二代目社長 11/30
今日はアナリスト向けの中間決算説明会がありました。
いつもより多い方々に来ていただき、以前よりもfonfunへの関心が高まっていることを感じました。
この説明会の模様(動画)は、早速ホームページにアップしていますので、ご興味のある方は、PCにてfonfunホームページをご覧ください。
話は変わりますが、今日はグループウェアを提供しているサイボウズの青野社長と食事をご一緒してきました。
サイボウズさんとは、たまたまなのですが、投資している先が重なっていたり、fonfunの監査役が同社の子会社の社長をしていたり、という縁があります。
青野さんとは、数年前にとある泊りがけのカンファレンスで、偶然飛行機の座席が隣り合わせになったことからお知り合いになり、両社ともビジネス向けのサービスを提供(先方はPC・法人、fonfunは携帯・コンシューマがメイン)しているということもあり、何かご一緒できないかという話が盛り上がりました。
青野さんとは、もう一つ共通点があります。
それは二代目社長であること。
サイボウズ社は、高須賀さんという創業社長がいらっしゃったのですが、2年ほど前にお辞めになり米国に渡られました。
fonfunは、飯田さんという創業社長から、やはり2年前に私にバトンタッチしています。
そういう意味では、創業社長が持っていた株の移動先で悩んだり、今までの路線から大きく舵取りをしなくてはいけない点など、同じ境遇を経験しており、感覚が共有できる方です。
歴史の短く創業社長が目立ちがちなネットベンチャーの業界で、このような世代交代はとても珍しいケースです。
ただ、青野さんは大株主社長であるにもかかわらず、私は少数株主社長である点が大きく異なります(笑)。
それは、本日色々お話をしている中でも正直羨ましく感じる部分がありました。
サイボウズさんは既に一部上場を果たされていて時価総額も大きいので、私が言うのも僭越なのですが、二代目社長としてお互い頑張っていきたいと思います。
いつもより多い方々に来ていただき、以前よりもfonfunへの関心が高まっていることを感じました。
この説明会の模様(動画)は、早速ホームページにアップしていますので、ご興味のある方は、PCにてfonfunホームページをご覧ください。
話は変わりますが、今日はグループウェアを提供しているサイボウズの青野社長と食事をご一緒してきました。
サイボウズさんとは、たまたまなのですが、投資している先が重なっていたり、fonfunの監査役が同社の子会社の社長をしていたり、という縁があります。
青野さんとは、数年前にとある泊りがけのカンファレンスで、偶然飛行機の座席が隣り合わせになったことからお知り合いになり、両社ともビジネス向けのサービスを提供(先方はPC・法人、fonfunは携帯・コンシューマがメイン)しているということもあり、何かご一緒できないかという話が盛り上がりました。
青野さんとは、もう一つ共通点があります。
それは二代目社長であること。
サイボウズ社は、高須賀さんという創業社長がいらっしゃったのですが、2年ほど前にお辞めになり米国に渡られました。
fonfunは、飯田さんという創業社長から、やはり2年前に私にバトンタッチしています。
そういう意味では、創業社長が持っていた株の移動先で悩んだり、今までの路線から大きく舵取りをしなくてはいけない点など、同じ境遇を経験しており、感覚が共有できる方です。
歴史の短く創業社長が目立ちがちなネットベンチャーの業界で、このような世代交代はとても珍しいケースです。
ただ、青野さんは大株主社長であるにもかかわらず、私は少数株主社長である点が大きく異なります(笑)。
それは、本日色々お話をしている中でも正直羨ましく感じる部分がありました。
サイボウズさんは既に一部上場を果たされていて時価総額も大きいので、私が言うのも僭越なのですが、二代目社長としてお互い頑張っていきたいと思います。
頭の切り替え 11/29
私が親しくさせていただいている、A社長は、とても優れた才能をもっています。
その方は、頭の切り替えがとても早いのです。
何をしているときでも、違うことが急に入ってきても、何の抵抗もなく違うことに入っていける・・・、やはりこれは一種の才能だと思います。
A社長とは海外出張で何度かご一緒したことがあるのですが、例えば車に乗りながら、たった今まで柔らかい話をしていたにもかかわらず、急に思いついたように携帯をとって国際電話をかけ始めます。そして何やら複雑な話をしていたりします。
夜に一緒にお酒を飲んでいるときにも、国際電話が入ると、その席に座ったままそれまで何事も無かったかのように、仕事の話をしています。
そして、それが終わるとまた何事も無かったように陽気に話し始めるのです。
逆もまたしかりで、外国語で真剣なMTGをしているときに、日本の親しい方から電話があると、モードが一気に切り替わったりします。
ちなみにAさんは、これはプライベートと仕事のモードのみならず、あるものがダメだと思ったときにすぐ次の考えに移れるという面でも切り替えが早いです。
本当にこの社長にはいつも感心しています。
勿論、私も海外にいるときには、国際電話があると緊急性が高いと思うので、よほどのことが無い限りは受けるのですが、相手がどう受け取っているかはともかく、自分の中ではこの社長のように一瞬にして180度切り替わるという芸当は真似できないのが正直なところです。
普段の生活の中でも、ついついプライベートの楽しいひとときの間にも、ふといつの間にか仕事のことを考えていたり、マッサージなどでリラックスしているときに、仕事の連絡が来ると頭の切り替えに少し時間がかかったりします。
「仕事をするときは仕事をする」、「遊ぶときは遊ぶ」このメリハリは、自分でも大事にしている部分で、うちのスタッフにもよくそういった話をしていますが、真の意味で実行できている方は尊敬します。
その方は、頭の切り替えがとても早いのです。
何をしているときでも、違うことが急に入ってきても、何の抵抗もなく違うことに入っていける・・・、やはりこれは一種の才能だと思います。
A社長とは海外出張で何度かご一緒したことがあるのですが、例えば車に乗りながら、たった今まで柔らかい話をしていたにもかかわらず、急に思いついたように携帯をとって国際電話をかけ始めます。そして何やら複雑な話をしていたりします。
夜に一緒にお酒を飲んでいるときにも、国際電話が入ると、その席に座ったままそれまで何事も無かったかのように、仕事の話をしています。
そして、それが終わるとまた何事も無かったように陽気に話し始めるのです。
逆もまたしかりで、外国語で真剣なMTGをしているときに、日本の親しい方から電話があると、モードが一気に切り替わったりします。
ちなみにAさんは、これはプライベートと仕事のモードのみならず、あるものがダメだと思ったときにすぐ次の考えに移れるという面でも切り替えが早いです。
本当にこの社長にはいつも感心しています。
勿論、私も海外にいるときには、国際電話があると緊急性が高いと思うので、よほどのことが無い限りは受けるのですが、相手がどう受け取っているかはともかく、自分の中ではこの社長のように一瞬にして180度切り替わるという芸当は真似できないのが正直なところです。
普段の生活の中でも、ついついプライベートの楽しいひとときの間にも、ふといつの間にか仕事のことを考えていたり、マッサージなどでリラックスしているときに、仕事の連絡が来ると頭の切り替えに少し時間がかかったりします。
「仕事をするときは仕事をする」、「遊ぶときは遊ぶ」このメリハリは、自分でも大事にしている部分で、うちのスタッフにもよくそういった話をしていますが、真の意味で実行できている方は尊敬します。
嫌いな仕事 11/28
皆さんは食べ物を食べるときに、好きなものから食べますか? それとも好きなものは最後に残しておきますか?
