今日は調査旅行記2024 (16) 6日目の続きです。

前回はこちら↓から御覧頂けます。

 

 

前日の午後、14時30分頃、セーレスバスでO村に到着した私たちは、O村の市場まで迎えに来てくれていたイハドBと、Bの上の弟JRの運転するトライシクルで、挨拶周りを開始。DASH!

が、行く先々で、飲み物やお菓子を出されたりしている内に、あっという間に16時36分に!目

O村に着いてからはや2時間以上が過ぎ去っていたのでありました。

今回はイハダBの両親、E&N夫妻宅に4泊お世話になる予定だったのですが、E&N夫妻宅は山の中。

※夫のは、パンパンガに行って帰って来ない第1研修生に続く第2研修生として、日本のNGOに招聘され、1990年から1年間、日本で有機農業の研修を受けました。

で、何としても日が暮れるまでに挨拶周りを済ませなければなりません。

結婚式のイハダBevと記念撮影↓

 

 

をした私たちは国道を市場の方角まで戻り、市場を少し過ぎた所にあるB&T夫妻宅へ。

 

※私たちには、洗礼式の時に私たちが代父母になったイハダ・イハドが16人いますが、彼女・彼らとは別に、結婚式の時に代父母になったイハダ・イハドが5組います。つまり、洗礼式と結婚式を合わせれば、イハダ・イハドが計26人いることになります。

この2人の双子のお嬢さんたちは、私たちの8番目(ホントは8番目と9番目)イハダT&B↓です。

 

 

運よく御両親とお嬢さんのひとりが在宅。OK

一卵性の双子とは言え、よく見ると、体つきも顔つきも何となく違って来ているのですが、よくて年に1度しか会わない私たちには全く見分けがつきません。あせる

で、名前を聞いてみて、その時は分かったのですが、今や忘却の彼方~。おばけくん

実は昨年、最後の一泊は、パンパンガから戻ってこない元研修生の義妹が切り盛りする下宿にお世話になったのですが、その最後の夜に、イハダT&Bは2人揃って手作りのデザートを持って来てくれたのです。

しかもその日は彼女達のお誕生日誕生日ケーキ

※フィリピンでは、お誕生日を迎えた本人が、家族や友人・知人をもてなす習慣があります。

なのに、昨年、私たちの予算はギリギリで、お祝いも渡せずじまい。

で、今回、日本で兎のついたピンクのハンドタオルを2枚購入。

それをバコロッドで見つけたピンク色のペーパーバッグに入れて、お土産に渡しました。

使ってくれていると良いのですが。キョロキョロ

お次はO村の最初のコンタクトパーソンで、1995年から96年にかけての住み込み調査の前の予備調査の時、ひと月ほどお世話になったこともあるJu&Je夫妻宅へ。

2人の五女で末娘の↓は

 

 

私たちの初めてのイハダ※です。

※このイハダ第1号のTは、2022年12月15日、看護師として病院に勤務するために、ロンドンに旅立ちました。

詳しくはこちら↓の後半に。

 


昨年、Ju&Je夫妻宅に立ち寄った時は、妻のJuが白布で腕を吊っていました。

転倒して肩の骨にヒビが入ったのだとか。あせる

が、今年は2人とも元気そう。グッ

イハダT以外の娘さん達もまだ帰って来ていない様子で、家の外で挨拶をして、お土産を渡して退散。DASH!

お次は、こちらもO村に通い始めた頃からのコンタクトパーソンJo&Bo夫妻宅へ。

2人の次男で末っ子のJRは、私たちの2番目のイハド↓です。

 

 

神父を目指して修行中の彼は、約2ケ月前の9月24日、布教活動の為、チリに旅立ちました。↓

 


実は、Boの父親で、私たちも親しくしていた今は亡きPおじいちゃんが、1960年代後半に、人々を組織してO村に初めて小教区の基礎を作った宣教師Gに、自分の土地を提供しました。

 

で、Pおじいちゃんの土地に、礼拝堂や神父館のみならず、教会のために働いていた人たちの家も建てられたのです。

 

