレイな墳形が残っているのと、「前方」部が発達していることが、よくわかります。










