今日は心情的に「ガチ(※先日の『hirog』 参照)」真剣な話題で・・・。


よく好きなタイプの人の話になると、男女共に「優しい人」という人が少なくありません。


そんなとき、私は「優しい人はたくさんいるのにな・・・」と思ってしまいます。


身近なところで「優しい」と思う瞬間でいうと、


・お年寄りに席を譲る
・元気がないときに声をかける
・重い荷物を持ってあげる
・仕事を手伝う
・具合が悪くて休んでいるときに差し入れする


などでしょうか。


ところで、「優しさ」と「思いやり」は近い言葉ですが、個人的にはその微妙な違いこそが最も大事なのではないかと思います。


主観ですが、「優しさ」と「思いやり」には以下のような違いがあると思っています。


1.「優しさ」は目に見えるが、「思いやり」は時として目に見えない。
2.「優しさ」はその瞬間に感じるが、「思いやり」は時間が経ってから感じることがある。
3.「優しさ」は客観的には誰しもがそう思えるが、「思いやり」は当事者によって異なる。
4.「優しさ」は教育、経験、マナーなどで習得できて、その人の人格そのものを表現しているものとは限らないが、「思いやり」はその人そのものが現れる。
5.「優しさ」は一方通行だが、「思いやり」は一方通行のものではない。


決定的な違いは、「思いやり」は相手の「状況」・「立場」・「気持ち」を考えて、相手が望んでいることを、相手から求められずしてしてあげる、ことではないかと思います。

つまり、人によって「思いやり」の形は違うのです。


「優しさ」の例であげた、「お年寄りに席を譲る」は客観的には優しい行為ですが、年をコンプレックスに思っていたり、運動や鍛えるために意図的に立っている人もいるかも知れません。

「元気がないときに声をかける」にしても、もしかしたらそっとしておいて欲しいかも知れません。

相手が望んでいる、もしくは相手の為になることでなければ「思いやり」とは言えないのではないでしょうか。


そういう意味で、「思いやり」は簡単ではありません。

一般的には、「思いやり」は「大切な人」にしか出来ないことではないかと思います。


ただ、その「大切な人」に対しても自分で「優しい」と思い込んでいることを、単に押し付けていることもあるかも知れません。


私は、この年になって、この「優しさ」と「思いやり」について深く考えるようになりました。


私は、昔から「優しい」と言われます。
でも、自分の「優しさ」は他の人でもできること。


そういう意味では、自分はまだまだ「思いやり」の足りない人間だと最近反省しています。