
今日のひとこと再録第10回目です。
〇〇〇
2002年10月24日(木曜日)
前回は本橋〇一監督作品『アレ〇セイと泉』に描かれる「美しい話」について書きました。今日は少しだけ寄り道をして、一昨日のTOPの画像を飾ったこの映画のプログラムの中に書かれていた方の文章に触れておきたいと思います。
このプログラム、映像の美しい映画のそれとあって、ビジュアル系には違いないのですが、読む部分も結構あって充実していました。署名入りで映画評を書いておられた方が6人いらっしゃったのですが、その中で印象深かったのは、作家の田口〇ンディさんと大阪外大で教鞭をとっておられるロシア文学研究者の田中〇子さんの文章でした。
まずは田口さんの文章から。
不思議なことなのだけれど、最初に観たときは「なんというノロい映画だろう」と思った。(中略)けれども、ぼんやりと何度も観ているうちに、自分と村人達の鼓動がシンクロしてきて、私は彼らの生きている時間を共有するに至った。(中略)彼らの時間の中に入っていくと、トロいのは彼らではなく、私なのである。夜中に寝転がって、ビデオをリモコンで操作しながら、お湯は電気で沸かして、食器は食器洗い機に洗わせて、洗濯は全自動洗濯機におまかせしている私こそトロいのである。村の老人たちは、およそ生活するために必要なすべてのものを自分たちで作る。籠を編む、毛糸を紡ぐ、機を織る。農作業も、泉の修復工事も、何もかも自分たちで行う。その彼らの暮らしには「遊び」と「仕事」の区別はない。全部ひっくるめて「暮らし」なのだった。「暮らす」とは「衣食住」に関わるあらゆる営みであり、その中に綺羅星のようにクリエイティブが存在している。
田口〇ンディさんのことは、これまでも度々登場しているグループ・タイタイのテクニカルアドヴァイザーであり、「SMOKIN' CAFE」の管理人のSMOKERさまからの情報で知り、一度「今日のひとこと」でもちらりと触れたことがありますが、この方、本当に実感したことしかお書きにならないという点で、とても好感が持てます。何も感じなくても、兎に角、自分の持っている知識のモザイクでお茶を濁してしまったり、むやみに理論武装してしまう人の多い中で、こういう村に暮らした経験があるわけでもないのに、この映画を繰り返し観ることによって、わたしたちがO村で感じたのと同様の実感を持たれたことには、本当に驚きました。
次はロシア文学研究者の田中さん。彼女はこの映画の底流に「辛い暮らしや厳しい運命に耐えている人々に対する温かいまなざし」という「ロシア文学の本質」を見出されています。この映画の舞台であるブジシチェ村はトル〇トイの『イワンのばか』(田中さんは『ばかのイワンの村』と訳しておられますが…。)そのもので、アレクセイはイワンであると書き、アレクセイが小さなカエルと戯れるシーンを、ロシア人なら誰でも知っている昔話『イワン王子とカエル姫』とリンクさせ…という具合に、ロシアのことを知らないわたしたちが見過ごしてしまう部分をきちんと読み解いておられ、なるほどと思わされました。
中でも私が感心させられたのは、次の箇所でした。
招かれて町からやってきた司祭は、驚くほどよくしゃべる。汚染された土地から一刻も早く去りたいかのように猛烈な早口で。まるでビジネスマンのような司祭が登場するおかげで、悲しい運命に見まわれた故郷で最後の日々を過ごす村人の深い思いが、ひときわ強く観るものを捉える。
私はこれを読み、新しい足場の完成した泉の祝福をしにやって来たこの若い司祭の様子を見て、こんな風に感じた人は一体どれだけいるのだろうか、と思いました。 実はわたしたちも彼を見て、容姿といい、言動といい、いかにも村の暮らしを知らない「町から来た」「特権階級に属する司祭」という印象が強く、彼の非常に慌しい態度を見ていると、放射能に汚染された行政上は既に存在していない村に赴く司祭がほとんどおらず、最も若い彼が無理矢理その任務につかされたのではないかと感じました。言葉にも儀式にも重みはなく、村の人々にとっては、ほぼ10年ぶりに村に司祭がやって来た記念すべき日であるにもかかわらず、彼にとっては、日々ノルマの如くこなしている儀式のひとつにしか過ぎず、彼の様子から、とにかく一刻も早くここを立ち去りたい、という気持ちが伺えたのは滑稽であり、哀れでした。
こうしたことも、わたしたちが常住の司祭のいない小さな村の様子を知っていて初めて分かったことのように思っていたのですが、田中さんはそれをはっきりと見て取っておられて、本当に驚きました。そして、そうした現実にぴたりと焦点をあわせておられる田中さんが、この映画を『イワンのばか』と捉えていることが、私の想いと重なりました。「ドキュメンタリー」作品であるこの映画に、象徴的な「お話」を見出しておられるように思われたからです。
こうして考えてみると、私にとって、このお二人の文章が印象的だったのは、田口さんはこの「美しい話」の向こう側にある現実をしっかりと見据えておられ、田中さんはこれが「ドキュメンタリー映画」でありながら、現実にある舞台とそこに生きる人々とをモチーフに語られた「お話」であることを見抜いておられるからかも知れません。
つまり、このお二人の映画評がわたしに深い印象を残したのは、一見全く逆のように見えるお二人の視点が、この映画の最も優れた重要な点をしっかり捉えておられるからなのではないかと思っています。
ところでO村には、アレクセイより少し重い小児麻痺の後遺症のあるKさんという男性が住んでいます。Kさんはアレクセイより少し年上の40代前半。彼は、現在90歳後半の母親が55歳の時に産んだ末っ子で、父親は多分ずいぶん前に亡くなり、他の姉妹・兄弟たちは村を離れ、別の場所に住んでいるようで、障害者の彼は高齢の母親と小さな小屋で二人暮しをしています。
村での彼はほとんどの場面で無視されているか、時折、声をかけて貰えれば良いという存在。彼には「気は優しくて力持ち」という面もあるのですが、村の人々は、この親子の暮らしをそれほど気遣っているようには見えません。
生計をたてる術を持たない2人の暮らしは、炭商人をしている夫婦が時々面倒をみているとも聞きましたが、とてもそれでは食べていけないので、2人は毎朝、町まで行き、路上で人の好意にすがり、小銭を貰って生活しています。
こうした現実を見る度に、わたしたちは「昔は障害を持つ者も、村で一緒に仲良く暮らしていた。」というような、一種の懐古趣味的ユートピア論に甚だ懐疑的にならざるを得ません。そしてこうした想いは、アレクセイがなぜ30代半ばの若さで、他の高齢者達と共に放射能に汚染された村に残ったのか、という疑問に答えようとすることと決して無縁ではありません。
つづく
〇〇〇
※見落としのないよう、このブログのコメント欄は消してあります。悪しからず、ご了承下さいませ。
尚、拙サイトの掲示板はこちらです。