茨城県石岡市北根本 舟塚山古墳 | 古墳探訪記

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関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

東日本第2位の大きさを誇る古墳が石岡市にある舟塚山古墳です。(第1位は群馬県太田市の天神山古墳)もちろん茨城県内最大の古墳。

↑舟塚山古墳   右手が「前方」、左手奥が「後円」

 

 

 

ちゃんと駐車場があります

 

 

 

↑解説文

墳長は186メートル、高さ10メートル、前方部の幅が100メートルもある5世紀前半築造の前方後円墳。

 

 

 

↑左側の木があるところが「後円」、鹿島神社となっています。

 

 

 

 

↑「後円」部は鹿島神社

 

 

 

↑社殿、もちろん御朱印とは無縁の神社。しっかりとお参りしたあと、社殿左手の道を登って後円部墳頂へ。

 

 

 

↑「後円」から「前方」を臨む。まるでゴルフ場?と思える広さ。

舟塚山古墳のすぐ北側には「石岡市茨城」という地名があります。現在の「茨城」県の由来となったところ。

 

律令体制下の常陸国が成立する以前、このあたりは茨城国(当時は「うばらき」と呼んでいたはず)。その茨城国の中心であったのが現在の石岡市。後の常陸国の国府も現在の石岡市に置かれました。

 

 

 

↑「前方」から「後円」を臨む

古事記や日本書紀にも出てくる天津彦根命(あまつひこねのみこと)の孫、筑紫刀禰(つくしとね)が、応神天皇の時代に茨城国造と任じられたということから、この舟塚山古墳の被葬者は筑紫刀禰という説があります。ちなみに「筑紫」と言えば北九州の地名を想像してしまいますが、筑波山から取ったものでしょう。

応神天皇の時代は西暦に換算すると、ちょうど西暦400年前後の頃の在位なので、ミスマッチはしていません。

 

 

↑整備されすぎて埴輪の破片は見つからないかと思いましたが、意外にもけっこう見つけられました。

 

 

 

↑3段築成というのがわかりますね

この舟塚山古墳は木もほとんどないので、とにかく大きい!という印象をもちます。

 

 

 

↑舟塚山古墳の陪塚2基、「後円」近くにあります。たぶん舟塚山古墳群13号墳と14号墳。

次回は府中愛宕山古墳について