姫塚古墳のすぐ隣、南側にあるのが殿塚古墳です。
↑殿塚古墳、右手奥が「前方」部、左手が「後円」部。
↑駐車場横にある解説板
↑「前方」部の裾にも解説板があります。
墳長約88メートル、高さ約13メートル、6世紀後半築造の前方後円墳。
姫塚古墳でも書きました武射国造(むさのくにのみやつこ)は大王の外戚にあたる和邇氏の一族が国造に。氏姓としては牟邪臣(むさのおみ)と名乗っています。姓(かばね)が「臣」!当時の東日本の国造で「臣」なのは牟邪臣のみ。それだけ、時のヤマト政権が現在の千葉県あたりを重視していた証明にもなります。それこそ古墳が千葉県にやたらにあることの理由でしょう。
ここから超個人的な考えです・・・・なぜか日本の古代史って、文化や先進的なモノというのは「西から東へ」広がり、しかも文化・風習の伝播が「数十年かかって伝わっていく」というのが主流の考えなんですよね。古墳時代くらいまでは、物流の中心は「船」なので、想像以上に人やモノって、すぐに!しかも大規模に!移動できたはずなんです。畿内の6世紀に主流だった墳墓や埴輪が、まったく同じ時期に当時の武射国でも造られていたと考えてもいいと思うんです。(繰り返しになりますが、超個人的な説です)
↑「後円」部から「前方」部を臨む
↑「前方」部から「後円」部を臨む
↑殿塚古墳、古墳探訪にオススメです!
オマケ・・
↑芝山古墳群3号墳、殿塚古墳と姫塚古墳の間にあります。殿塚古墳・姫塚古墳の周濠の構造から、この3号墳の方が先に築造されたことがわかっています。
↑殿塚古墳・姫塚古墳で発掘された埴輪は芝山仁王尊(観音教寺)で見ることができます。
西暦781年創建、天台宗の寺院
本堂横の芝山ミューゼアム、埴輪好きにはサイコーな場所ですよ。