さて、これは誰の家でしょうか?
答えは↓に。
フィリピン調査旅行記 (20) 8日目 4月6日(木)、その3です。
前回の日記はこちら↓から御覧頂けます。
神父さんと話しながら、食事も滞りなく終了。
若いアポストレス達も三々五々、帰って行きます。昔なら神父さんより先に帰る時は、ひとりずつ神父さんの傍まで来て、胸の前で手を合わせたりして、丁寧に暇乞いをして帰ったものです。
が、イマドキの若者たちは遠くからちょこっと挨拶したり、横に来て、まるで友達にでも話しかけるような調子で
アポストレス@イマドキ: この後、〇〇〇で△△△があるから。
なんて言って、立ち去っていきます。時代も変わったものです。
そんな彼らを後目に、M&O夫妻にお礼の挨拶に行くと、夫のOが
O: 君たちはいつ村を発つの?その時の車はどうするの?
と聞いてきました。と言うのも、ここ2~3回、彼が車でK市まで送ってくれていたからです。
が、今回はA&K夫妻が送ってあげると何度も言ってくれていたので、何とかうまく答える必要が。
ラピス: まだどうなるか分からないから(←嘘も方便)、もし困ったら言います(←イロンゴ語では叫ぶ、訴えるというような言い回しを使います)。
と言うと、Oも納得した顔。それを見てほっとする私。
村の人達が親切なのは有難いことなのですが、本音を言えば、誰にも気兼ねしない公共交通機関(=セーレス・バス)で村を出るのが、私達としては一番気楽なのです。
後で、ラピス&パペルは誰々の車で送って貰った、だの、誰々が送るべきだったのに、だの、色々と噂されるのも疲れます。
が、好意を無にすることは絶対にできません。そんな事をしたら、後でどんな噂がたつことか・・・。あなおそろしや。
さて、M&O夫妻宅を後にして道まで出ると、炎天下にトライシクルが1台、停まっていました。時刻は既に12時50分をまわっています。
その運転席をよ~く見ると、その日の夜から2泊、泊めて貰うことになっているE&N夫妻の五女Biが座っているではありませんか!
驚いて近づいて行く私達。で、トライシクルを指さして
ラピス: これ、あなた達の?
と聞くと
Bi: 違う、〇〇から借りて来た。
このBiはとってもボーイッシュ。トライシクル・ドライバーが様(さま)になっています。
早速、乗せて貰うと、座席がすっかり熱くなっていて、私が思わず
ラピス: 熱ッ!
と言うと、Biが
Bi: あなた達を長い間、待っていたから。
と、暗に私達がM&O夫妻宅に長居したことを指摘します。で、一応、謝る私達。
そんなBiの運転するトライシクルで、A&T夫妻宅に戻り、部屋から私達の荷物を運び出し、トライシクルに積み込み開始。どっさりある荷物が落ちないように、紐をしっかりとかけるBi。
その様子を見ていたA&T夫妻の妻のAが
A: 慣れたものね。
と感心しています。
この紐かけが下手だと、山道で荷物が落ちてしまいます。実際、以前、Biの叔父のひとりが運転するトライシクルで荷物を運んで貰った時、私のキャリーケースが落ちたばかりか、その上にトライシクルが乗り上げてしまったことがありました。
思わず心の中で
私(ラピス): うわ~!これからまだ1週間以上、フィリピンにいるのに、一体、どうしたらいいんだ~!
