ラッキーと思うことの延長に、本質的で大きな幸せが | Cobalt Blue Attic

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takenoのブログ。旅行記や本、仕事、日々のことなど。

10代の頃から、「大きな物事を、会心の一撃のような方法で達成し、心からの充実感がほしい」と思う時があった。
大きなことと言っても、その時の身の丈に比較して大きなという意味で、仕事だ何だでいくつかそういった気持ちは得ることができた。

しかしながら、ささやかに嬉しいことがいくつもカウントされたら、「幸福度が高い」とか「満足度が高い」毎日だとも思えるマインドになった。

・ホームについた瞬間に電車が来た
・レジでちょうどクーポン券を思い出してちょうど使えた
・雨宿りで入った本屋で、読みたいと思っていた本と再会した
・綿密に計画しなかったにも関わらず、時間がうまく使えた
・私が必要なときに、それが不要な人から頂く事ができた

など。

多分、TEDかなにかでそんなことを言っている人を見たからだと思うけれど、しっくりしている。
(あとで誰がプレゼンしていたか調べる)
ラッキーはハッピーだ。

それと、日々のハッピーを意識的にカウントすることは、自分自身に対する、デザイン思考と呼ばれるイノベーションを起こす方法や考え方の文脈で行われるユーザー観察でもある。
私の日常のささやかにラッキーと思うことの延長に、私の本質的でより大きな幸せがあると思う。

私のプチ幸せは、「能率的・効率的である」ということは抽出できる。
何故かはわからない、それを大きくしてみて、やってみて後から考えようと思う。