私は完璧な理系人間なので、得意な科目は数学と物理でした。
理由は単純で、公式にあてはめれば、後は計算間違いさえしなければ正しい答えが出るからです。
私は負けず嫌いな性格だったので、特に数学は一番にならないと気が済まず、先生も扱いに困っていたようです。


一方で苦手だったのは、国語や英語。
国語は答えが二つまでは絞れるのですが、どうしても正解が一つではない気がして納得がいってなかったし、英語は文法は覚えればいいのでいいとして、ヒアリングが苦手でした。


でも科目の好き嫌いには、誰に教えてもらうか、つまり先生の影響も小さくないような気がします。
先生の教え方がうまくて一気に成績が伸びたとか、先生に褒めてもらいたくて勉強を頑張った、という人は少なくないのではないでしょうか。


私の中学校の国語の先生は、答えを間違うと「どうしてこんなことが分からないんだ?」と言わんばかりに突っ込まれて、ますます自信を無くしてしまった気がします。
逆に高校の先生は、私の作文に最高得点をつけてくれました。
後で理由を聞いたら、文章がうまいわけではないのだが、素直な感情が表れている、ということでした。
英語の先生は、自分自身も英語が得意ではなかったらしく、発音がとにかく上手ではなく、その先生の発音が頭に残ってしまっていました。


私は、学生の頃、家庭教師や塾の先生のアルバイトをたくさんしていたのですが、なぜか得意な科目を教える機会がなく、私が苦手な科目を教える羽目になることが多くてかなり困りました。
でも自分が苦手だからこそ、なぜ分からないのか、を考えて教え方を工夫するので、逆に生徒には分かりやすかったようです。

「教える」ということは、必ずしもその分野に詳しくある必要はなく、どうやったら理解できるかという方法が大事なのだと思います。


仕事でも似たようなことがあるかも知れません。
チューター役についた先輩が尊敬できて、指導の仕方がうまければ、どんどん才能が伸びてくるでしょうし、教え方によっては、逆に萎ませてしまうということもあるかも知れません。


人に教える・・・ということは、相手の立場や目線にならなくてはいけないので、つくづく難しいと思います。