今更、有馬記念の回顧を書かれても
読者の方々はご興味ないと思われますが、
自分自身の備忘録として書き留めておこうと思います。
・【有馬記念の歴史】を振り返る
第1回
1着 メイジヒカリ(牡4) 菊花賞①→春天①/当日1人気
2着 キタノオー(牡3) ダービー②→菊花賞①/ファン投票1位
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5着 ハクチカラ(牡3) ダービー①→菊花賞⑤/当日5人気
すでに何度も書いていますが、この決着構造が基本。
4歳春天を1着した菊花賞馬が3歳菊花賞馬にバトンを渡すという構造。
同時に当年のダービー馬=ハクチカラも出走。
彼は菊花賞は5着と未連対に終わった為、有馬(中山グランプリ)も5着敗退。
この【菊花賞未連対ダービー馬】が3歳時の有馬を勝てない…
という呪縛は令和の今になっても継続している【掟】です。
第2回
1着 ハクチカラ(牡4) ダービー①→秋天①/ファン投票1位/当日1人気
2着 オンワードゼア(牡3) ダービー⑪→菊花賞②/当日8人気
前年のダービー馬で有馬記念5着だったハクチカラが、
直前で【秋天馬】の称号を得て、見事1着席に。
ダービー馬が古馬GⅠ(級)レースに勝つためには
初出走時に敗退(=遠慮)するべし…というルールの原点ですね。
有馬記念1着後はずっと海外レースを転戦し、
日本馬として初めて海外重賞を勝った馬としても有名です。
そしてそれ以降の有馬記念着馬は…
第3回 オンワードゼア(牡4) 初の連続連対馬(春天1着)/ファン投票1位不出走
第4回 ガーネット(牝4) 初の牝馬1着馬(秋天1着)
第5回 スターロッチ(牝3) 初の3歳1着馬(オークス1着)
第6回 ホマレボシ(牡4) 初の8大競争未勝利1着馬(安田1着)
第7回 オンスロート(牡5) 初の[地]1着馬(春天1着)
…と、毎年新しいサンプル馬を提供、そして…
第10回 シンザン(牡4) 初の3冠馬、宝塚記念馬が1着
ようやくここでハクチカラ以来のダービー馬が1着。
ご存じシンザンで、初めての春秋グランプリ連覇馬となります。
ただシンザンもハクチカラ同様に【秋天馬】ですので、
ダービー馬というより【天皇賞馬】としての側面が強そうです。
第19回 イシノヒカル(牡3) 菊花賞①/ファン投票1位
初めて3歳のファン投票1位馬が1着しますが、
ダービー馬ではなく菊花賞馬。
それまでコダマ・メイズイと当年ダービー馬が
ファン投票1位に推された年もありましたが、
・コダマ=菊花賞5着(1人気)→有馬6着(5人気)
・メイズイ=菊花賞6着(1人気)→有馬2着(1人気)
と共に菊花賞を未連対だったため、有馬記念でも敗退しています。
その後、イシノアラシ・トウショウボーイ・リードホーユーと
3歳馬が勝つ年もありましたが、すべてダービー馬ではありません。
シンザン以降に有馬記念を勝つダービー馬…その馬こそ…
第29回(1984年) シンボリルドルフ(牡3) 三冠馬
言わずと知れた皇帝=シンボリルドルフであります。
つまりルドルフは【初の当年ダービー馬】として
有馬記念を勝つことを許された馬であり、
まさに【大指標馬】といえる存在であると言えます。
そしてこのシンボリルドルフの登場以降、
ダービー馬が有馬記念で勝たせてもらえるようになります。
81年のJC創設…84年のJRAへの改称とグレード制導入…
この時から【ダービー馬の地位向上】と
未来の【凱旋門賞・優勝】を目指し始めたのではないでしょうか。
86年 ダイナガリバー(牡3) 菊花賞2着
93年 トウカイテイオー(牡5) JC1着
94年 ナリタブライアン(牡3) 菊花賞1着
06年 ディープインパクト(牡4)
菊花賞1着/春天1着/宝塚1着/[外]凱旋門賞(失)/JC1着
11年 オルフェーヴル(牡3) 菊花賞1着
13年 オルフェーヴル(牡5) 菊花賞1着/有馬1着/宝塚1着/[外]凱旋門賞2着
23年 ドウデュース(牡4) [外]凱旋門賞19着
シンボリルドルフ以前と以後では、
明らかにダービー馬の有馬記念での勝率に差がありますね。
ただし、ダービー1着後に…
・菊花賞連対歴
・JC/海外GⅠ歴などの国際GⅠ歴
・グランプリレース1着歴
のいずれかが必要だと考えられます。
ですが一方で、スペシャルウィークやメイショウサムソンは
なぜ有馬記念で1着出来なかったのか…という疑問も生じます。
次回はシンボリルドルフ以降の有馬記念の歴史を
もう少し掘り下げて考察してみたいと思います。