好きなものから食べると最初はとても幸せですが、最後に嫌いなものが残ると食後の感覚はあまりいいものではないかも知れません。
嫌いなものから食べると、最初は辛いですが、最後には幸せな気分になることができます。
もちろん、嫌いなものから食べると、お腹がいっぱいになって好きなものをおいしく食べれないという人もいるかも知れません。
食べ物については、どちらの順番でも個人の自由ですが、仕事の場合にはちょっと違うかも知れません。
仕事の場合には、できるだけ嫌な仕事から始める、ことが大事だと思います。
「嫌な仕事」と書いてしまうとちょっと主観的になり、個人の好き嫌いではないか、と思われるかも知れませんが、「嫌な仕事」というのは、大抵問題を含んだ厄介な仕事であることが多いと思います。
例えば、金額や契約の交渉、遅延債権の回収、顧客のクレーム対応、悪化した人間関係の補正などなど。
これらを面倒だと思って後回しにしてしまうと、状況はもっと悪くなります。
すぐに対応すれば大きな問題にならずに済んだのに、対応をしなかったり、上司に報告しなかったりしているうちに、問題が大きくなって、取り返しのつかないことになることもあります。
これは人の性格にもよるのですが、何より「習慣」になってしまうとなかなか改善することができないから怖いものです。
私も社会人生活の中で、そのような例をいくつも目にしています。
逆に「嫌な仕事」をその場ですぐに処理しようとする人は、ほとんど大きな問題を生じることが無いので、仕事を任せる側も安心して任せることができます。
このように仕事をするうえで「嫌な仕事から取り組む」ようにすると、まず間違いないことが多いと思います。
このことはfonfunの行動指針の中にも含まれていて、自戒の意味も込めて書いていたりします。
そろそろ私も予算の数字とにらめっこする時間のようです・・・。
好きなものから食べると最初はとても幸せですが、最後に嫌いなものが残ると食後の感覚はあまりいいものではないかも知れません。
嫌いなものから食べると、最初は辛いですが、最後には幸せな気分になることができます。
もちろん、嫌いなものから食べると、お腹がいっぱいになって好きなものをおいしく食べれないという人もいるかも知れません。
食べ物については、どちらの順番でも個人の自由ですが、仕事の場合にはちょっと違うかも知れません。
仕事の場合には、できるだけ嫌な仕事から始める、ことが大事だと思います。
「嫌な仕事」と書いてしまうとちょっと主観的になり、個人の好き嫌いではないか、と思われるかも知れませんが、「嫌な仕事」というのは、大抵問題を含んだ厄介な仕事であることが多いと思います。
例えば、金額や契約の交渉、遅延債権の回収、顧客のクレーム対応、悪化した人間関係の補正などなど。
これらを面倒だと思って後回しにしてしまうと、状況はもっと悪くなります。
すぐに対応すれば大きな問題にならずに済んだのに、対応をしなかったり、上司に報告しなかったりしているうちに、問題が大きくなって、取り返しのつかないことになることもあります。
これは人の性格にもよるのですが、何より「習慣」になってしまうとなかなか改善することができないから怖いものです。
私も社会人生活の中で、そのような例をいくつも目にしています。
逆に「嫌な仕事」をその場ですぐに処理しようとする人は、ほとんど大きな問題を生じることが無いので、仕事を任せる側も安心して任せることができます。
このように仕事をするうえで「嫌な仕事から取り組む」ようにすると、まず間違いないことが多いと思います。
このことはfonfunの行動指針の中にも含まれていて、自戒の意味も込めて書いていたりします。
そろそろ私も予算の数字とにらめっこする時間のようです・・・。
着物 11/27
日本が誇れる文化の一つとして着物があると思いますが、着物は和服と言ってもいいかも知れません。
中国の方と話していると、たまに日本の着物の話になるのですが、最初は「ホーフ」と言われても何のことだかさっぱり分かりませんでした。中国では和服として知られていて、和服の中国語発音が「ホーフ」と言うのです。
中国の方は皆さん和服がとても綺麗だとおっしゃいます。特に女性の方だと一度は着てみたいと・・・。
中国ではそれだけ日本の人が和服を着る機会が多いと思っているのかも知れません。これはきっと教育やマスコミの影響でしょう。
今ではすっかり晴れ着(イベントの時のみ着る服)になってしまった和服ですが、私は以前和服はどちらかと言うと、中国から渡ってきた文化の一つだと思っていたのですが、独自の発展をもっているようです。
奈良時代の遣唐使の影響で、唐からもたらされたものがベースとなって、その後の平安時代にいわゆる「十二単」という鮮やかな衣装が生まれたものと思います。
私も最初例外なく十二単は袿(うちき)を12枚重ねてきていたのだと思い驚いたのですが、実際にはそんなに重ねていたわけではなく枚数の制限も無かったようです。
明治時代に外国の影響を受けて、日本の近代化をPRするために官僚や軍人に衣服令を出して正装は洋服を着るようになってから、徐々に和服は無くなりました。
ちなみに、この頃から洋服と区別する意味で和服を「着物」と呼ぶようになったとか。
日本で着物と言えば「和服」ですが、世界には実に様々な民族衣装が存在します。
中国ではチャイナドレス(旗袍)、韓国ではチマチョゴリ、インドではサリー、他に有名どころといえば、南米のポンチョ、スコットランドのキルト、ロシアのサラファンなどでしょうか。
ちなみに綺麗なもの好きの私が今まで見たうちで一番綺麗だと思うのは絹の素材感と形状が美しいベトナムのアオザイです。
中国の少数民族も実に様々な刺繍をまとった美しい衣装を着ています。
国の文化を表し、維持する意味でも、このような民族衣装は将来的にも残して欲しいものです。
私も今度羽織、袴を着てみたいと思います。
中国の方と話していると、たまに日本の着物の話になるのですが、最初は「ホーフ」と言われても何のことだかさっぱり分かりませんでした。中国では和服として知られていて、和服の中国語発音が「ホーフ」と言うのです。
中国の方は皆さん和服がとても綺麗だとおっしゃいます。特に女性の方だと一度は着てみたいと・・・。
中国ではそれだけ日本の人が和服を着る機会が多いと思っているのかも知れません。これはきっと教育やマスコミの影響でしょう。
今ではすっかり晴れ着(イベントの時のみ着る服)になってしまった和服ですが、私は以前和服はどちらかと言うと、中国から渡ってきた文化の一つだと思っていたのですが、独自の発展をもっているようです。
奈良時代の遣唐使の影響で、唐からもたらされたものがベースとなって、その後の平安時代にいわゆる「十二単」という鮮やかな衣装が生まれたものと思います。
私も最初例外なく十二単は袿(うちき)を12枚重ねてきていたのだと思い驚いたのですが、実際にはそんなに重ねていたわけではなく枚数の制限も無かったようです。
明治時代に外国の影響を受けて、日本の近代化をPRするために官僚や軍人に衣服令を出して正装は洋服を着るようになってから、徐々に和服は無くなりました。
ちなみに、この頃から洋服と区別する意味で和服を「着物」と呼ぶようになったとか。
日本で着物と言えば「和服」ですが、世界には実に様々な民族衣装が存在します。
中国ではチャイナドレス(旗袍)、韓国ではチマチョゴリ、インドではサリー、他に有名どころといえば、南米のポンチョ、スコットランドのキルト、ロシアのサラファンなどでしょうか。
ちなみに綺麗なもの好きの私が今まで見たうちで一番綺麗だと思うのは絹の素材感と形状が美しいベトナムのアオザイです。
中国の少数民族も実に様々な刺繍をまとった美しい衣装を着ています。
国の文化を表し、維持する意味でも、このような民族衣装は将来的にも残して欲しいものです。
私も今度羽織、袴を着てみたいと思います。
純朴な学生 11/26
先日中国安徽省にあるコンピューター関係の学校を視察してきました。
そこは中国でも有数の大きな学校で全国に15拠点あり、安徽省の合肥だけで5,000人も生徒がいるとか。