と叫びつつも
私(ラピス): Waay caso. Daan na na. (大丈夫。もう古いから。)
と言った私。
幸い、キャリーケースは完全に破壊されたわけではなかったので、その後はきつめにバンドを巻いて何とか帰国までもたせ、事なきを得ました。
そんな叔父とは違い、Biがしっかり荷物を紐で固定し終え、ひと晩お世話になったA&T夫妻の超豪華な家を後にしたのは13時10分過ぎ。
Biの運転するトライシクルで彼女の家、つまり、E&N夫妻宅のあるM地区に向かって出発です。
M地区は国道から徒歩で30分以上かかる山の中腹にあり、上り坂が続きます。そこをトライシクルに私達2人と2人のすべての荷物を載せて走りあがるのですから、相当な運転技術が必要ですが、紐かけが上手なBiは、運転も上手。手に汗握ることは一度もありませんでした。
思えば、私達が初めてO村を訪れた30年前は、道も整備されていなかったので、M地区には皆、徒歩であがったものです。
が、2004年頃から、E&N夫妻宅より更に山奥にある滝がK市によって開発され始めたのをきっかけに、道路が徐々に整備され、今ではバイクやトライシクルだけでなく、車も通れるようになりました。
そう言えば、まだバイクがようやく通れるようになった頃、村の人がこぞって、私達をバイクに乗せようとした時期がありました。バイクと言っても2人乗りではありません。ハバル・ハバル(Habal-Habal)と言って、運転手の他に最高で5〜6人ほどの人が乗る乗合バイクです。
大きくても250ccほどのバイクに、運転手の前に2人、後ろに3〜4人を乗せて、信じられないスピードで疾走するのですから、どんなに怖いジェットコースターにも負けません。
E&N夫妻宅の手前には、結構、広い川があるのですが、そこを渡る時、川の向こうの急な斜面を上がるために、バイクもトライシクルも、川の手前の下り坂を猛スピードで走りおり、川を渡り切るや否や、その勢いを利用して、坂を走りあがるのです。
この川をハバル・ハバル(Habal-Habal)に乗って渡る時の怖いことと言ったら!毎回、命をかけているとしか思えません。
で、ある時を境に私達は「お尻が痛いから(←これは本当です)、ハバル・ハバル(Habal-Habal)には乗りません。」と宣言。
以来、運転手と私達2人くらいならバイクに乗ったことはありますが、ハバル・ハバル(Habal-Habal)には乗ったことがありません。
さて、今回、運転手のBiを含めて大人3人と私達の大荷物を載せたトライシクルがその川の手前に差し掛かった時、あれ?と思った私達。
ラピス&パペル: あまりスピードが出ていない?
それもその筈。川底すれすれに通っていた道が、いつの間にか、かさ上げされて、川の手前と向こうの道の勾配がずいぶん緩やかになっているのです。
橋の上から下を見ると↓
翌日、国道から歩いて
E&N夫妻宅に帰った時に
橋の上から撮影しました。
川が以前よりもずっと下の方に見えます。
これくらいなら、たとえバイクでもジェットコースターほど怖くはない筈です。ま、命の危険を感じるハバル・ハバル(Habal-Habal)には2度と乗りたくはありませんが。
そうこうしている内に、E&N夫妻宅に到着。時刻は13時20分、そろそろ1日の内で最も暑くなる時間です。
こんな↓
道を下りて行くと、前回、家があった所よりもずっと奥の方に立派な家↓
が見えます。確かにメッセンジャーで、国軍に務めている次女がローンを組んで、家を建ててくれたと書いていましたっけ。
と言うのも、2021年12月、フィリピンを襲ったスーパー台風オデット(odette)※で、竹とニッパで出来た伝統的なE&N夫妻宅が壊れてしまったからです。
※令和3年台風第22号のこと。特にK市やO村のある西ネグロス州一帯の被害が酷く、一帯が洪水に見舞われている画像がSNSに多数アップロードされており、フィリピン全体では400人以上の犠牲者と1200人以上の負傷者が出ました。
ブロックとトタンで出来た立派な家に入ると、壁にはこんな↓
ウエルカムメッセージが。てっきり私達のイハダB(三女)が作ったのかと思いきや、教師をしている四女のAnが作ってくれたとのこと。
まずは私達の為に準備されたこんな↓
履いているのは
パペルです。
右側の壁にも
小さな
ウェルカムメッセージが
貼られています。
可愛い部屋に荷物を置き、お土産を持ってLDKへ。ウエルカムメッセージの貼られた壁の前に置かれている大きなテーブルに座り、飲み物やスナックでもてなされつつ、持って来たお土産を渡しながら、ひとしきり歓談。
が、のんびりしていられません。と言うのも、この日は夕方4時から教会で行事があるからです。
で、13時45分には部屋に入り、少し休憩したり、撮影したり、身支度を整え、15時40分頃、再びBiのトライシクルに乗って、妻Eと一緒に教会に向かって出発したのでありました。
つづく