今日も、
本当によく頑張りました。
朝から、
バタバタと動き回って。
気がつけば、
夜になっています。
ふと、
自分の足を見てみます。
パンパンに、
むくんでいます。
靴が、
少しきつく感じられます。
これは、
気のせいではありません。
まぎれもなく、
私の足がむくんでいるのです。
では、
いったい、どうしてこんなに疲れてしまったのでしょうか?
それは、
私たちが毎日、
見えないところで、
必死に戦っているからです。
会社に行って、
家事をして、
人間関係に気を遣って。
私たちは、
思っている以上に、
エネルギーを消費しています。
いわば、
『見えないエネルギー』を、
毎日、
少しずつ削りながら生きているのです。
そう考えると、
本当に、
私たちはスゴイことを毎日やっているんだと思います。
でも、
ずっとアクセルを踏み続けていたら、
どうなるでしょうか?
車だって、
ガソリンがなくなります。
人間も、
まったく同じです。
休ませてあげないと、
いつか、
心も体も、
ボキッと折れてしまいます。
だからこそ、
時には、
『自分を甘やかす時間』が、
どうしても必要なのです。
そう、
今日は、
ちょっとだけ、
自分を盛大に甘やかしてみることにしました。
どれくらい甘やかしたかと言いますと。
まず、
夕ご飯の支度を、
完全に放棄しました。
「今日は、料理をしません。」
心の中で、
高らかに宣言しました。
家族には、
申し訳ない気持ちも少しだけありましたが、
それ以上に、
自由への解放感が勝ってしまいました。
そして、
スマホを取り出します。
指先が、
自然とあるアプリをタップします。
出前アプリです。
画面いっぱいに、
美味しそうな食べ物の写真が並びます。
ピザ、
お寿司、
ハンバーガー、
ラーメン。
どれもこれも、
キラキラと輝いて見えます。
まるで、
私を誘惑しているかのようです。
ここで、
普通の私なら、
こう考えます。
「カロリーが高いから、やめておこう。」
「お財布にも、優しくないよね。」
そうやって、
自分を律しようとします。
でも、
今日の私は違います。
頭の中に、
小さな天使と悪魔が出てくる暇もありませんでした。
私の指は、
迷うことなく、
一番カロリーが高そうなものをタップしていました。
『特盛チーズピザ』です。
それも、
一番大きいサイズです。
さらに、
サイドメニューとして、
チキンナゲットと、
ポテトフライのLサイズを二つも追加しました。
ドリンクは、
もちろん、
コーラの大容量ペットボトルです。
これは、
単なる夕食の注文ではありません。
『背徳のフルコース』
なのです。
注文を確定した瞬間、
なんとも言えない、
ゾクゾクするような快感が、
全身を駆け抜けました。
悪いことをしているような、
でも、
ものすごく自由なことをしているような。
そんな、
不思議な感覚です。
届くまでの一分一秒が、
ものすごく長く感じられました。
「ピンポーン。」
インターホンが鳴った瞬間、
私はまるで、
待ちに待った恋人に会うかのように、
玄関へとダッシュしました。
配達員さんから受け取った段ボール箱は、
ずしりと重く、
温かかったです。
箱を開けると、
チーズの香りが、
部屋いっぱいに広がりました。
それは、
ただの匂いではありません。
『解放の香り』
です。
私は、
テーブルの上のものを端っこに追いやり、
届いたピザをドーンと置きました。
お皿なんて、
使いません。
今日は、
そんなめんどくさいルールは一切なしです。
箱から直接、
アツアツのピザを引っ張り出します。
チーズが、
びよーんと伸びます。
その様子を見るだけで、
口の中に唾液があふれてきます。
一口、
ガブリと食べてみました。
「……!!」
言葉が出ませんでした。
あまりの美味しさに、
脳がしびれるような感覚がしました。
濃厚なチーズと、
甘酸っぱいトマトソースと、
オイリーな生地が、
口の中で一体となります。
これは、
美味しい、というレベルを超えています。
『至福の暴力』
と言っても過言ではありません。
普段、
体に良いものを食べようと、
野菜中心の生活を心がけている私にとって、
この脂と塩分の暴力は、
あまりにも刺激的でした。
次から次へと、
口の中に放り込んでいきます。
ピザを食べ、
ポテトをつまみ、
チキンを頬張り、
コーラで流し込む。
この完璧なまでのルーティン。
途切れることのない、
食欲の連鎖。
私は、
ただの人間から、
『食欲の化身』へと変貌を遂げていました。
部屋着のまま、
ソファにどっかりと腰掛け、
テレビを見ながら、
ひたすら食べる。
誰にも文句を言われない。
誰の目も気にする必要がない。
ただただ、
目の前にある美味しいものを、
本能の赴くままに消費していく。
これは、
現代社会を生き抜く私たちにとって、
最高の贅沢なのではないでしょうか。
お金をいくら積んでも買えない、
『究極の自由』が、
そこにはありました。
ピザの箱が、
みるみるうちに空になっていきます。
あんなに大きかった箱が、
ただのゴミへと変わっていく。
少し前まで、
「食べ切れるかな」と心配していた自分が、
バカらしく思えてきます。
余裕で完食です。
むしろ、
まだ少し物足りなさを感じている自分が怖い。
胃袋の底なし沼っぷりに、
自分でも驚愕してしまいました。
ふと、
お腹周りを見てみます。
Tシャツの上からでもわかるくらい、
ぽっこりと、
見事なお腹が鎮座していました。
さっきまでパンパンだった足のことなんて、
すっかり忘れていました。
代わりに、
お腹がパンパンです。
でも、
不思議と、
後悔はありません。
「あー、食べちゃったな……」という罪悪感よりも、
「やりきったぞ!」という、
謎の達成感の方が、
はるかに大きかったのです。
では、
ここで、
少し考えてみたいと思います。
なぜ、
私たちはこんなにも「自分を甘やかすこと」に、
ときめいてしまうのでしょうか?
