いよいよ夏休みが終わります。
毎年、この時期になると思い出すのは、「あ~やっと夏休みが終わる。」という溜息交じりの母の声。夏休みの間、家事を手伝いもせず、TVの前でごろごろして、掃除しようにも思うように捗(はかど)らず、学校のある日なら家にいないお昼時にも「お腹空いた~!」と叫ぶ子供が2人もいたら、「もううんざり!」というのが母の本音だったのだと思います。
ちなみに、母親にはならなかったこの私も「夏休みが終わったら、この集合住宅も、静かになるだろうなぁ。」と密かに期待をしていたりも。
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さて今日は、旧友Sさん(註:手作りカレンダーのSちゃんとは、また別人です、念の為。)とGRISさんとの食事会の顛末を、GRISさん話題を中心に、かいつまんで御報告したいと思います。
掲示板の方にも書きましたが、Sさんは中高時代の友人で、学校主催のスキーや登山などの行事に参加した際、よく同じグループになった仲。でも、中高大を通じてテニス部で、バリバリ運動系のSさんとは、普段は別グループに属していました。
しかも、大学も別の学科(註:Sさん、手作りカレンダーのSちゃん、そしてGRISさんの3人は同じ学科です)。が、Sさんと私は、大学生になっても、尚、しつこく中高生登山に参加したり。(謎)
大学卒業後、彼女はお見合いでいちはやく結婚。一方、私は進学。という訳で、暫くは年賀状のやり取りのみが続いた後、1991年、私とパペルがそれぞれフランスとドイツに渡った頃、Sさんは御夫君の赴任でロンドンにおられました。で、翌1992年にフランスからイギリスに渡ることになっていた私は、クリンの問題(御存知の様にイギリスでは、海外からの哺乳類はすべて、6ヶ月間、検疫所に留め置かれるのです)で、ロンドンの彼女に質問の手紙を出しました。すると、とても丁寧なお返事が返って来て、感激!(その節は本当にお世話になりました>Sさん)
というわけで、1992~1993年にかけて、私達がロンドンに滞在した間、Sさんとは、2度ばかりお目にかかりました。
初回は彼女のお家にお呼ばれ。行ってみると、美味しい手作りカツサンドウィッチが作られていて、それを2人で食した後、よもやま話をひとしきり。その時、Sさんが、GRISさんの留学先に家族連れで訪問した時の様子を話してくれました。
このSさんとGRISさん、大学では同じ学科で、大学時代の同級生、とも言えるのですが、実は時をぐ~んと遡(さかのぼ)れば、幼稚園こそ違っていましたが、住んでいる地域が近かったので、小学校は同じ校区。で、2人は幼かりし日、よく一緒に遊んでいた仲だったのです。
その後、私がSさんと御一緒した中高時代、GRISさんは別の学校に通われ、大学で初めて3人揃って同じ学校に籍を置くことになったという次第。
さて、話を1992年のロンドン、Sさん宅に戻しますと、SさんがGRISさんとの再会の様子を話された時
「GRISが、ラピスと連絡とりたいって言ってたよ。」
と仰ったのです。
このひとことがきっかけで、大学卒業以来、途絶えていた私とGRISさんとの交友が復活したのでありました。
で、私達がロンドンから帰国後、フィリピンに渡るまでの僅か3ヶ月の間に、ひと足先に留学先から帰国されていたGRISさんと、なんと7回もお目にかかるという快挙(?)を達成!その後は、フィリピンと日本で離れ離れになり、1999年末、私達がフィリピンより帰国してからは、年に2度ほどお目にかからせて頂いていることは、御常連さんなら御存知の通りです。
つまり、SさんとGRISさんは小学校まで一緒、その後、Sさんと私が中高で一緒、大学ではまたまたSさんとGRISさんが同じ学科。という具合に、一緒に過ごした時期が少しずつ微妙にずれていて、ちょっと複雑な関係の3人が、今回、Sさんの帰省をきっかけに集まることになったわけです。イギリスから帰国後、暫くして、介護関係の仕事に就かれたSさんは、年々忙しくなり、5年間まともな休暇がとれなかったこともあって、帰省する機会もなかったとのこと。というわけで、GRISさんとは留学先での再会から16年ぶり、私とはロンドン以来14年ぶりの再会と相成ったという次第。しかも、それぞれ長い付き合いにもかかわらず、3人で会ったのは、なんと、これが初めてだったので御座います。(長~い前置き終了 汗)
↓「脳トレーニング@旧友との再会 その2」につづく
http://blogs.yahoo.co.jp/grouptaytay/18617407.html