その時の条件は、教会の仕事をしなくなったら、その敷地からは出て行くこと、というものだったのですが、教会の仕事から引退してからも、未だにその土地に住んでいる人達が少なからずいます。

 

Pおじいちゃんが亡くなった時、その土地をBoの姉妹・兄弟と分割相続しようということになって、未だにその土地に住んでいる人には、土地の使用料を払ってもらうようにしよう、という話になったとのこと。

 

Boは古い図面や契約書などを持って来て、彼にとって、今、最もホットメラメラな土地問題を私たちに説明してくれるのですが、いかんせん、イハダBと弟でドライバーのJRを外で待たせているので、気が気ではありません。

 

と~っても複雑な土地問題がとりあえずひと段落したところで、Jo&Bo夫妻に、この時はまだパキスタンに宣教に行く予定だったイハドJRへの奨学金とお餞別を渡して退散。DASH!

 

ちなみに、この土地問題、長年の確執もある住民同士を巻き込むことになるので、その後、どうなったのか、聞くのも何だか恐ろしい気がします。

お次は歩いてMi&Os夫妻宅へ。

 

夫のOsは、上記の宣教師Gが小教区の基礎を築こうとしていた時代に、先のPおじいちゃんの土地に礼拝堂と神父館を建てた腕利きの大工さん。

 

私たちがフィリピンに滞在していた頃は、マニラにある由緒ある礼拝堂などの修復工事も請け負っていました。


が、Mi&Os夫妻宅を尋ねると、妻のMiがマスクをしています。
 

聞いてみると、トランカーソ(trangkaso)とのこと。

※インフルエンザ

で、長居は禁物と、とりあえずお土産を渡して、ちょこっと話してから立ち去ろうとすると、大工の夫Osが、黄色いスイカ↓を切ってくれました。

 

 

で、私たちがスイカを食べている間に、魚を焼いているではありませんか!目

いつもは食事に招待してくれる夫妻ですが、今回は妻Miの体調が優れないので、会食は中止。

が、日本人にお土産だけ貰うのは忍びないというので、夕食に食べなさい、とわざわざ魚を焼いてくれたというわけです。

こういう時、村の人達はとっても義理堅いのです。


パペルの右が夫で大工のOs

ラピスの左で

座っているのが

妻のMi
 

お次に教会の横にある神父館です。

 

が、生憎、神父さん達はお留守。

 

神父さん達は年に2回、イースターとクリスマスの時期は大忙しです。

 

まるで、お盆やお彼岸のお坊さんのよう。笑

 

で、出て来た女性に、神父さん達へのお土産のTシャツ2枚とモンポ(礼拝用の赤ワイン)、それに缶入りのデンマーククッキーを渡して退散。


お次はP&M夫妻の家へ。

 

ラピスの右奥が

妻のPおばあちゃん。

パペルの左奥が

夫のMおじいちゃん。
 

この2人の娘さんMelは、私たちの結婚式のイハダでしたが、重い糖尿病を患い、片足を切断。

結局、30そこそこの若さで亡くなってしまいました。

その後、パンデミックで5年、会わない内に、夫のMおじいちゃんは認知症を発症したようで、私たちのことも分かっているのか、分かっていないのか、よく分かりませんでした。あせる

お次はL&T夫妻宅。

2人の息子Arは、私たちの7番目のイハドです↓。

 


生憎、L&T夫妻も、イハドArも家にはおらず、イハドの兄弟が出て来たので、イハドへのお土産を渡して早々に退散。

最後はLおばあちゃん宅。

Lおばあちゃんの孫は私たちの11人目のイハド↓です。

 


生憎、イハドKは遠くに働きに行っていて留守でしたが、Lおばあちゃんはいたので、お土産を渡して退散。

これで遂に挨拶すべき人はほぼ終了アップグッ

そろそろ日暮れ時でしたが、何とか真っ暗になる前に終わりました。拍手

で、3時間半もつきあってくれたイハダBと弟でドライバーのJRの慰労の意味も兼ねて、帰宅する途中にあったサリサリストアで、家族全員分のアイスクリームを買う事に。

※万屋。食べ物、飲み物、日用品などを売っている。

三女のイハダBには、2人の姉と2人の妹がいます。

その2人の妹の下に弟が2人。

2人の弟の内、上の弟がドライバーを務めてくれたJR

つまり、イハダB5姉妹+2弟の計7人姉妹・兄弟なのです。

それに両親のE&N夫妻を合わせると総勢9人。波

イハダBに9人分のアイスクリームを選んで貰って、代金を払うと、急いで帰宅することに。DASH!

