小さな頃 料理学校に行きたいと親に言うと、そんなところへ行く金があったら旨い店で食べなさい。と貧乏だった親がよく言いました。
実際、目で勉強しても手の勉強になっても舌の勉強にはなりません。10代の頃からおいしいお店に行くと、気に入った料理は時々自宅で再現しようと真似て作っていました。
似た食材はあっても同じものはありません。ある材料であのように美味しくするには、どう作れば良いか組み合わせを様々考え作ります。
これが面白いのです。
器はどうするか、セッティングもコーディネートも
これも面白い。
油絵のように絵の具を重ねるのに似ていているが、そんな単純なものではない、同じ食材でも味が異なり、部位でかわり、一滴でも変化します。ここに時間と言う要素が更に加わり変化します。
加えた順番によっても味が変わり、潮時 塩梅 エトセトラ
面白い世界。
良いお店の料理を口に入れることこそ最大の勉強になりますから、貧乏でもお金を貯めて時々食べに行くようにしていました。
だから、ファミレスや回る寿司、一般的なチェーンのお店、特に化学調味料を使っているような店は健康にも?ですから、味の勉強にならないし、お金がもったいないので、自分では全くいきませんでした。
その金があれば数回分貯めればおいしい店に行けますからサラリーマンの少ない小遣いでも年に数回は食という美を楽しむことができます。
今も自分磨き、新しい発見を求め、毎年数回はおいしいと言われる様々なお店に行って勉強しています。
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懐石やレストランのコース料理はオーケストラによる交響曲と同じ。
コンサートホールに入る前のトキメキと、コンサートホールの静けさ、時々チューニングなどの音も。演奏の始めまで徐々に高揚していく。
コンダクターの一振りではじまる演奏は それぞれの楽器がその特性を最大に生かしながらある時は激しく、ある時は優しく流れていく交響曲の旋律に乗せて 終盤のフィニッシュへと盛り上げていく、
レストランの前から入り口を入りダイニングルームのコーディネートを楽しみ テーブルへと誘われセッティングを観る。
お皿や食材のレベル、使い方。
盛り方、コーディネート。
様々な食材の組み合わせ、考えたこともなかった組み合わせや調理法。
味の組み合わせの妙
それぞれの料理とコースの順番、強く弱くメロディのような味のハーモニー、
各々の料理にきちんと合うワインやお酒。
最後にエスプレッソダブルをいただきながら料理全体の余韻を懐かしむ。
これこそ食の楽しみです。
どんな料理にもそれぞれの歴史があり物語があります。
食材や料理、食空間や器にも、更に亭主にも客人にもそれぞれ生まれてきてからの歴史が有り、それらが一堂に介して 新しい物語が生まれます。
食とはあらゆる芸術を包含した総合芸術。
味覚.嗅覚.視覚.触覚.聴覚 五感の全てを使って表現する芸術は食だけしかありません。
更にその魅力は、出来た瞬間から食べられて無へとつながり、余韻だけ残すという「時間」までも包含した至高の刹那的芸術です。
懐石料理は茶事の中から生まれ、「おもてなし」の心と
今 この時を感謝する「一期一会」の心の世界。
料理、食空間すべてと 本日来られたお客様との出会いこそ人生最大のすばらしい出来事となりますように。
コース料理や懐石料理は沢山の楽章をもつ交響曲
アプローチから演奏会場(ダイニング空間)へ、 そこは様々な調度品、夫々の楽曲それぞれの楽器(食材・器)のハーモニー。
更に演奏会場に来られたお客様まで すべてが自然に調和してこそ 初めて完成するものです。
どんな食材にも心があり生きています。
料理にも
器にも
食空間にも
すべて心があり生きています。
彼らを人のように思い、人と同じように接してその心を引き出して上げると皆が自分の魅力を最大限に出して食の場が完成し美味しくなります。
食材の心がわからないで料理するから不味くなり、
食材の心を無視して余分なことをし過ぎるから料理は不味くなると思います
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食とはあらゆる芸術を包含した総合芸術です。
いいお店に行くと毎回必ず何かしら新しい発見があり、何よりもすばらしい勉強になります。
だからカウンターのあるお店では極力カウンター席に取ります。
昨年も素晴らしいお店に行きました。それが私の拙い「野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石」にも活力を入れてくれ、知の欲求は更に強くなります。
食の美は料理ができてから消滅へと向かい
記憶の中にしか残らない。
記憶を作り続け重ねていくもの。
知り続けなければ、お客様へあたらしい満足を提供し続けられません
2023年もまた可能な限り
素晴らしいお店へ食というすばらしい美の勉強へいきましょう。