最初開発区にある本部にうかがったのですが、何よりも驚いたのは一つの教室の人数。自習室と名を打つその部屋には所狭しとLenovo社(IBMを買収した中国企業)製のPCが並べられ、一人一人の間隔は10cmぐらいしかない感じです。
目測では一つの教室に300名は居る感じでした。
我々が教室に入ると、案内をしてくれた教官が大きな声で「日本からのポンヨウ(中国語で友達とか親しみを込めて言う言葉)です」と紹介すると学生が一斉に大きな拍手で迎えてくれました。
生徒は皆18歳から20歳の若者で、女性も多かったのですが、とにかく「純朴」というのがピッタリで、上海のように髪を染めたり化粧をしたりしている人もおらず、我々が見ると15歳ぐらいにしか見えません。学校側の話を聞くと中身も真面目で素直なようです。
本部の校舎を見た後、車で40分ほど離れた新校舎にも連れて行ってくれたのですが、ここがまたとても広くて綺麗でした。
広大な敷地に校舎が10棟ぐらい、宿舎が6棟ぐらい立ち並んで、まさに総合大学のよう。
開校して間もなく、今いるのは1年生だけらしいのですが、4,000名もいて、全寮制なので、全員が寮に住み込みで学んでいます。
寮も見せていただいたのですが、ちょっと黴臭いのを除いて、什器や身の回りのものが綺麗に整理されており(入学して最初はマナーの学習から始まるとか)、1部屋6人の部屋(ベッドは机の上にある)も思ったより狭くは感じませんでした。
食堂は1日3食で10元(日本円で150円程度)。ここもレストラン顔負けの綺麗なレストランで建物1棟がすべてレストランとか。
自分で掃除、洗濯をして勉強だけの毎日。都心から離れたところにあるので、皆構内からほとんど外に出ない生活を送っているそうです。
視察をして思ったのは、やはり中国の圧倒的なリソース。このような学校がコンピューターに関わらずあらゆるジャンルで、しかも全国に存在するとしたら、と想像したら身震いがしました。
将来はすごい戦力になると思います。
世界で中国が台頭する日は遠くないかも知れません。
そこは中国でも有数の大きな学校で全国に15拠点あり、安徽省の合肥だけで5,000人も生徒がいるとか。
最初開発区にある本部にうかがったのですが、何よりも驚いたのは一つの教室の人数。自習室と名を打つその部屋には所狭しとLenovo社(IBMを買収した中国企業)製のPCが並べられ、一人一人の間隔は10cmぐらいしかない感じです。
目測では一つの教室に300名は居る感じでした。
我々が教室に入ると、案内をしてくれた教官が大きな声で「日本からのポンヨウ(中国語で友達とか親しみを込めて言う言葉)です」と紹介すると学生が一斉に大きな拍手で迎えてくれました。
生徒は皆18歳から20歳の若者で、女性も多かったのですが、とにかく「純朴」というのがピッタリで、上海のように髪を染めたり化粧をしたりしている人もおらず、我々が見ると15歳ぐらいにしか見えません。学校側の話を聞くと中身も真面目で素直なようです。
本部の校舎を見た後、車で40分ほど離れた新校舎にも連れて行ってくれたのですが、ここがまたとても広くて綺麗でした。
広大な敷地に校舎が10棟ぐらい、宿舎が6棟ぐらい立ち並んで、まさに総合大学のよう。
開校して間もなく、今いるのは1年生だけらしいのですが、4,000名もいて、全寮制なので、全員が寮に住み込みで学んでいます。
寮も見せていただいたのですが、ちょっと黴臭いのを除いて、什器や身の回りのものが綺麗に整理されており(入学して最初はマナーの学習から始まるとか)、1部屋6人の部屋(ベッドは机の上にある)も思ったより狭くは感じませんでした。
食堂は1日3食で10元(日本円で150円程度)。ここもレストラン顔負けの綺麗なレストランで建物1棟がすべてレストランとか。
自分で掃除、洗濯をして勉強だけの毎日。都心から離れたところにあるので、皆構内からほとんど外に出ない生活を送っているそうです。
視察をして思ったのは、やはり中国の圧倒的なリソース。このような学校がコンピューターに関わらずあらゆるジャンルで、しかも全国に存在するとしたら、と想像したら身震いがしました。
将来はすごい戦力になると思います。
世界で中国が台頭する日は遠くないかも知れません。
ACCESS(その2) 11/25
(前日より)
その後「月次決算システム」「人事管理システム」「名簿システム」などを開発したのですが、そのうちに株式公開準備の仕事が忙しくなり、途中でシステムを替えるのも良くないということになり、一番時間のかかった月次決算システムは結局お蔵入りしてしまったのが心残りです。
ただ、何の基礎知識もないのにプログラムを書いていたので、係数の定義の仕方とか、コードの書き方は全く独自スタイルだったので、全然綺麗ではなかったと思います。
プログラムを組んでみて分かったことは、何より論理的思考が必要だということ。
全体像を頭に入れたうえで系統立てて連続性をもって書いていかなくてはならず、ほんの少しのミスでもプログラムは動いてくれないのです。
よく自分が書いたプログラムを走らせてうまく動かないと、「コンピューターが壊れている」などと文句を言っていたのですが、佐藤が「コンピューターは一番正しいし、嘘をつかない、絶対にプログラムのどこかが間違っている」と諌められるシーンが何度かあったのですが、まさに彼の言うとおり、結局私のプログラムのどこかにミスがありました。
今思い返せばACCESSが面白かった一番の理由は、「フォーム」があったからだと思います。
通常販売されているソフトウェアのようなインターフェイスを、自分のオリジナルで作ることが出来て、それを他の人が使ってくれることに喜びを感じていたように思います。
fonfunの新規事業部で新しいサービスを開始するにあたり、現在スタッフHさんが一生懸命ACCESSを勉強しているようです。
日報を見る限り、次第に面白くなってきているようで、はまりそうな予感です(笑)。
私は、最近技術的な話になると、「私は技術者ではないので・・・」といって逃れることが多いのですが、実は既述のように少しはかじったことがあるのです。
また、以前とある雑誌の「EXCELの達人」というコーナーで「EXCEL」の基本的な使い方やマクロの組み方、モジュール(プログラム)などを使った裏技について紹介したこともあります。
今となっては昔の話なので、ほとんど忘れてしまいましたが・・・。
その後「月次決算システム」「人事管理システム」「名簿システム」などを開発したのですが、そのうちに株式公開準備の仕事が忙しくなり、途中でシステムを替えるのも良くないということになり、一番時間のかかった月次決算システムは結局お蔵入りしてしまったのが心残りです。
ただ、何の基礎知識もないのにプログラムを書いていたので、係数の定義の仕方とか、コードの書き方は全く独自スタイルだったので、全然綺麗ではなかったと思います。
プログラムを組んでみて分かったことは、何より論理的思考が必要だということ。
全体像を頭に入れたうえで系統立てて連続性をもって書いていかなくてはならず、ほんの少しのミスでもプログラムは動いてくれないのです。
よく自分が書いたプログラムを走らせてうまく動かないと、「コンピューターが壊れている」などと文句を言っていたのですが、佐藤が「コンピューターは一番正しいし、嘘をつかない、絶対にプログラムのどこかが間違っている」と諌められるシーンが何度かあったのですが、まさに彼の言うとおり、結局私のプログラムのどこかにミスがありました。
今思い返せばACCESSが面白かった一番の理由は、「フォーム」があったからだと思います。
通常販売されているソフトウェアのようなインターフェイスを、自分のオリジナルで作ることが出来て、それを他の人が使ってくれることに喜びを感じていたように思います。
fonfunの新規事業部で新しいサービスを開始するにあたり、現在スタッフHさんが一生懸命ACCESSを勉強しているようです。
日報を見る限り、次第に面白くなってきているようで、はまりそうな予感です(笑)。
私は、最近技術的な話になると、「私は技術者ではないので・・・」といって逃れることが多いのですが、実は既述のように少しはかじったことがあるのです。
また、以前とある雑誌の「EXCELの達人」というコーナーで「EXCEL」の基本的な使い方やマクロの組み方、モジュール(プログラム)などを使った裏技について紹介したこともあります。
