今年は中国のネット上で「被○○」という表現が流行りました。


中国語では「被○○」というのは「○○される」という意味です。


そもそもはネット上に尋常ではない自殺のことを指して「被自殺」(自殺させられた)という表現の書き込みがされ、そこから「被就職」(就職させられた)とか「被捐款」(寄付させられた)などに派生したようです。


中国では、こういった現状を「被時代」と呼んでいるようですが、高度成長の裏側にある課題の中で若い人達の間では受動的な感覚が目立ってきているのかも知れません。


以前の『hirog』 にも書いたことがありますが、私は「~される」という表現が好きではありません。

「異動させられた」「騙された」「フラれた」・・・などなど。


普段の会話の中で、相手に「~される」という言葉を多用されると、後ろ向きな印象が残ってしまいます。


自然の流れや、不可抗力で起こってしまったことはどうしようもないこと。

それを誰かのせいにしたり、被害妄想になるのは、気持ちは分かりますが、言ってどうなるものではないのが現実です。


また、人には基本的に選択の自由意志があります。


周りに振り回されていると思う前に、一歩引いて、自分には選択ができるのではないか、と考えてみると、意外に気分が楽になることがあると思います。


既述の表現で言えば・・・


「異動が嫌なら辞めることだってできる」
「騙される自分が悪い」とか「騙した人とは付き合わなければいい」
「フッた人を見返す人間になる」とか「他の異性と巡り合うチャンスだ」


ポジティブシンキングに近いのかも知れませんが、精神論というよりも、現実的に人には自分の意思で決めれることが少なくないと思います。


簡単にいえば「主体的に生きた方が得」ということではないでしょうか。