会社のホームページ宛に、たまに学生からメールが入ることがあります。
要件は就職活動ではなく、ゼミの研究や論文を書くにあたっての企業研究が目的です。


彼らがそうだということではないのですが、最近はインターネットで調べたり、メールのアンケートだけで課題や論文を済ます学生が増えているように思います。


確かにインターネットを使えば、今やそれなりの情報収集はできると思いますし、ネットやメールなどの便利なツールはどんどん活用すべきだと思います。

しかし、それだけで終わってしまっては、片手落ちな気がします。

現場を自分の目で見たり、現場を肌で感じることはとても重要だし、それによって初めてオリジナリティが出てくるのではないかと思います。


私は大学と大学院のときに二度ほど論文を書いていますが、大学院のときの修士論文のテーマは、「教会堂の意匠」に関するものでした。


教会堂については、以前の『hirog』 でも触れたことがありますが、キリスト教の教派と設計士が建物のデザインに与える影響、そして日本のオリジナリティを調べるため、東北地方の戦前に建てられた教会堂(当時で50以上)すべてを訪問することにしました。


大学から経費とかが出るわけではないので、姉の省燃費の小型車を借り、高速を使わずに1回の出張(!?)につき、1箇所か2箇所を調査訪問するのですが、宿泊費も無いので、朝陽が昇る前に出て、夜中もぶっ通しで運転して翌朝に帰ることもしばしばでした。


最大の敵は「睡魔」で、目の上にメンソレータムを塗るなどして耐えるのですが、それでも時折車の中でうたた寝してしまい、気がつくと対向車線を走っていたことが数回ありました。
東北の田舎道だから良かったものの、今考えると恐ろしいものがあります。


当時の教授は、途中で挫折するだろうと思っていたようですが、夏休みも返上して2ヶ月余りで1人で東北の端から端までまわり抜きました。


1回の調査は、まず訪問前に牧師さん(教派により呼び名は異なるのですが)にアポを取り、教義やその教会の考え方などについて話を聞いたあと、教会堂の写真を撮ったり、教会堂の実測をしたりします。


古い建物なので、設計図面が残っていることは極めて稀ですし、残っていたとしても実態と違うということが度々ありました。
ちょうど夏だったこともあり、締め切った教会堂は蒸し風呂状態で、汗だくになりながら、たった1人でメジャー片手に広い教会堂の測量をして図面を起こすのですが、かなりしんどい作業でした。


牧師さんと仲良くなると、教会活動にご招待いただいたりするので、そのときはミサとか活動に参加させていただいたりして、教会の方々と交流もありました。
人と会って話を聞いていると文献にはない、何かしらの新しい発見があるものです。


その成果物としての論文は、400頁近くにも及び、手前味噌ながら、自分でもよく頑張ったなと思います。

しかし、東北はキリスト教がそれほど普及していた地域ではないので、どの教会堂も資金的にはギリギリのところでやっており、戦前の貴重な建築ながら、その後いくつかは解体されてしまったようです。


今考えると、この論文を完成させたことの「達成感」というのが、心のどこかで私を支えている要素のひとつになっている気がします。