染めと織の万葉慕情99
竹取の翁の衣(三)
1984/03/23 吉田たすく
竹取の翁(おきな)の衣の歌の続きです。ベストドレッサーのハンサムであった翁の青年時代の歌がまだ詠(うた)われていきます。
屋(いへ)に經(ふ)る 稲置丁女(いなきをみな)が 妻問ふと われに遺(おこ)せし をちかたの 二綾下沓(ふたあやしたくつ) 飛ぶ鳥の 飛鳥壮士(あすかをとこ)が 長雨禁(ながめい) み 縫ひし黒沓(くろくつ) さしはきて 庭にたたずめ まかりな立ちと さふる少女が ほの聞きて われに遺せし 水源(みはなだ)の 絹の帯を 引帯なす 韓帯(からおび)に取らし 海神(わたつみ)の 殿の蓋(いらか)に 飛び翔(かける (す)がるの如き 腰細に 取り飾らひ………
家内に生活している稲置女が、求婚のために、私のところへよこしてくれた遠い国からの舶来品の二色の糸で織った綾織の靴下をはいて。 飛鳥(あすか)の男の靴職人が、長雨や天気に気をくばって靴に黒漆をぬって、縫いあげた黒沓(今ではエナメルぬりのピカピカ靴の事です。)をさしはいて、庭に出てたたずんでいると。 乙女があらわれたと思ったら、「お帰り、そんな所に立ってないで」と、母にじゃまされてしまった。その声を乙女がほのかに耳にして、そそくさと持って来た物を置いて行った。水縹、みはな色、うす水色の絹の帯であった。その帯を服の上に外国風に結びたらし、海神の御殿の屋根に飛びまわるジガバチのように、腰細によそおい飾り・・・。
ここに当時の男性のファッションが見られます。
「ハチの腰のように細腰」とあるように、今の女性がウエストをしめてヒップを強調しているのと同じファッションがあった事はおもしろいですね。
歌はまだ続きます。
そうして澄んだ鏡を並べかけて(今の三面鏡のようです)自分の顔を度々映して見ながら、春になって、野原を行きめぐると私を面白く思ってか、
野の鳥も来て鳴いて飛びまわり、秋になって山辺を歩けば、なつかしく私を思うからか、空の雲も行きたなびいて流れて行きます。
野山から帰って都大路に足を進めば、宮仕えの美女達や舎人(とねり) の男達も私をひそかにかえりみて「あの貴人はどこの人だろう」などとうわさされた私だったんですよ。
昔はこのように幸せだったこの私なのに、今日はあなたたち九人の美女にばかにされてなさけない。
だけれど、そんなにばかにするもんじゃないんだよ。といって、竹取の鈴の歌は終わるのです。
この歌の中に染織品に関係した言葉が二十三個も詠われているのには驚きです。
(新匠工芸会会員、織物作家)