ある朝ある町で 鯨が空を飛んでた
空よりも広い大空
夢を求めて 飛び立った

昔の森の中には 鯨が暮らしていた
幸せの花の咲いてた
森で楽しく遊んでた

いつか時の流れに押し流されて
海に沈んだ かわいそうな鯨

いまでは 海でさえ鯨は暮らせなくて
せっせと 羽根をつくって
狭い波間を飛び出した


話は 五十年たったあとの出来事
宇宙には夢が広がる
だけど地上は荒れ果てる

みんな ある町の窓から鯨をみた
大空が暗くなるほど
鯨で空はうずまった

いつか時の流れに押し流されて
空に飛び立つ かわいそうな鯨

その日の昼過ぎに あわれな鯨のむれは
次々 打ちおとされて
魂だけがとんでった



昔、ある大海原に1頭のクジラが住んでいました。

クジラは自由に大海原を泳ぎ回り、どこへでも好きな海に行くことができました。

ある日、クジラはいつものように餌となる小魚を求めて、今まで来たことがなかった小さな湾にたどり着きました。

湾の中にはびっくりするほど沢山の小魚がひしめくように群がっていました。

その湾には小さな川が流れ込んでいて、小魚たちは川が運んでくる餌を求めて群がっているのでした。

クジラは大喜びで小魚の群をめがけて突き進んで行きました。

「ザブーン!」と音を立てて必死になって小魚を食べました。

しばらくすると、クジラはもうこれ以上食べられない程にお腹が一杯になりました。

こんなに食べることができたのは久しぶりのことでした。

その後、クジラは何日も小魚の群れるその湾に通い続け、そしてお腹が一杯になるとまた大海原に戻っていきました。

ある時クジラはその川をさかのぼってみたいと思うようになりました。

しかしクジラの身体は大きすぎて、とても川を上ることはできません。

クジラが川を上る?そんな話は聞いたことがありません。

鮭が生まれ故郷の川を上ることはありますが、それは元々鮭が大昔、川に生きていた魚であった証でありました。

いったいクジラの故郷は何処なのでしょう?

そんな事を考えているうちにクジラは何だか急に寂しくなりました。

いったい僕の故郷は何処なんだろう?

来る日も来る日もクジラは思うのでした。

この曲は「空飛ぶ鯨」というタイトルで1974年12月20日、、日本フォノグラム(後のマーキュリー・ミュージックエンタテインメント → 現在のユニバーサルミュージック)からリリースされています。

歌っているのは「ちゃんちゃこ」、1970年代に活躍していた2人組のフォークグループです。



並木通りにある
小さな画廊の飾り窓
やせた女のデッサンが
朝の銀座をみつめてる

その娘の名前はルイと言い
酒場につとめていた
気だてのいい娘で 浮いた噂の
一つも聞かない 娘(こ)だったが
ある日絵描きの タマゴと恋に
恋に落ちたよ

はたで見るのも いじらしく
オトコにつくしていた
きっとあのひとは 偉くなるわと
くちぐせみたいに くりかえし
飲めぬお酒をむりやり飲んで
みつぎ続けた

オトコは間もなくフランスへ
ひとりで旅立った
あとに残されたルイはそのうち
深酒かさねる 日がつづき
彼の帰りを 待たずにひとり
死んでしまった

やつれた瞳をして三月あと
戻った恋びとは
お金かき集め ルイという名の
小さな画廊を 開いたよ
いつもあの娘が どこより好きと
言ってた銀座に

並木通りにある
小さな画廊の飾り窓
やせた女のデッサンが
雨の銀座をみつめてる



銀座の酒場に勤めていた
ルイという名の女が
画家の卵と恋に落ちる。

からだを壊すほど男に尽して
貢いだルイ。

しかし男はフランスへ渡り、
残されたルイは彼の帰りを
待たずに死んでしまう。

ルイの死後に戻った男は
銀座に小さな画廊を開く・・・


ルイの死後に戻った男は銀座に小さな画廊を開くというストーリーがシャンソン風の曲で語られます。

この曲の特徴は出だしとラストのメロディーと間のメロディの曲想が変わること。

みなみらんぼうの「ルイ」全体が4/4拍子ですがちあきなおみの「ルイ」の中間の部分は3/4拍子になっていて、より味わい深いかも。



ここの山の 刈干(かりぼ)しゃ すんだヨ
明日はたんぼで 稲刈ろかヨ

もはや 日暮れじゃ 迫々(さこさこ)かげるヨ
駒(こま)よ いぬるぞ 馬草負えヨ

屋根は萱(かや)ぶき 萱壁なれどヨ
昔ながらの 千木(ちぎ)を置くヨ

秋もすんだよ 田の畔道(くろみち)をヨ
あれも嫁じゃろ 灯(ひ)が五つヨ

おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬(おうせ)ヨ
こよさ母屋(おもや)の 唐黍(とうきび)剥(む)きヨ

歌でやらかせ この位(くらい)な仕事ヨ
仕事苦にすりゃ 日が長いヨ

高い山から 握り飯こかしゃヨ
小鳥喜ぶ わしゃひもじヨ


「刈干切唄」は秋山の草刈りで歌われる、男性的で風土色の濃い、仕事唄です。
 
阿蘇連山が、その稜線を際立たせる秋の半ば、期間にして9月下旬から10月上旬にかけ、高千穂地方や五ヶ瀬地方では、山の斜面に密生した雑草を刈り取る農作業が行われます。
 
これは春の山焼きとともに、古くからの季節の行事で、家族ぐるみで出掛けるのがならわしとなっているそうですが、結(ゆい)の形を守っている地区もあります。

まだ青さの残るマカヤ(ススキ)などを、背丈を越す大鎌で払い刈り、天日で乾燥させ蓄えます。

この一連の作業を刈り干しと呼んでいます。

干し草は冬場の家畜の飼料として使われるわけですが、そうした山で働く男たちの伴奏歌として、またのど比べとして歌い競われたのが「刈干切唄」。

名人と言われた故佐藤明は、「山では夜明けとともに歌声が上がり、あちらの谷こちらの谷と、一日中絶えることが無かった」と当時を振り返っています。

もちろん自分の居場所を家族に知らせるためや、歌垣としても歌われています。
 
土の香りを漂わせた素朴で大らかな節調と、明るく力強い歌唱は、こうした暮らしの背景から生まれてきているのです。
 
刈り干しの作業は所によって異なり、それが節づくりにも、少なからず影響を与えています。
 
五ヶ瀬地方の山で使用される鎌は、柄の長さが50センチほどで、片手で自由に扱える大きさ、その際の仕事唄は、小節を押さえた軽快なテンポで、一節がおよそ30秒前後。
 
これに対し高千穂地方では、背丈を越す大鎌を使用し、倍の長さで朗々と歌い上げます。
 
この相違は使用する鎌の柄の長短にあり、それを手にして左右に振るう振幅が、テンポの基になっていると推測。
 
地元で生まれ育った民謡「刈干切唄」には、山の刈り干しと呼ばれる、陽旋律のものと、昭和15年に普及版として補作された、陰旋律のお座敷調のものとがありますが、どちらも全国区の民謡として愛唱されています。

ここの山の刈干しゃ すんだよ
     明日は田んぼで、稲刈ろかよ
 最早日暮れじゃ迫々 かげるよ
     駒よいぬるぞ 馬草負えよ
 
肝心の刈り干し風景はかつての姿を変えつつあるようですが、山の叙情をたたえたこの唄は、これからも歌い継がれて行くのでしょうね。