今となっては昔の話なので、ほとんど忘れてしまいましたが・・・。
ACCESS(その1) 11/24
表題を見ると、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか?人気アーティストだった「ACCESS」、携帯のブラウザなどの開発をしている上場企業の「ACCESS」などでしょうか。
私は「ACCESS」を見ると、マイクロソフト社のデータベースソフト「MICROSOFT ACCESS」をすぐ連想してしまいます。というのは、今から12年ほど前に「ACCESS」でアプリケーションを開発していたことがあるからです。
「ACCESS」はデータベースソフトというジャンルに入るため、「WORD」、「EXCEL」などと比べると一般的な知名度は低く、馴染みのある人は比較的少ないのですが、使いこなせるととても便利なソフトです。
話は12年前、イマジニアという会社に出向したときまで遡ります。
人事からは予算や株式公開準備という話を聞いていたのですが、当時はまだ本格的な作業が始まっていなかったようで、配属された部署は「内部監査室」という仰々しいところで、スタッフは私とミサワホームの同期入社で現在fonfunの常務をしている佐藤の2名でした。
そのときの担当役員が、fonfunの創業者でもある飯田専務(当時)。
飯田さんは寡黙で細かい業務指示をしないタイプの方だったので、入社した私は一冊のACCESSのプログラムの本を渡され、業務改善の一環として社内システムの開発をしろと言われただけでした。
私は、それまで「プログラム」というものとは全く縁がなく、大学の講義で「FORTLAN」の単位を試験一夜漬けで取ったぐらいだったので、なぜ自分がプログラムをするのだろう? しかもプログラムが組めるようになるまでの時間は会社にとっては無駄になるのではないか? と幾つか疑問も湧いたのですが、業務命令とあれば仕方が無いので、その日からプログラムの本とにらめっこする日々が始まりました。
飯田さんからその後何の指示もないばかりか、佐藤もほとんど手伝ってくれなかったので、しばらく一人で悶々としていました。
特にプログラムどころか、「データベース」、「フォーム」、「クエリー」、「SQL」など初めて見る単語ばかりで、まさに外国語を勉強しているような感じです。
特に当面は「EXECEL」と何が違うのだろうか? どうして「ACCESS」という特別なソフトを使う必要があるだろうか? という部分が自分の中で消化できずにいました。
それでもなんとか、基本的なモジュールを組み合わせて簡単なプログラムを書いてみたのですが、それが目に見える形で動いたのを契機に、プログラムをするのが急に面白くなってきました。
(明日に続く)
私は「ACCESS」を見ると、マイクロソフト社のデータベースソフト「MICROSOFT ACCESS」をすぐ連想してしまいます。というのは、今から12年ほど前に「ACCESS」でアプリケーションを開発していたことがあるからです。
「ACCESS」はデータベースソフトというジャンルに入るため、「WORD」、「EXCEL」などと比べると一般的な知名度は低く、馴染みのある人は比較的少ないのですが、使いこなせるととても便利なソフトです。
話は12年前、イマジニアという会社に出向したときまで遡ります。
人事からは予算や株式公開準備という話を聞いていたのですが、当時はまだ本格的な作業が始まっていなかったようで、配属された部署は「内部監査室」という仰々しいところで、スタッフは私とミサワホームの同期入社で現在fonfunの常務をしている佐藤の2名でした。
そのときの担当役員が、fonfunの創業者でもある飯田専務(当時)。
飯田さんは寡黙で細かい業務指示をしないタイプの方だったので、入社した私は一冊のACCESSのプログラムの本を渡され、業務改善の一環として社内システムの開発をしろと言われただけでした。
私は、それまで「プログラム」というものとは全く縁がなく、大学の講義で「FORTLAN」の単位を試験一夜漬けで取ったぐらいだったので、なぜ自分がプログラムをするのだろう? しかもプログラムが組めるようになるまでの時間は会社にとっては無駄になるのではないか? と幾つか疑問も湧いたのですが、業務命令とあれば仕方が無いので、その日からプログラムの本とにらめっこする日々が始まりました。
飯田さんからその後何の指示もないばかりか、佐藤もほとんど手伝ってくれなかったので、しばらく一人で悶々としていました。
特にプログラムどころか、「データベース」、「フォーム」、「クエリー」、「SQL」など初めて見る単語ばかりで、まさに外国語を勉強しているような感じです。
特に当面は「EXECEL」と何が違うのだろうか? どうして「ACCESS」という特別なソフトを使う必要があるだろうか? という部分が自分の中で消化できずにいました。
それでもなんとか、基本的なモジュールを組み合わせて簡単なプログラムを書いてみたのですが、それが目に見える形で動いたのを契機に、プログラムをするのが急に面白くなってきました。
(明日に続く)
上海蟹 11/23
中国の料理で、北京と言えば北京ダック、上海と言えば上海蟹ですが、今のシーズンは上海蟹が旬です。
ところで上海蟹って、どのぐらいの大きさだと思いますか?
食べたことのない方は意外と大きさを知らないことが多いようです。
中国では上海蟹のことを大閘蟹と言うのですが、名前に反して(!?)実際にはとても小さい蟹です。
目測では縦10cm、横15cmぐらい。値段は重さで決まってきます。
雄と雌があるのですが、10月は雌が食べ頃で200gぐらいのものが、11月は雄が旬で250~300gぐらいのものが食べ応えがあると言われています。
小さいということは、それだけ食べるところが無く、身も多少はあるものの、正直蟹味噌を食べるだけ、といった感覚に近いです。
ただ、この蟹味噌、鶏の卵の黄身と味ととても似ていると思うのは私だけでしょうか?
上海蟹には、偽物もあり、これらと区別するために、最近本物には識別プレートが付いているぐらいです。
この識別プレートにはID番号が記されていて、この番号で蟹の産地が分かるとか。
しかも携帯電話のショートメッセージでこのIDを送ると本物かニセモノかの連絡がくると聞いたことがあります。
ただ、今ではヨーロッパにも上海蟹がある(一部に中国から流れ着いたとか、船に付いて辿り着いたとかの説あり)とも言いますから、何をもって上海蟹というのかは難しいようです。
私の経験上では、上海蟹は店によってかなり味に差があり、本当においしいと感じるのは3軒に1軒ぐらいです。
日本の中華料理店で上海蟹を食べるとかなり高価(4,000円から5,000円ぐらい)ですが、中国でも上海蟹は高級で、一匹(一杯?)100元から200元ぐらいします。中国で現地の人が外食する場合、一人当たりの消費額が20元~50元程度であることを考えるとかなり高い金額です。
fonfunの業務提携パートナーでもあり、日本で中国商品を販売している知音社では店頭で上海蟹が500円ぐらいで売られていましたが、あの値段がどこから来ているのかとても謎です。
上海蟹は、蘇州にある「陽澄湖」の蟹が一番有名で、蟹味噌が他よりも甘みがあって、大きさも比較的大きいのが特徴です。
今度「陽澄湖」の本場に行って、本物の、かつおいしい「大閘蟹」を食べてみたいものです。
ところで上海蟹って、どのぐらいの大きさだと思いますか?
食べたことのない方は意外と大きさを知らないことが多いようです。
中国では上海蟹のことを大閘蟹と言うのですが、名前に反して(!?)実際にはとても小さい蟹です。
目測では縦10cm、横15cmぐらい。値段は重さで決まってきます。
雄と雌があるのですが、10月は雌が食べ頃で200gぐらいのものが、11月は雄が旬で250~300gぐらいのものが食べ応えがあると言われています。
小さいということは、それだけ食べるところが無く、身も多少はあるものの、正直蟹味噌を食べるだけ、といった感覚に近いです。
ただ、この蟹味噌、鶏の卵の黄身と味ととても似ていると思うのは私だけでしょうか?
