ふと考えると
あるときから急に、強く、母親のような母性的な愛を求められることが増えてきました。
(もしかしたらこれまでも求められていたのかもしれませんが、それほど苦ではなかったのかもしれません)
仕事でもプライベートでも。
私は求められるたびに、
分からない
あなたがどうしてそれを私に欲してるのかわからない
身体が痛い
動かない
そんな気持ちになることがあって
私は怖くて震えて
そこから逃げたくなることがありました。
もちろん仕事の時は逃げることなんてできないし
人間ではない私の部分で仕事をするので最後までやりきることができるのですが
プライベートまでそんな風に求められると、私はどうしたらいいのか分からなくなりました。
唐突にそういったことが始まるようになったので
少し困惑ぎみでしたが
やっと少し見えてきたものがありました。
それは、私自身が通ってきた道を、すっかり晴れた気持ちで振り返ることでした。
どしゃぶりだったその道を、悲しい気持ちで見るのではなく
雨上がりの空にすることでした。
(恋は雨上がりのようにの最終回を観てそんな風に思いました。やっぱり人って、心の景色を深いところで知っていて、いつも何かに投影しているのだと思います。あとでようやくそれが何だったのか気付くのだと思います)
強く愛を求められるとき、私は私の中から何かがあばかれそうで怖くなりました。
何かが引き出されてしまいそうで体が硬直しました。
もう二度と思い出したくない景色を、また見ることなんてできないし
お願いだから、私に愛なんて求めないでよ!
というような気持ちになりました。
私は何もあなたに与えることなんてできない!と思いました。
だって、なんだかそれって理不尽って思いました。
誰かの傷にただ寄り添うことはできました。
それはとても簡単なことでした。
共感は得意だったからです。
「愛を貰うことができなかった、悲しい」という気持ちには寄り添うことができました。
でも、愛を求められることはまた別なのです。
共感は寄り添うだけでできること。
だけど、「愛をちょうだい」と強く愛を求められたときに、それは共感ではできないのです。
じゃあどうしたらいいのか。。
それを少しずつ見ていきながら、答えを出していきたいと思います。
スピリチュアルティーチャーのレッスンを通して受け取っていきます。
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先日、ずっと電車の中で見えていた桜に、今年こそは逢いにいきたいという気持ちになって、急遽途中下車して逢いにいきました。
なんにもない、普通の電車しか止まらない小さな駅です。
ただ川が流れていて、その川に沿って咲いている桜達です。
嬉しくてワクワクする気持ち
とっても幸せな気持ちになるんです。
駅を降りて歩くこと20分。。。
初めて歩く場所って、楽しくてすごくいい。気持ちいい。
桜の下まで来ると、たくさんの桜達に囲まれて、さらに幸せな気持ちになりました。
やっと来れた気持ち。
祝福されてる感じ。
周りには私しかいません。
人目を気にしないでそこにいようと思いました。
桜を見ていると、何かが行われているようでした。
ワークなのか、統合なのか。
何かを一生懸命にダウンロードしているような感覚でした。
私はずっと心の中で「これからの私の人生を応援してほしい、繋がってほしい」と祈っていました。
よく分からないけれど、勇気が欲しかったんです。
桜達から勇気をもらいたかった。
十分に、もういいと思えるまで、ずっとそこにいました。
体中に何かが満ちてくるまで。
そうして、桜達が、なんでもないもの、ただの桜に見えるようになったところで
私は帰ることにしました。
描画ワークでも、自分が描いたものに何かを投影して、そうして統合が起こったときには
もうその描いたものは何の意味も持たなくなるのですよね。
それと同じことが起こっていたようでした。
私達はいつも何かに自分の中の光や闇を投影しては、それを受け取ろうとしているのですよね。
ワークショップのお知らせ
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漠然としたモヤモヤ、イライラ、悲しみ、寂しさ、怒り、喜び、ワクワク、ドキドキ
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