立冬も過ぎ、ソウルでは初雪が降ったとのこと。世界各国で出遭う韓国の人は、皆、揃って肌が白く綺麗だったのは、日照時間が短いせいがあるんだなぁ、と、改めて納得。女も男も、日本の東北地方以北の方の肌の様に、透き通った白い肌をしていました。
 私達の住んでいる地域でも、今週に入って、何となく水が冷たく感じられる様になってきたなぁ、と思ったら、立冬を過ぎた途端、朝のウォーキング時に、久々に耳が痛く感じられました。いよいよ冬もそこまで来ている気配です。
 冬来たりなば、春遠からじ、と言いますが、このまま一気に春になって貰っては困ります。その前に仕上げなければらない仕事が山積みに。(汗)
 まずは、毎年恒例のグリーティング・レターを仕上げ、世界各地に送付しなければなりません。それが終わればクリスマス。
 ほんと、1年って早いものですね。

〇〇〇

 私はあまりメールマガジンの類を読まない方だと思うのですが、そんな私が、割にこまめに目を通しているのが、「ほ〇日刊イトイ新聞(デリバリー版)」。今、改めて調べてみると、2002年7月15日に登録していますから、はや4年と4ヶ月近く定期購読(?)している計算になります。糸井氏のファンというわけでもないので、何がきっかけで登録したのか、すっかり忘れてしまったのですが、時々、毎朝恒例の母へのFAXで、ちょっと面白い投稿を紹介したりなどして、結構、重宝しております。(謝)

 さて、そんな「ほぼ日〇イトイ新聞」の第1194号(2006年11月6日付)に、こんな投稿が紹介されていました。

 私の父は整体の仕事をしてました。私も今、整体の仕事をしています。父は他界しましたが、いつも私に言っていた言葉があります。
 「家族の健康も守れなくて、いい治療は、できないよ。自分の体調を自分で整えられないようでは一人前ではないよ」


これは、常々、感じていることそのものだったので、我意を得たりと思った私。

 そう言えば、惜しくも数年前に他界された、パペル自宅近くのカイロプラクター(chiropractor:脊柱指圧療法師、いわゆる、カイロプラクティック師)の方も、同じようなことを仰っておられたことがあります。
 その方にお世話になったのは、何足もの草鞋を履き、動物としての基本である「食事」「睡眠」「運動」のすべてをないがしろにしていた1980年代後半のこと。まだ20代だった私ですが、そのツケはしっかり回ってきて、身体にガタが出始めていました。
 で、これではならじ、ということで、まずはパペルのすすめで、身体の歪みをなおしに行ったのが、カイロプラクティック初体験。お陰様で、数回の治療後、それまで見た目にもはっきりと分かるほど左右に随分曲がっていた身体がまっすぐになり、以来、極端に歪むこともなくなりました。
 以後、1991年4月に日本を離れる迄、調子が悪くなると、時々、通って歪みを治して貰っていました。
 そんなある日、まっすぐに調整した姿勢を維持する為の体操を教わっていた時のこと、その方は、自分も毎朝、起きるとすぐに、簡単な体操をする、と仰っておられました。

 だって、やっぱり、自分がまず元気でないと、患者さんを元気にしてあげられないでしょ?

 彼女は多分、パペル母と同年輩だったので、はや20年近く前になる当時でも、60歳近かったと思うのですが、人並み以上に身体が固かった20代の私には信じられないほど、柔軟な身体の持ち主で、自由自在に身体を曲げておられました。そんな彼女を見ているだけで、自分の身体も少しずつ良くなってゆくような錯覚を覚えたものです。

 日頃から、パペルともよく話すのですが、例えば、肥満体のエアロビクスの先生や、お肌がボロボロのエステティシャンというのは、どうしても信用がおけません。やはり、自分の身体の管理もきちんとできない人が、人の身体の管理ができないのは、火を見るよりも明らかです。
 特に、整体やカイロプラクティック、マッサージなど、直接身体に触れて人の身体の調子を整える人は、自分の身体に老廃物が溜まっていると、そこから出る悪い「気」がもろに相手に移って、相手の症状を余計に悪化させてしまう可能性もあるので、充分な注意が必要です。
 例えば、睡眠パターンが不規則で、睡眠不足の上に、規則正しく食事を摂らず、食品添加物満載のインスタント食品や糖分・油脂たっぷりのお菓子に依存し、運動もほとんどしない人に揉んで貰えば、その人の「老化」や「疲労」といった悪い「気」が、こちらに乗り移ってくるでしょう。そういう人は、まず、自分の身体をしっかり管理し、健康にしてから、人の身体の治療にあたった方が賢明だと思います。

 が、人の身体の治療にあたっている人は、日本だけでも五万といますが、自分の身体の管理がゆき届いている人にお目にかかるのは、なかなか難しいのが現状です。
 昔から「医者の不養生」という言葉がありますが、やはり不健康な人に身体について、ああだこうだ、と言われるのは、何となく腑に落ちないものです。例えば、自分はお酒も煙草も好きなだけ飲んだり吸ったりして、標準体重も守れず、脂質や糖分に依存している人から、「酒と煙草を謹んで、体重を落とし、脂っこい物や、甘い物を控えましょう。」と言われても、「他人にはとやかく言う前に、自分がまずそれを実行してみれば。」という気持ちになるのは、無理のないことです。
 逆に、90歳半ばになっても、尚、エレベーターを使わない某有名医師などに何かアドヴァイスを受けたら、年齢約に半分の私ならそれくらいできなければおかしい、という気になるでしょう。

 これは何も東洋、西洋を問わず、医療の世界に限った話ではありません。いわゆる開発と呼び習わされてきた世界でも同じこと。
 これまでの「開発プロジェクト/プログラム」や、NGO/GOのコンセプトには、「sustainability(持続可能な)」、「ecological(環境保護に配慮のある)」、「self-reliant(自立的な)」、「gender sensitive(社会的性差に意識的な)」といった様々な形容詞が付されてきましたが、まずはその「開発プロジェクト/プログラム」を実施する人々や、NGO/GOのスタッフ自身の日々の暮らしがそうであるかを検証することが、それらNGO/GOが行なっている「開発プロジェクト/プログラム」を正しく評価する第一歩なのではないでしょうか。そして、その暮らしぶりが、持続可能でなく、環境破壊的で、依存的で、社会的性差に鈍感であるならば、まずそこから変えてゆく必要があるように思います。

 今のこの世界を構成している一番小さい単位は、個人です。その個人である自分が変わることが、世界をより自分の望む方向に変えてゆく第一歩です。ミクロからマクロへ、というよりは、ミクロすなわちマクロ、これが私達グループ・タイタイの基本であり、「考えるノート」というサイトを立ち上げた時のコンセプトです。
 サイト開設からもうすぐ5年。今いちど、初心に返って、日々の暮らしを見つめなおしたいと思っている私達です。

                                 ラピス(Lapis)