大阪日本民芸館50周年記念 秋季特別展
「濱田庄司と柳宗理 —ふたりの館長—」
濱田は大阪日本民芸館の初代館長を、柳は二代目館長を務め、当館には彼らにゆかりの作品が多数収蔵されています。分野は違えども、二人の館長は大阪日本民芸館の萬集や展示に関して、一様に「新作の蒐集・紹介こそ目標であり使命」と考えていました。
濱田庄司は、同館の前身となるパビリオン「日本民藝館」(大阪万博にて出展)で名誉館長を、1972年に「大阪日本民芸館」が開館して以降は亡くなる直前まで館長。
柳宗理は、1978年から館長を務め、インドを中心に海外の染織品や沖縄の陶磁器、そして濱田庄司と同様に当時の新作の蒐集に携わり、さらに、展覧会のポスターや図録の製作も手掛け、デザイナーとしての手腕も発揮。
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濱田庄司は、子供の頃から大好きで展覧会や益子迄にも行き特によくみていて拙宅の蕎麦懐石でも使っていますが、温かい作品で他の陶芸家のものより使い勝手が良いような器を作られます。
柳宗理は、父の柳宗悦はその思想や美意識など、ほんのすこし観たり読んだりしていますが、柳宗理についてはバタフライチェアのデザインは素晴らしいと思うし、キッチン用品も機能美があり素晴らしいと思いますが、ダイニング用のカトラリーや茶碗、皿等は、どうもなぜかどこか垢抜けなくて安っぽく感じられて使いたいと思わなかった。
今回いい機会なので、果たしてそうなのか、もう少し柳宗理を勉強しようとこの展覧会へ大阪迄出かけました。
広大な万博公園の一区画に大阪日本民芸館はあります。
(民藝とは民の芸術、用の美であり、民で広がる世界であり、濱田庄司が生きていたら彼の信条としては撮影は許可したいと思っていたでしょうが、館内は民藝なのに残念ながら撮影禁止でした。この為写真は公のもの一部だけしかありません)
先ず初代館長である濱田庄司の作品が陳列されていて、第二展示室 二代目館長の柳宗理作品が陳列されていました。
彼らそれぞれがどのように民藝と向き合い、館長としてなにを遺したのか、ふたりの館長の仕事の軌跡を見ながら、私の人生の中でそれらの作品に会った時や使用した事その時どの様に感じていたかなど、様々思い巡らす貴重な時間でした。
濱田庄司と柳宗理 どちらも「用の美」の世界なのですが、その作品表現は大きく異なり、
濱田庄司は一点づつ作る個の世界。
柳宗理はマスの世界。
濱田庄司の大地の土や人の温かさを感じる作品 料理を美味しくする「料理の着物」の様な器達であり、
柳宗理は機能に特化し無駄を排除したすっきりとしたシャープな世界です。
柳宗理作品は作業の場であるキッチンで使うものにはすごく良いものが多く、当に機能美の世界。
ステンレスレードル(おたま)の形やカーブ、ステンレスボールの計算し尽くされた裾のアール、パンチングボール、キッチンナイフなどキッチン用品はどれも無駄がなくとてもシャープでスッキリと形も良くこれぞ機能美といえる。
ところが、ダイニング用品で感じることだが、スプーンやフォーク、焼物の碗や皿、薬缶などにはキッチン用品で見るようなシャープさやキレが少なく、あれだけスパっと切った様な潔さが引っ込みシンプルではあるがノペーっとしてどことなくポヨンっとしているものが増える。なんか甘っちょろい。特に陶磁器がその傾向が強い。
その結果どことなく安っぽく見えるのはなぜでしょう。
厳しい仕事の場で使うキッチン用品には究極の機能を求めるから、冷徹とも見えるシャープさが『美』となるが、
人と人が和み温かさや柔らかさのある食事の場であるダイニングではその魅力である冷徹とも見えるシャープさを控えて、柔らかさを入れたのでしょうか?
機能美が薄らいでぽやーんとしてしまい、しっくりこないんです。
例えていうと、アウトドアやカジュアルな軽い感じの食事にも合います。IKEAの家具などと同じようにシンプルで機能的だけどちょっと軽いカジュアルさですね。
子供がまだ小さな家庭で普段の食事でカレーライスやチャーハンを食べるときにはよく合っていますね。
ケトル一つとっても100回以上試作や作り直して完成されたそうです。
しかし、家庭でもちょっとオシャレな食事をしようと思ったとき
あまりにも普通っぽくて
しっくり来ないんですね。
中途半端に甘くせず、
機能美のキリっとした中に遊び心を一滴垂らす様なデザインが欲しかったと思います。
面白いですね
濱田庄司の器は、漬物を乗せても良いし、ご馳走にも合います。
ただ、柳宗理の製品は左右に少しブレを感じますが、彼の収集したものを拝見するにつけ、ものを見る目は本物 素晴らしい方だと思いました。
ミュージアムショップも一般の美術館等とは異なり、展示室の一つと考え、厳選し、こだわりをもった国内外の民藝品と民藝関連書籍を取り揃えています。
何年も大切に使い続けていける良質の品々を選び、特別展や季節にあわせた商品も扱っています。また、工業デザイナーである柳宗理デザインによる製品も販売していました。
そして、その多くが懐かしいものばかり、
島根・出西窯 (しゅっさいがま)布志名焼 (ふじなやき)兵庫・丹波焼 (たんばやき) 大分・小鹿田焼 (おんたやき)鳥取・因州和紙(いんしゅうわし)等等
子供の頃から実家で実際に使ってきたものが沢山販売されていて、またここで思い出が甦って いい時間でした。
いつ来ても
来るたびに
懐かしく
温かい
心のふるさと
民藝館
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柳宗理は柳宗悦の子として1915年東京に生まれ、千葉県我孫子の手賀沼の畔で育ちました。そばに白樺派の志賀直哉や武者小路実篤が住み、イギリス人陶芸家バーナード・リーチが週の半分過ごしていたその頃の柳家は、白樺派が集めた彫刻や絵が置かれ、様々な文人、芸術家が出入りし、西洋美術や日本の文学に触れられるところでした。
1934年、宗理は東京美術学校油絵科に入学。フランス人建築家ル・コルビュジェの「現代の装飾芸術」を読み、装飾のないところに真の装飾があることを述べたその本に、宗理は自分の進んでいく道を見つけます。 終戦後は工業デザインに着手し、1952年には毎日新聞社主催の第一回工業デザインコンクールで第一席に入選。その後、柳デザイン研究会を設立します。手掛けたデザインは、「バタフライ・スツール」や照明、オート三輪、陸橋、オリンピックの聖火台などと幅広く、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やルーブル美術館などでは作品が永久保存されています。







