これまで、学校の先生になるためには、大学に進学し、教員免許を取得して、採用試験に受かるというのが主流でした。しかし、今では動画配信者(ユーチューバーなど)が教養系の知識やビジネスに関する知識などを配信し、まるで「先生」のように振る舞っています。先生方の中でも「授業なんかいらない!youtubeで検索して説明動画を探せばいくらでもあるだろう!」というような発言をする方も増えました。それは同時に、危機感を抱いていることを暗に示しているようです。


 過去のプロセスを経なくても実現できるようになることをここでは属性化と呼びたいと思います。大学に行かずとも、学校の先生のような振る舞いができるようになったことは非常に大きな変化です。

 そして、これは学校の先生に限ったことではありません。例えば、歌手であっても、スポーツ選手やコーチであっても、作家や政治家であっても、小規模であれば誰でも活動することができ、プロ以上の働きができる可能性も高まりました。

 スマートフォンの普及によって、あらゆることのコストが下がり、ほとんどが無料、そして自由になりました。技術が進展してきたことによって、単純労働がロボットに代替された過去の出来事と重なる部分があります。


 となると、当然学校で教える内容も、教え方も変化するのが妥当です。しかし、現在、学校に居ながらにしてその変化を感じることはほとんどありません。たしかに、タブレットを生徒に貸出したり、ソフトウェアや各種サービスを利用して授業をしてはいますが、これだけでは本質的なDX(デジタルトランスフォーメーション)、デジタル化ではないと思います。


 職業の属性化を止めることや抗うことでは到底できません。ましてや仕事を失うことに怯え、子どもたちを脅してもなんの意味もありません。また、AIに単純作業という不利な分野での勝利を目指すことは、不幸な人々を増やすことにもなりえます。

 属性化は受け入れるしかありません。受け入れたうえで、どのように楽しむか、どう楽しませるか。どうやったら大切な自分の気持ちに嘘をつくことなく生活していけるのか、生活させられるのかをしっかりと考えるべきです。

 これからの学校の役割は、属性化を活用して楽しめる人材を育成する仕掛けや仕組みを考えることに変化してくることが予想されます。


 新井紀子著「AI VS 教科書の読めない子どもたち」は鮮烈な印象を人々に与えましたが、AIが東大に入学できなかったとしても、AIよりも点数が取れない人の方が多いことを証明しました。同じ土俵に立つことほど愚かなことはありません。