夕暮れ時とは言え、30℃メラメラはあるので、愚図愚図していると、アイスクリームが溶けてしまうからです。

18:00頃

ようやくE&N夫妻宅に到着。

妻のはいましたが、夫のは不在。

挨拶もそこそこに、とりあえず、皆にアイスクリームを配って食べて貰うことに。

もちろん、家族全員、家にいるわけではないので、残った分は冷蔵庫へ。

思えば、私たちが初めてO村を訪れた頃(1993年)、人口8000人(当時)の村全体でも、冷蔵庫のある家は本当に数えるほどでした。

それが、今では小さ~なにもデッカ~イ冷蔵庫があったりして、吃驚する事も。目

みんながアイスクリームを食べていると、どこからともなく、夫のが登場。

またまたひとしきり挨拶をしてから、持って来た段ボールの中に入っていたお土産と、4日分の食料を渡したような気がします(←記憶なし)

それから手洗いなどをしていたら、早くもパペルがショートステイ中の母に電話をする時間です。

18:30 (←日本時間19:30)
 

パペル、家の外に出て、母に電話を。

パペル: おかあさん、こんばんは。パペルです

ナナイ: 私がパペルです。真顔

パペル: お母さん、いつの間にパペルなったの?爆  笑

ナナイ: 私は〇▽□※(←パペル母のフルネーム)となっています。ピンクの顔に白い顔にみんな楽しそうにしています。真顔

・・・と、何だか訳の分からない内に、何故か2分で電話は終了。笑

電話の後は、仕事関係の人達やラピス母・ラピス義妹に、無事O村到着のLINEメッセージを送ったり、日記をつけたり、水浴びの準備をしたり、ラピスがメイクオフをしたり。

19:10

・・・と、なんだかんだしていると、夕食に呼ばれました。

この日の夕食は

 

1) バングース(ミルクフィッシュ)のフライ 

2) 野菜のスープ
3) ごはん
4) スイカ

と割にシンプル(←少量とも言う)

 

が、挨拶に行ったあちらこちらで、甘い物やらフルーツやらソフトドリンクやらをしこたま御馳走になった私たちにとっては、これで十分です。

 

ちなみに、これらはこんな↓七輪のような小さなかまどに

 

見ての通り

やかんで

お湯を沸かしているところ。

 

薪をくべて料理されたもの。

 

全体はこんな感じです。

 

周りにおいてある

4つのお鍋はアルミ製。

これでご飯を炊いたり

スープを作ったりします。

この他

揚げ物には

中華鍋を使うのが一般的かも。

 

19:53

夕食後、ラピスはすかさず水浴びを。

 

フィリピンの人達は皆、朝、出かける前に水浴びをするので、夜、私たちが水浴びをしようとすると、特にお年寄りなどは激しく止めたりすることも。

が、O村からの第2研修生として、日本に1年間、滞在したことのある夫は、日本人の習慣を知っているので、何も言いません。(ホッ)

その間、パペルは夫に誘われて(←捕まって?)、ビール生ビールDrinking Sessionに突入。

21:53

ラピスが荷物の整理をしている隙に、ようやくDrinking Sessionから解放されたパペルがすかさず水浴びをば。

22:14

既に寝ている人zzzもいる中、2人でせっせと歯磨き。

 

歯磨きが終わって、部屋に戻ってからも、荷物を片付けたり、日記をつけたり、メッセンジャーのレスを書いたり。

23:03

アラームを6時にセット。

 

どうやらその後も、翌日の準備をしていたもよう。

23:30頃

ようやく就寝となりました。zzz

こうしてバコロッドからO村への移動日の長~い1日がようやく幕を下ろしたのでありました。は~疲れた~!おばけ