上海蟹には、偽物もあり、これらと区別するために、最近本物には識別プレートが付いているぐらいです。
この識別プレートにはID番号が記されていて、この番号で蟹の産地が分かるとか。
しかも携帯電話のショートメッセージでこのIDを送ると本物かニセモノかの連絡がくると聞いたことがあります。
ただ、今ではヨーロッパにも上海蟹がある(一部に中国から流れ着いたとか、船に付いて辿り着いたとかの説あり)とも言いますから、何をもって上海蟹というのかは難しいようです。
私の経験上では、上海蟹は店によってかなり味に差があり、本当においしいと感じるのは3軒に1軒ぐらいです。
日本の中華料理店で上海蟹を食べるとかなり高価(4,000円から5,000円ぐらい)ですが、中国でも上海蟹は高級で、一匹(一杯?)100元から200元ぐらいします。中国で現地の人が外食する場合、一人当たりの消費額が20元~50元程度であることを考えるとかなり高い金額です。
fonfunの業務提携パートナーでもあり、日本で中国商品を販売している知音社では店頭で上海蟹が500円ぐらいで売られていましたが、あの値段がどこから来ているのかとても謎です。
上海蟹は、蘇州にある「陽澄湖」の蟹が一番有名で、蟹味噌が他よりも甘みがあって、大きさも比較的大きいのが特徴です。
今度「陽澄湖」の本場に行って、本物の、かつおいしい「大閘蟹」を食べてみたいものです。
お酒(その2) 11/22
(昨日より続く)
私はお酒の量は飲めないのですが、お酒を飲む雰囲気は好きです。
皆でワイワイ盛り上がる宴会も好きだし、お洒落で静かなバーで、カクテルを傾けるのも好きです。
それは、日常の生活と違う雰囲気で、人と話せるからかも知れません。
私は普段から明朗で声が大きいので、お酒を飲まなくてもテンションが高いのですが、逆にお酒を飲みすぎて酔っ払うと、急に大人しくなったりするから危険です(笑)。
私がお酒の中で一番好きなのは、ワインです。特に赤ワインが好きです。
ただ、ワイン通というわけではないので、銘柄とかは詳しくありません。
経営者の方々でワインの話になると、とかくすごく詳しい方がおられて、とてもうらやましく思うのですが、たくさん飲めない私がワインの事を語っても格好良くないかなと思い、深く入らないようにしています。
次に好きなのはウィスキー。
学生時代には「カナディアンクラブ」というウィスキーにはまっていました。
ウィスキーは本来好きではなかったのですが、学生時代の飲み会や友達の家で飲むとなるとウィスキーばかりだったので、慣れたというのが正しいかも知れません。
ビールは、その時の気分や体調により、すごく飲みたい時と飲みたくない時に分かれます。
ちなみにビールをあまり飲むとすぐにお腹がいっぱいになってしまいます。
旅館とかでは、宴会が始まると食事の前にビールをさんざん飲んで、最後にご飯を食べるのが流れですが、あれが未だに慣れずに、最初からご飯と一緒に食べて
しまいます。
カクテルも好きなのですが、甘すぎるカクテルが苦手で、ジンとかウォッカベースがほとんどです。
逆に、苦手なお酒は「日本酒」や「焼酎」。これで私が酒飲みではないことは明確かと思います(笑)。
特に、これらの甘いものが苦手で「白酒(しろざけ)」とか「チューハイ」は全く飲めません。
特にチューハイというのは、生まれてこの方、一度も飲んだことがありません。
紹興酒だけは、中国に行くようになってからたまに飲むようになりました。
ちなみに、ちゃんぽんは絶対ダメです。
韓国では「バクダン」という混ぜ酒が人気があるようですが、おそらく飲んだら大変なことになると思います。
韓国でお酒の席になったら、K取締役に振りたいと思います(笑)。
いずれにせよ、お酒は、気の合う仲間と、楽しいときとか、嬉しいときに、飲みたいものです。
私はお酒の量は飲めないのですが、お酒を飲む雰囲気は好きです。
皆でワイワイ盛り上がる宴会も好きだし、お洒落で静かなバーで、カクテルを傾けるのも好きです。
それは、日常の生活と違う雰囲気で、人と話せるからかも知れません。
私は普段から明朗で声が大きいので、お酒を飲まなくてもテンションが高いのですが、逆にお酒を飲みすぎて酔っ払うと、急に大人しくなったりするから危険です(笑)。
私がお酒の中で一番好きなのは、ワインです。特に赤ワインが好きです。
ただ、ワイン通というわけではないので、銘柄とかは詳しくありません。
経営者の方々でワインの話になると、とかくすごく詳しい方がおられて、とてもうらやましく思うのですが、たくさん飲めない私がワインの事を語っても格好良くないかなと思い、深く入らないようにしています。
次に好きなのはウィスキー。
学生時代には「カナディアンクラブ」というウィスキーにはまっていました。
ウィスキーは本来好きではなかったのですが、学生時代の飲み会や友達の家で飲むとなるとウィスキーばかりだったので、慣れたというのが正しいかも知れません。
ビールは、その時の気分や体調により、すごく飲みたい時と飲みたくない時に分かれます。
ちなみにビールをあまり飲むとすぐにお腹がいっぱいになってしまいます。
旅館とかでは、宴会が始まると食事の前にビールをさんざん飲んで、最後にご飯を食べるのが流れですが、あれが未だに慣れずに、最初からご飯と一緒に食べて
しまいます。
カクテルも好きなのですが、甘すぎるカクテルが苦手で、ジンとかウォッカベースがほとんどです。
逆に、苦手なお酒は「日本酒」や「焼酎」。これで私が酒飲みではないことは明確かと思います(笑)。
特に、これらの甘いものが苦手で「白酒(しろざけ)」とか「チューハイ」は全く飲めません。
特にチューハイというのは、生まれてこの方、一度も飲んだことがありません。
紹興酒だけは、中国に行くようになってからたまに飲むようになりました。
ちなみに、ちゃんぽんは絶対ダメです。
韓国では「バクダン」という混ぜ酒が人気があるようですが、おそらく飲んだら大変なことになると思います。
韓国でお酒の席になったら、K取締役に振りたいと思います(笑)。
いずれにせよ、お酒は、気の合う仲間と、楽しいときとか、嬉しいときに、飲みたいものです。
お酒(その1) 11/21
私は「お酒」は嫌いではないのですが、量は飲めません。
飲みに行っても、一次会で生ビールを2杯、二次会でカクテルやワインが2杯飲めばいい方です。
家で飲むことはワールドカップサッカーを見るとき以外は、ほとんどありません。
今でこそ自分のペースで飲むことができるので、飲み会が嫌いではないですが、学生や新入社員の頃は「飲み会」があると何となく気がのりませんでした。
理由は簡単で飲ませる人がいるからです(笑)。
お花見とかで救急車で運ばれる人がいるのが自分では信じられませんでした。
そんな私も中国に行き始めた頃は、頑張って飲んでいました。
中国では仲良くなるためには酒の席は避けられないと聞いていたので、なお更義務のように感じていたからです。
中国では、「白酒」という、日本酒のようなお酒があるのですが、アルコール度数が50%ぐらいあるものもあります。
中国では乾杯は一人一人で行うのですが、乾杯した後にグラス(日本のおちょこの透明版のようなもの)のお酒を飲み干して、相手に空のグラスを見せるのがマナーになっています。そして、地方に行くほどこの慣習が根強く残っています。
以前南京に本社がある企業と業務提携をしていたときに、本社に招待され、夕食のレストランに着いて個室に入ると、なんとそこには20名ほどの中国人の方々が
・・・。
先方のウェルカムスピーチで始まった宴会は、偉い人から私への乾杯を求めてきました。
今でこそ少し中国語が話せるので最初から「お酒が飲めない」と言う戦略もできるのですが、当時はそれを断ったら仕事に影響が出るかも知れない、と思うから私も必死です。
そのうえ、その日は体調を崩していて39度ぐらいの熱があったのですが、結局全員の人達と杯を交わしました。
意識朦朧としながらも、これで義務を果たした、と安堵したのも束の間、また偉い人から2回目の乾杯が始まるではありませんか。
さすがに中国で救急車に乗るのは避けたいと思い、意図的にこぼしながらその場をしのぎましたが、その後の記憶がありません。
ちなみに、お酒で記憶が無くなったのは、生涯この時だけです。
(明日へ続く)
飲みに行っても、一次会で生ビールを2杯、二次会でカクテルやワインが2杯飲めばいい方です。
