ちょっと雑な盛り付けが最近のラピス母らしい…。
 

2024年も三箇日が終わり、今日からお仕事という方も多いかも知れません。

私は2日の午後から仕事場に来て、年賀状のチェック等をしていましたが、パペルは今日が初出勤。

と言うのも、昨年までは2日からサービスを開始していたデイサービスBも人手不足なのか、今年は三箇日が休業となったからです。

さて、冒頭の画像は元旦のラピス家の朝食に頂いたラピス母作のお雑煮@みそ仕立て。

実は昨秋、いつもの日本料理店に元旦ランチの予約を入れたところ、11時からの枠は既に満席。で、13時30分の枠になってしまいました。

一昨年までは9月に予約電話を入れると、「こんなに早く予約する人がいる?」という雰囲気だったので、昨秋は10月に入ってから予約を入れたのですが、どうやらコロナが5類に移行して、久しぶりにお正月に集まろうという人がどっと押し寄せたようです。

というわけで、いつもは11時からのランチに備えて簡単に澄ます元旦の朝食ですが、今年はラピス母作のお雑煮と、ラピス母が毎年買い求める「迎春 いとはんの三段寿セット」の内、「昆布締めひらめと冬野菜 和のお祝いカルパッチョ」とを頂くことに。

以前はおすましと白みその両方を作っていた母ですが、2017年に父が天に帰ってからは、父の好物だったみそ仕立てのお雑煮のみ作るように。

こちら↓



影が出てしまっている残念な画像で失礼します。
 

は「昆布締めひらめと冬野菜 和のお祝いカルパッチョ」。

盛り付け例はこんな感じ↓。



 

見た目が全く違うのは、母の歯が悪く、食材が大きいと噛み切れない為、私がキッチンばさみで細かく切ってしまったからです。

 

このお節をプロデュースした方が見たら、「全然違~う!」と叫ぶかも知れません。

これらを、私からのお年賀のひとつで、パペルが選んだ昨年と同じドイツの白ワイン↓



 

を飲みながら、あっという間に平らげてしまいました。それが9時半頃。

ちなみに、このワイン画像↑の向こうにぼや~と写っている床の間に飾られている、これまたお年賀のひとつであるお花ですが、大晦日にいつものお花屋さんに行ったところ、今年は同じ商品は作っていませんとのこと。

 

で、仕方なく、スーパーで買い求めたところ、昨年まで↓



 

とは大違いのこんな激しい感じのもの↓



 

になってしまいました。

で、札を取った方がまだマシのでは?↓

 

 

と思ったのですが、母が折角だからさしておきなさいと言うので、そのまま床の間に。

さて、12時半に予約していたワンボックスカーが来て、道を挟んで向かいに住んでいる弟一家といざ日本料理店へ。

ちょっと早目に着いたのですが、11時からのお客様はもう帰ったようで、すぐに席に案内されました。

こちらは↓

 


 

最初に出た「旬采」。どれもあっさりして美味でした。

 

この後、吸物、造り、焼肴、合肴、煮物、御食事、香の物、止椀、デザートと続きます。

 

気のせいか、11時の回よりも給仕の方が落ち着いている感じが。やはり次のお客様がいらっしゃらないせいかも?

 

あらかじめ15時閉店と言われていたのですが、15時前にはすべてのお料理を頂き、15時15分には帰路につきました。

で、一端、それぞれの家に帰宅後、弟一家がお年賀を持って私の自宅にやって来て、父の仏壇にお参りし、ちょうど終わったタイミングで、大地震発生。

皆、それぞれのスマホに届く速報やテレビのニュースを見て、能登地方に大津波警報が出たことを知ることとなりました。
 

つづく

・・・・・・・


予約投稿となった大晦日と元旦の更新準備をしたのが昨年の12月30日(土)。あれから今日で5日目ですが、とても長かったような気がします。

当初の予定では1月2日(火)に更新するつもりが、元旦の夕方に発生した大地震で心がざわついて、下書きを仕上げることが出来ませんでした。

1月2日の午後、仕事場に出て来て、届いた年賀状を整理しながら、NHK地上波をつけていたのですが、それまでずっと被災地の様子を伝えていた画面に、突然、窓から火を吹いているJALの機体が映りました。アナウンサーも、羽田空港に設置されているNHKのカメラの映像だということ以外、どういう状況なのか分からない様子でした。

その火がみるみる内に燃え広がり、あれよあれよという間に機体全体を覆う大火災に。その間、中にまだ乗客がいるのか、避難は完了したのか、などが、なかなか確認できず、アナウンサーが祈るような声で伝えていたのが印象的でした。

しばらくして、乗客乗員が全員、脱出したことが分かりましたが、一方で、そのJALの機体と衝突した海上保安庁の航空機(MA722)の機長から、羽田航空基地あてに「滑走路上で機体が爆発した。自分は脱出した。そのほかの乗員については不明」との通報があったこと、機長は負傷していること、残る5人の乗組員の安否は不明であることが伝えられ、又、しばらくして、全員死亡というニュースが伝えられました。

 

このようなニュースに心を奪われている間にも、マニラやロンドンから「大丈夫?」というメッセンジャーやメールが届き、その対応にも追われ、少なくとも3日(水)に更新する予定だった記事のアップロードが今日になってしまった次第です。

令和6年能登半島地震では甚大な被害が明らかになり始めています。

昨日19時の時点で、73人の方が亡くなり、倒壊した建物の下敷きになって救助を求める通報が130件に上るとのこと。

お正月のお祝いの後、のんびりしていた時、或いは、お祝いの真っ最中に地震に見舞われた方々も少なくないと思われます。

今は唯、救助活動が少しでもすすみ、一人でも多くの命が助かることを心をこめて祈るばかりです。

末筆ながら、被害に遭われました皆様には心よりお見舞いを申し上げます。