染めと織の万葉慕情48   春の歌(2) | foo-d 風土

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染めと織の万葉慕情48

  春の歌(2)

   1983/03/11 吉田たすく

 

 この前の文に「庭のサンシュの木の枝に黄色なつぼみがふくらみ」と書いたつもりのサンシュが、ミスプリントでユの字に一本加わってサンショになってしまって、サンショにどうして黄色いつぼみがつくんだ、という指摘をうけて大わらいしましたが、あれはサンシュのつぼみの事でした。そのサンシュのつぼみも、この一週間の春雪に降られる寒さにもかかわらず、五分咲に明るく開きかけて来ました。 この花が満開に近くなると、今度はレンギョウの黄色い花がじゅずつなぎに開き、一日一日と春色を濃くして行きます。

 さて、竹取の翁の歌のつづきですが、このたびは翁の華やかな少年時代に、こんなにあでやかで華麗な衣服を着た事をならべつくして女の子に大変もてた事を詠うのです。

 さ丹(に)つかふ 色なつかしき紫の 大綾の衣 住吉の遠里小野のま榛もちにほしし衣に 高麗錦 紐に縫ひ付け 刺部重部 なみ重ね着て打麻やし麻績の子ら あり衣の宝の子らが うったへは緑(へ)て織る布 日ざらしの 麻手(あさて)作りを 信巾裳(ひらみ)なす 脛裳(はばき)に取らし 若やぶる 稲置娘子(いなきをとめ)が 妻(つま)どふと 我(わ)れにおこせし

 赤みがかったいきな色合の紫の派手な模様で、住吉の遠野小野というところの榛(はん) の木で染め上げた衣に 高麗錦(舶来の上等なにしき)の紐を縫いつけて重ね着をし、なおその上に麻績ぎの子や財部の子らが、打って作った糸を機にしかけて織った布を水につけ、日によくほして仕上げた。麻の手織の布をス・トールにかけたり、また・スカートにはいたように可愛らしく着こなしたものだ。 またいつも御殿で生活している稲ぎ乙女が、私に求婚のために送ってくれた。

 靴の話も出て来ます。

 おちかたの二綾下沓(したくつ) 飛ぶ鳥の飛鳥壮士(あすかおとこ)が長雨いみ縫ひし黒沓(くろくつ)さしはきて庭にたたずめ退(まか)な立ちと障(さ) ふる乙女がほの聞きて

 舶来の二色の綾織の靴下をはき、飛ぶ鳥のアスカの村の靴作りの名人が長雨の日をよけて縫い、黒漆をぬって作った革靴をはいて庭にさまよっていると、「庭に立ってないで帰りなさい」と母に邪魔にされた女の子がほのかに耳にして…..

 革靴をはいた美少年の姿がうかがわれておもしろいものです。当時の服装は、ちょうど現代の形によく似ています。

    (新匠工芸会会員、織物作家)

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。

 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中のテーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

https://ameblo.jp/foo-do/

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

 

 

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