家で飲むことはワールドカップサッカーを見るとき以外は、ほとんどありません。
今でこそ自分のペースで飲むことができるので、飲み会が嫌いではないですが、学生や新入社員の頃は「飲み会」があると何となく気がのりませんでした。
理由は簡単で飲ませる人がいるからです(笑)。
お花見とかで救急車で運ばれる人がいるのが自分では信じられませんでした。
そんな私も中国に行き始めた頃は、頑張って飲んでいました。
中国では仲良くなるためには酒の席は避けられないと聞いていたので、なお更義務のように感じていたからです。
中国では、「白酒」という、日本酒のようなお酒があるのですが、アルコール度数が50%ぐらいあるものもあります。
中国では乾杯は一人一人で行うのですが、乾杯した後にグラス(日本のおちょこの透明版のようなもの)のお酒を飲み干して、相手に空のグラスを見せるのがマナーになっています。そして、地方に行くほどこの慣習が根強く残っています。
以前南京に本社がある企業と業務提携をしていたときに、本社に招待され、夕食のレストランに着いて個室に入ると、なんとそこには20名ほどの中国人の方々が
・・・。
先方のウェルカムスピーチで始まった宴会は、偉い人から私への乾杯を求めてきました。
今でこそ少し中国語が話せるので最初から「お酒が飲めない」と言う戦略もできるのですが、当時はそれを断ったら仕事に影響が出るかも知れない、と思うから私も必死です。
そのうえ、その日は体調を崩していて39度ぐらいの熱があったのですが、結局全員の人達と杯を交わしました。
意識朦朧としながらも、これで義務を果たした、と安堵したのも束の間、また偉い人から2回目の乾杯が始まるではありませんか。
さすがに中国で救急車に乗るのは避けたいと思い、意図的にこぼしながらその場をしのぎましたが、その後の記憶がありません。
ちなみに、お酒で記憶が無くなったのは、生涯この時だけです。
(明日へ続く)
栄寿司 11/20
「高くておいしい店」、それは幾つもありますが、「安くておいしい店」というのは、なかなか見つからないものです。
私がよく行く「栄寿司」はそんなお店の一つです。
栄寿司は、私の家にほど近い、千歳烏山というところにあります。駅からは結構離れているのですが、連日満席状態です。
雑誌とかにも何度か取り上げられたようですが、実際には宣伝する必要もなく、何より口コミで広まるようで、客足は一向に引かないようです。
私も5年ぐらい前に友人からの口コミで存在を知りました。
私は普段週末に行くのですが、週末は特に混むので早めの時間に行くのがベターです。
今日もどうしても食べたくなって、17時ぐらいに行ってきました。
「栄寿司」の特徴は、なんといってもマグロで、「マグロのにぎり」が看板商品になっています。
大トロ、中トロ、赤身とあるのですが、私はトロが苦手なので、いつも赤身を食べるのですが、臭みが無いうえにしっかりした味で、いつもこれを食べると栄寿司に来たな、という実感が湧きます。
他にも私が良く食べる「ホタテ」とか「カンパチ」とか、おいしいネタはたくさんあるのですが、寿司屋の性質上、その日によっておいしいものが多少異なります。
ただ、経験上ここのウニはあまりお勧めしません(笑)。
「栄寿司」のもう一つの特徴は、そのアットホームな雰囲気です。
一軒家を改良したような建物で、1階がカウンターと座敷、2階が主として団体用座敷になっているのですが、座敷のテーブルの間隔が狭いうえに、店員の声を含めて賑やかなので、客観的に見たらお客さんみんなが団体客のような感じに見えるかも知れません。
店員のおばちゃん達は皆長く勤めているようで、気のいい人達ばかりです。
そういう意味では、「接待」や「初デート」には全く向かないのですが、仲間内で食べに行ったり、気を使わないデートには使えるかも知れません。
私も過去何人か社員を連れて行ったことがあります。
海外出張に行っていても、日本食が恋しくなるときは、大概栄寿司を食べたくなります。よって、海外出張の後の週末に栄寿司に行く確率は結構高いかも知れません(笑)。
さて、お値段の方ですが、今までの経験上、お腹いっぱい食べて一人当たり4,000円~5,000円ぐらいです。
私がよく行く「栄寿司」はそんなお店の一つです。
栄寿司は、私の家にほど近い、千歳烏山というところにあります。駅からは結構離れているのですが、連日満席状態です。
雑誌とかにも何度か取り上げられたようですが、実際には宣伝する必要もなく、何より口コミで広まるようで、客足は一向に引かないようです。
私も5年ぐらい前に友人からの口コミで存在を知りました。
私は普段週末に行くのですが、週末は特に混むので早めの時間に行くのがベターです。
今日もどうしても食べたくなって、17時ぐらいに行ってきました。
「栄寿司」の特徴は、なんといってもマグロで、「マグロのにぎり」が看板商品になっています。
大トロ、中トロ、赤身とあるのですが、私はトロが苦手なので、いつも赤身を食べるのですが、臭みが無いうえにしっかりした味で、いつもこれを食べると栄寿司に来たな、という実感が湧きます。
他にも私が良く食べる「ホタテ」とか「カンパチ」とか、おいしいネタはたくさんあるのですが、寿司屋の性質上、その日によっておいしいものが多少異なります。
ただ、経験上ここのウニはあまりお勧めしません(笑)。
「栄寿司」のもう一つの特徴は、そのアットホームな雰囲気です。
一軒家を改良したような建物で、1階がカウンターと座敷、2階が主として団体用座敷になっているのですが、座敷のテーブルの間隔が狭いうえに、店員の声を含めて賑やかなので、客観的に見たらお客さんみんなが団体客のような感じに見えるかも知れません。
店員のおばちゃん達は皆長く勤めているようで、気のいい人達ばかりです。
そういう意味では、「接待」や「初デート」には全く向かないのですが、仲間内で食べに行ったり、気を使わないデートには使えるかも知れません。
私も過去何人か社員を連れて行ったことがあります。
海外出張に行っていても、日本食が恋しくなるときは、大概栄寿司を食べたくなります。よって、海外出張の後の週末に栄寿司に行く確率は結構高いかも知れません(笑)。
さて、お値段の方ですが、今までの経験上、お腹いっぱい食べて一人当たり4,000円~5,000円ぐらいです。
チンギスハン 11/19
東京に住んでいる妹の家で夕食を一緒に食べていたら、TVで「チンギスハン」についてのスペシャル番組が放映されていました。
「チンギスハン」は現在日経新聞朝刊においても連載されており、一応目は通しているのですが、部族や登場人物の名前が覚え切れずに、どうも断片的になってしまいがちだったので、良い機会だと思って見ていました。
これまで「チンギスハン」についての私のイメージは、「聡明者」でありながら「残虐者」でもあり、組織運営の特徴は「有能な人材の登用」と「厳しい掟の徹底」といった感じでしたが、新たな一面を見ることができました。
まずは情報伝達の手法です。
長距離間の情報伝達を早めるために、早馬の駅伝制度みたいなものがあり、時速140kmで情報が伝播されていたそうです。
ちなみに、日本でも武田信玄が同じような早馬を持っていましたが、モンゴル帝国より300年も後にもかかわらず時速80kmだったと言われていますから、いかにモンゴル帝国のものが優れていたかが分かると思います。
もう一つ、狼煙が重要な情報伝達手段であり、10kmぐらいの間隔で狼煙を繋ぐことで、緊急時や出陣の告知をしていたとのこと。
また、モンゴル帝国のシルクロードを中心に設けられた「ジャムチ」と呼ばれる中継点(旅籠や駅みたいなもの)をたくさんつくり、そこを立ち寄る人々に様々なサービスが提供されていたほか、重要な情報集約の拠点となっていたようです。
他にもヨーロッパで紙幣が使われるようになる200年も前に紙幣の概念を取り入れていたり、今でいうパスポートや通行手形のようなものを配っていた実績があり、野蛮国ではなく相当進んでいたことに驚きました。
もう一つ驚いたのが、「チンギスハン」死後800年になりますが、彼の血を受け継ぐ子孫が1,600万人いるということ(これはオックスフォード大学におけるDNA解析の結果なので信憑性があり、世界で最も多いそうです)。
彼自身も精力旺盛だったようですが、一族の子孫は「黄金氏族」と呼ばれ高い地位にあったため、これらと血縁関係を結ぶ人達も増え、更に広がったようです。
