大阪府高槻市上土室  番山古墳・二子山古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

一人旅で訪れた高槻市での古墳探訪、続きですウインク

 

今回、高槻市を訪れた理由は↓こちらおねがい

↑国土地理院図より、赤い〇は「ふっき~」が付け加えたもの

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.847542/135.581211/&base=std&ls=std%7Cort_USA10%7Cort_old10%7Cseamlessphoto%7Cgazo4&blend=0000&disp=11110&lcd=gazo4&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

赤い〇で囲った2基の大きな古墳を見たくって高槻に一泊したんですチュー

(関東だと、「こじんまり古墳」ばかりですからねてへぺろ

 

 

ただ、もちろん「こじんまり古墳」だって見たいんです照れ

↑国土地理院図より、赤い〇は「ふっき~」が付け加えたもの

https://maps.gsi.go.jp/#16/34.846908/135.580773/&base=std&ls=std%7Cort_USA10%7Cort_old10%7Cseamlessphoto%7Cgazo4&blend=0000&disp=11110&lcd=gazo4&vs=c0j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

 

一人旅2日目、昼神車塚古墳をあとにして車次に向かったのは上の写真の赤い〇を付けた2基の古墳ですニヤリ

 

まずは番山古墳。

↑番山古墳、北東側よりカメラ  左手に「前方」部があったようですが、ほぼ喪失。写真中央は「後円」部。

現存直径56メートル、高さ7メートル、5世紀中頃築造の帆立貝形古墳(前方後円墳)。

 

 

↑ちょっと傾いている「番山古墳」と刻まれた碑

 

 

↑すぐ近くにある番山古墳の解説板ではなく、土室(はむろ)遺跡群の解説板

この地域一帯は、かなり大規模な埴輪工房とその工房で働いていた人々の住居跡が見つかっています。

 

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「やぁ!こんにちは!」(今城塚古代歴史館にてカメラ

こんな埴輪を土室遺跡群の人々は、作っていたのでしょうね口笛

 

 

↑番山古墳、北西側よりカメラ  後方には名神高速道路が写っています。

周囲は畑のため、近寄ることはできませんえー

 

 

 

 

番山古墳から走る人二子山古墳へ移動中に見つけた看板。

↑「土室遺跡のハニワ群」と書かれた看板がありましたが、字が薄れて解読できずえー

 

↑「土室遺跡のハニワ群」と記された看板から見た番山古墳

 

↑「土室遺跡のハニワ群」と記された看板から見た二子山古墳

 

 

 

続いて二子山古墳ウインク

↑二子山古墳(継体天皇陵飛地ち号)  左手が「前方」部、右手が「後円」部

天皇陵の陪塚として指定されているため、周囲はフェンスで囲まれています。

 

次回はいよいよ宮内庁指定の天皇陵へラブこのブログで天皇陵を取り上げるのって、もちろん初ですよチュー