千葉県市川市にある国府台古墳群巡り、続きです
↓里見公園内にある明戸古墳
↑明戸(あけど)古墳、北東側より
左奥が「後円」部、右手前に「前方」部の前方後円墳。
太田道灌がこの地に陣を築くため、この明戸古墳の土を活用したという伝承があります。
また、道潅の弟、太田資忠がこの地に「国府台城」を築いたり、戦前は陸軍病院があったりなど、ほぼ形状を残していない古墳です
↑東側より
墳長約40メートル、「後円」部径21メートル、「後円」部高さ5メートル、「前方」部幅28メートル、「前方」部高さ5メートル、6世紀後半築造の前方後円墳。円筒埴輪などが見つかっています。
↑南側(土塁?)から近づけます。
↑「後円」部へ
↑明戸古墳石棺の解説板
↑箱式石棺
↑角度を変えて
黒雲母片麻岩(筑波石)を使ったもの。太田道灌が陣を築く際にこの明戸古墳の土を活用しようとしたら石棺が出てきたようです。
↑里見公園内、明戸古墳と別の場所にある夜泣き石
この台座になっている石が、明戸古墳石棺の蓋
↑夜泣き石の解説板
↑里見公園から見た江戸川
天気が良ければスカイツリーもクッキリと写るはずですが、ちょっと霞んでいます。