モンゴル帝国は、「史上最大の帝国」で世界で歴史上最も領土が大きかったと言われますが、土地のみならず世界で最も子孫を残すという偉業も達成したのです。
スポンサーが「Panasonic」だったからか、モンゴル帝国を初めてユビキタスを意識した帝国と説明しており、「ユビキタス」とつなげようという意図のようでしたが、個人的には結構無理があるなと思いました。
「チンギスハン」は現在日経新聞朝刊においても連載されており、一応目は通しているのですが、部族や登場人物の名前が覚え切れずに、どうも断片的になってしまいがちだったので、良い機会だと思って見ていました。
これまで「チンギスハン」についての私のイメージは、「聡明者」でありながら「残虐者」でもあり、組織運営の特徴は「有能な人材の登用」と「厳しい掟の徹底」といった感じでしたが、新たな一面を見ることができました。
まずは情報伝達の手法です。
長距離間の情報伝達を早めるために、早馬の駅伝制度みたいなものがあり、時速140kmで情報が伝播されていたそうです。
ちなみに、日本でも武田信玄が同じような早馬を持っていましたが、モンゴル帝国より300年も後にもかかわらず時速80kmだったと言われていますから、いかにモンゴル帝国のものが優れていたかが分かると思います。
もう一つ、狼煙が重要な情報伝達手段であり、10kmぐらいの間隔で狼煙を繋ぐことで、緊急時や出陣の告知をしていたとのこと。
また、モンゴル帝国のシルクロードを中心に設けられた「ジャムチ」と呼ばれる中継点(旅籠や駅みたいなもの)をたくさんつくり、そこを立ち寄る人々に様々なサービスが提供されていたほか、重要な情報集約の拠点となっていたようです。
他にもヨーロッパで紙幣が使われるようになる200年も前に紙幣の概念を取り入れていたり、今でいうパスポートや通行手形のようなものを配っていた実績があり、野蛮国ではなく相当進んでいたことに驚きました。
もう一つ驚いたのが、「チンギスハン」死後800年になりますが、彼の血を受け継ぐ子孫が1,600万人いるということ(これはオックスフォード大学におけるDNA解析の結果なので信憑性があり、世界で最も多いそうです)。
彼自身も精力旺盛だったようですが、一族の子孫は「黄金氏族」と呼ばれ高い地位にあったため、これらと血縁関係を結ぶ人達も増え、更に広がったようです。
モンゴル帝国は、「史上最大の帝国」で世界で歴史上最も領土が大きかったと言われますが、土地のみならず世界で最も子孫を残すという偉業も達成したのです。
スポンサーが「Panasonic」だったからか、モンゴル帝国を初めてユビキタスを意識した帝国と説明しており、「ユビキタス」とつなげようという意図のようでしたが、個人的には結構無理があるなと思いました。
アイドル 11/18
今日はお恥ずかしながら、思い切って高校時代のミーハーな話を・・・。
一昨日の『hirog』で触れたとおり、私は昔中森明菜のファンでした。
当時はレコード(今はCDですが(汗))をすべて買っていたし、彼女が出るTVやラジオはほとんど聞いていました。
彼女がDJをしていたラジオ番組で「イラスト大賞」なるコンテストがあり、そこへ「赤ちゃん」の絵を描いて送ったら大賞をもらったことがあります。
また、ラジオのランキング番組に彼女がゲスト出演していたとき、彼女が「今付けている指輪をプレゼントします」と言っていたので応募したら、数千通の応募の中から見事私が当選したこともあります。(その肝心の指輪はどこかに行ってしまったのですが・・・)
中森明菜に関するトピックはもう一つあります。
私が初めて東京に遊びに来たのは、忘れもしない高校2年のときなのですが、一緒に来た友達と1日だけお互いフリー行動の日を入れていました。
友達は、当時流行していた「夕焼けニャンニャン」のTVでヒットした「SAILORS」という洋服のショップへ、私はそれも芸が無いなと思い、どうしようかと考えた挙句、中森明菜の生まれた風景を見に行こうと思い立ちました。
といったものの、知っているのは出身が清瀬市という事実だけ。
地図で清瀬市というのを調べると、東京の西の方にあることが分かり、電車でトコトコ清瀬市までやってきました。
人っ気の少ない駅を降り立ち、東京にもこういう田舎ってあるんだ、と妙な感慨にひたりながら駅前を歩いていると、お店の前に店員が立っていたので思い切って、「中森明菜のファンで地方から出てきたんですけど、中森家を知っていますか?」と聞いてみました。
その人はちょっと驚いたような顔をした後「何しに行くの?」と聞かれたので、「ただ生まれたところがどんなところか見に来ただけです」と答えました。
その人は、「あっちの方だと聞いてるけどな」と指をさしてくれたので、そちらの方をブラブラ歩いてみました。
しばらく歩いていくと、何とそこには「中森」と表札があったのです。
しかも、そこの塀にはたくさんの落書きがしてありました。
夜に合流した友達にその日の出来事を話したら相当驚いていて、「その行動力に私への見方が変わった」と言っていました(笑)。調子にのって他の友達にも話したら「それって危なくない?」と言われてしまいました。やはり人により見方は異なるものです・・・。
高校時代のもう一人のアイドル。
高校時代の後半には「岡田有希子」という歌手のファンでした。
私の友人がたまたま「親衛隊長」(当時はアイドルを守るという名目で、親衛隊なる組織があり、事務所も彼らの存在を認めていたのですが、実際には自分達が常にアイドルの傍にいたいというだけの人々)をしていたので、私はファンクラブにも入っていなかったにもかかわらず、彼女がコンサートなどでやってくるといつも一緒に行動をさせてくれました。
なので彼女のサインは10枚ぐらい持っているし、新幹線の移動中などに二人きりで話をしたりしました。肩を組んで撮った写真もあります。
彼女は、実際に会っていても、とても素直で頭の良い純情な子だったのですが、非常に残念なことに、その後事務所のビルの屋上から飛び降り自殺してしまいました。芸能界というところが彼女とは合わなかったのだと思っています。
この事件は、当時メディアにより大々的に報道されたので記憶がある方も多いかも知れませんが、私自身相当なショックでした。
現在は、自分でも信じられないほどアイドルには興味が無くなってしまい、「好きなタレントは?」と聞かれるのが困るぐらいなのですが、そんな私にもこんな時代がありました。
一昨日の『hirog』で触れたとおり、私は昔中森明菜のファンでした。
当時はレコード(今はCDですが(汗))をすべて買っていたし、彼女が出るTVやラジオはほとんど聞いていました。
彼女がDJをしていたラジオ番組で「イラスト大賞」なるコンテストがあり、そこへ「赤ちゃん」の絵を描いて送ったら大賞をもらったことがあります。
また、ラジオのランキング番組に彼女がゲスト出演していたとき、彼女が「今付けている指輪をプレゼントします」と言っていたので応募したら、数千通の応募の中から見事私が当選したこともあります。(その肝心の指輪はどこかに行ってしまったのですが・・・)
中森明菜に関するトピックはもう一つあります。
私が初めて東京に遊びに来たのは、忘れもしない高校2年のときなのですが、一緒に来た友達と1日だけお互いフリー行動の日を入れていました。
友達は、当時流行していた「夕焼けニャンニャン」のTVでヒットした「SAILORS」という洋服のショップへ、私はそれも芸が無いなと思い、どうしようかと考えた挙句、中森明菜の生まれた風景を見に行こうと思い立ちました。
といったものの、知っているのは出身が清瀬市という事実だけ。
地図で清瀬市というのを調べると、東京の西の方にあることが分かり、電車でトコトコ清瀬市までやってきました。
人っ気の少ない駅を降り立ち、東京にもこういう田舎ってあるんだ、と妙な感慨にひたりながら駅前を歩いていると、お店の前に店員が立っていたので思い切って、「中森明菜のファンで地方から出てきたんですけど、中森家を知っていますか?」と聞いてみました。
その人はちょっと驚いたような顔をした後「何しに行くの?」と聞かれたので、「ただ生まれたところがどんなところか見に来ただけです」と答えました。
その人は、「あっちの方だと聞いてるけどな」と指をさしてくれたので、そちらの方をブラブラ歩いてみました。
しばらく歩いていくと、何とそこには「中森」と表札があったのです。
しかも、そこの塀にはたくさんの落書きがしてありました。
夜に合流した友達にその日の出来事を話したら相当驚いていて、「その行動力に私への見方が変わった」と言っていました(笑)。調子にのって他の友達にも話したら「それって危なくない?」と言われてしまいました。やはり人により見方は異なるものです・・・。
高校時代のもう一人のアイドル。
高校時代の後半には「岡田有希子」という歌手のファンでした。
私の友人がたまたま「親衛隊長」(当時はアイドルを守るという名目で、親衛隊なる組織があり、事務所も彼らの存在を認めていたのですが、実際には自分達が常にアイドルの傍にいたいというだけの人々)をしていたので、私はファンクラブにも入っていなかったにもかかわらず、彼女がコンサートなどでやってくるといつも一緒に行動をさせてくれました。
なので彼女のサインは10枚ぐらい持っているし、新幹線の移動中などに二人きりで話をしたりしました。肩を組んで撮った写真もあります。
彼女は、実際に会っていても、とても素直で頭の良い純情な子だったのですが、非常に残念なことに、その後事務所のビルの屋上から飛び降り自殺してしまいました。芸能界というところが彼女とは合わなかったのだと思っています。
この事件は、当時メディアにより大々的に報道されたので記憶がある方も多いかも知れませんが、私自身相当なショックでした。
現在は、自分でも信じられないほどアイドルには興味が無くなってしまい、「好きなタレントは?」と聞かれるのが困るぐらいなのですが、そんな私にもこんな時代がありました。
玄米物語 11/17
お昼にコンビニに昼食を買いに行ったら、うちの総務の女性と一緒になりました。
その子は他の女性スタッフのためにお弁当を買っていたのですが、レジで玄米を頼んでいました。
なんと、そのコンビニはお弁当のご飯部分が入っておらず、そこに炊きたて(!?)の「白米」か「玄米」かを選べるのです。
ご飯だけ購入時に入れてくれるという気の利いたサービスも去ることながら、健康ブームの流れなのか、と妙に感心しながら、ふと昔のことを思い出しました。
私は小さい頃、実はご飯があまり好きではありませんでした。
なぜかというと玄米だったからです。
それも健康のため、ということではなくて経済上の理由だったのだと思います。
その証拠に、我が家では祖父母には白米を出していました。健康にいいのであれば、お年寄りこそ玄米を食べるべきだからです。
私はいつも祖父母がうらやましくて、自分も白米だったらご飯が好きになるかも知れないのにと思っていました。
玄米は家のご飯だけではありませんでした。
幼稚園はお弁当持参なのですが、そのお弁当のご飯も玄米だったのです。
周りのみんなが白米だったので、恥ずかしいやおいしくないわで、お弁当の時間が苦痛だったことを覚えています。
玄米は、稲の殻をとった後の状態で、精白されていない米なので、固くて喉につっかかるのです。
ただ、白米よりビタミンや食物繊維に富んでいるので、最近では健康食品として見直されているようです。
特に、ダイエット、便秘、血糖値抑制などに効果があるとか・・・。
久しぶりに玄米の味を食したくなってきました。
近いうちに玄米ご飯を選択してみたいと思います。
子供の頃と違っておいしく感じるかどうか楽しみです。
その子は他の女性スタッフのためにお弁当を買っていたのですが、レジで玄米を頼んでいました。
なんと、そのコンビニはお弁当のご飯部分が入っておらず、そこに炊きたて(!?)の「白米」か「玄米」かを選べるのです。
ご飯だけ購入時に入れてくれるという気の利いたサービスも去ることながら、健康ブームの流れなのか、と妙に感心しながら、ふと昔のことを思い出しました。
私は小さい頃、実はご飯があまり好きではありませんでした。
なぜかというと玄米だったからです。
それも健康のため、ということではなくて経済上の理由だったのだと思います。
その証拠に、我が家では祖父母には白米を出していました。健康にいいのであれば、お年寄りこそ玄米を食べるべきだからです。
私はいつも祖父母がうらやましくて、自分も白米だったらご飯が好きになるかも知れないのにと思っていました。
玄米は家のご飯だけではありませんでした。
幼稚園はお弁当持参なのですが、そのお弁当のご飯も玄米だったのです。
周りのみんなが白米だったので、恥ずかしいやおいしくないわで、お弁当の時間が苦痛だったことを覚えています。
玄米は、稲の殻をとった後の状態で、精白されていない米なので、固くて喉につっかかるのです。
ただ、白米よりビタミンや食物繊維に富んでいるので、最近では健康食品として見直されているようです。
特に、ダイエット、便秘、血糖値抑制などに効果があるとか・・・。
久しぶりに玄米の味を食したくなってきました。
近いうちに玄米ご飯を選択してみたいと思います。
子供の頃と違っておいしく感じるかどうか楽しみです。
ミス一高 11/16
昨日のブログ、読み返してみたら、かなり仕事モードに入っていたようですいません・・・。
さて、秋と言えば学園祭のシーズンでもありますね。
学園祭というと、ミスコンが定番ですが、私の高校でも毎年ミスコンが恒例となっていました。
と言っても私が通っていた高校は男子校なので、いわゆる女装大会です。
私も女装すると綺麗だという評判だったのですが(笑)、そういうレベルを超えて、私の同級生で3年連続で「ミスグランプリ」に輝いた人が居ました。
これは我々の高校の90年の歴史でも初の快挙で彼は一躍有名になりました。
うちの高校だけでなく、歴代ミスの中でもずば抜けて綺麗だということで評判になり、地元のあちこちの高校から彼を見るために集まってきて、会場である体育館は超満員で熱気で倒れた人が出るぐらいでした。
彼の名前は小林と言って、放送部に所属していたのですが、学園祭期間中は、なぜか私の所属していたサッカー部と放送部共同で喫茶店を運営しており、小林見
たさに喫茶店は大繁盛でした。
当時は中森明菜が大人気の時代だったのですが、小林は中森明菜に顔が似ていて、ミスコンではいつも中森明菜の歌を歌っていました(もちろんイメージを崩さな
いために口パクでしたが・・・)
その後小林とは友達になったので、今こうやって話すのは照れくさいのですが、私は当時中森明菜のファンだったこともあり、小林はかなり綺麗な顔をしていると思っていました。
変な話ホモってこういう感覚なのだろうか、と一時自己嫌悪に陥ったりもしましたが、よく考えると小林という男ではなく、女性らしさにドキドキしていたので正確には違うはずと自分に言い聞かせていた瞬間もありました(笑)。
ちなみに、高校の卒業アルバムには、彼の写真はミスの格好で載っています。
さて、秋と言えば学園祭のシーズンでもありますね。
学園祭というと、ミスコンが定番ですが、私の高校でも毎年ミスコンが恒例となっていました。
と言っても私が通っていた高校は男子校なので、いわゆる女装大会です。
私も女装すると綺麗だという評判だったのですが(笑)、そういうレベルを超えて、私の同級生で3年連続で「ミスグランプリ」に輝いた人が居ました。
これは我々の高校の90年の歴史でも初の快挙で彼は一躍有名になりました。
うちの高校だけでなく、歴代ミスの中でもずば抜けて綺麗だということで評判になり、地元のあちこちの高校から彼を見るために集まってきて、会場である体育館は超満員で熱気で倒れた人が出るぐらいでした。
彼の名前は小林と言って、放送部に所属していたのですが、学園祭期間中は、なぜか私の所属していたサッカー部と放送部共同で喫茶店を運営しており、小林見
たさに喫茶店は大繁盛でした。
当時は中森明菜が大人気の時代だったのですが、小林は中森明菜に顔が似ていて、ミスコンではいつも中森明菜の歌を歌っていました(もちろんイメージを崩さな
いために口パクでしたが・・・)
その後小林とは友達になったので、今こうやって話すのは照れくさいのですが、私は当時中森明菜のファンだったこともあり、小林はかなり綺麗な顔をしていると思っていました。
変な話ホモってこういう感覚なのだろうか、と一時自己嫌悪に陥ったりもしましたが、よく考えると小林という男ではなく、女性らしさにドキドキしていたので正確には違うはずと自分に言い聞かせていた瞬間もありました(笑)。
ちなみに、高校の卒業アルバムには、彼の写真はミスの格好で載っています。