それは、
普段の私たちが、
いかに自分を抑え込んでいるかという証拠なのだと思います。
「こうでなければならない。」
「ちゃんとしなければならない。」
「周りに迷惑をかけてはいけない。」
私たちは、
見えない鎖に縛られながら、
毎日を過ごしています。
その鎖が、
知らず知らずのうちに、
心を重くしているのです。
だからこそ、
たまにはその鎖を、
力づくでブチギレる必要があるのです。
ピザをドカ食いすることは、
単なる暴食ではありません。
『心のデトックス』
なのです。
たまったストレスを、
炭水化物と脂質で洗い流す。
そうすることで、
私たちは、
また明日から頑張るための力を、
チャージすることができるのです。
そう考えると、
あの時食べた特盛チーズピザは、
私にとっての『救済のアイテム』だったと言えます。
ちょっと大げさかもしれませんが、
本気でそう思っています。
人間、
時にはダメになることも大切です。
ずっと完璧でいられる人なんて、
この世のどこにもいません。
たまには、
お行儀悪く食べて、
お腹をポンポコリンにして、
「あー、幸せ!」ってダラダラする。
そんな時間があってこそ、
人生はバランスが取れるのではないでしょうか。
ピザの箱を片付けながら、
私は心からそう思いました。
お腹はいっぱい。
体は重い。
でも、
心はなんだか、
羽根が生えたように軽いのです。
明日からは、
またヘルシーなサラダ生活に戻ろうと思います。
たぶん。
いや、
きっと戻ります。
でも、
もしまた心が折れそうになったときは、
迷わず、
あのアプリを開くでしょう。
自分を甘やかすことは、
自分を大切にすることの、
ひとつの形なのだから。
そう自分に言い聞かせて、
私は今日、
最高に幸せな気持ちで、
眠りにつこうと思います。
おやすみなさい。
私の、
ぽっこりお腹とともに……。
では、いったい、
どうして私たちは、
ここまで「食べること」に夢中になるのでしょうか。
ただお腹を満たすだけなら、
栄養のあるサプリメントでも飲んでいればいいはずです。
それなのに、
なぜ、
私たちはわざわざ、
カロリーの高いものを求めてしまうのでしょうか。
問題は、
ここからです。
実は、
そこには、
人間の深い欲求が隠されています。
それは、
『生存欲求(せいぞんよくきゅう)』を超えた、
別の何かです。
たとえば、
疲れた仕事の帰り道。
ふと、
電車の窓に映る自分の顔を見て、
「私、
なんだか疲れているな」
と感じることはありませんか。
そんな時、
私たちの心は、
目に見えないエネルギーを失っています。
エネルギーが切れた状態。
いわゆる、
『枯渇(こかつ)』した状態です。
そんな時、
脳は必死に叫びます。
「何かを補給しなくては!」と。
それが、
単なる栄養補給ではなく、
『癒やし』としての食べ物を選ぶ理由なのだと思います。
そう考えると、
私たちが夜中に食べるピザやラーメンは、
ただの炭水化物ではありません。
傷ついた心を修復するための、
小さな薬なのです。
少し、
話しは変わりますが、
昔の人は、
よくこう言いました。
「腹が減っては戦ができぬ」と。
確かに、
お腹が空いていては、
何もできません。
でも、
現代を生きる私たちが戦っているのは、
目の前の敵ではありません。
私たちが戦っているのは、
見えない不安や、
終わりのないプレッシャーです。
そう。
私たちは毎日、
心の中で、
目に見えない戦いを繰り広げているのです。
だからこそ、
お腹を満たすことは、
戦いに疲れた兵士が、
ひとときの休息を取るようなものなのかもしれません。
あたたかいスープを飲んだ時。
甘いチョコレートを口に入れた時。
「ふぅ」と息をつく、
あの瞬間。
あれは、
単に味覚が喜んでいるのではありません。
心が、
「私はここにいていいんだ」と、
安心している瞬間なのです。
そう考えると、
食べるという行為は、
もっと深い意味を持っていると言えます。
それは、
世界と自分を繋ぎ止めるための、
大切な儀式のようなものです。
私たちは、
食べて、
消化して、
自分の血や肉に変えていく。
そうやって、
外の世界のものを、
自分の内側に取り込んでいきます。
つまり、
何かを食べるということは、
世界を信頼するという行為そのものなのです。
「この世界は、
私を養ってくれる場所だ」
そう信じられるからこそ、
私たちは安心して口に物を運ぶことができます。
だから、
無理をして食べないようにしたり、
自分を過剰に制限しすぎたりすることは、
時として、
自分を世界から切り離してしまうことにもなりかねません。
もちろん、
健康管理は大切です。
健康でいることは、
素晴らしいことです。
でも、
数字ばかりを気にして、
目の前にある温かい食事の温もりを感じられないとしたら。
それは、
少し寂しいことではないでしょうか。
もっとも、
どちらが良いという話ではありません。
バランスが大事なのです。
サラダを食べる日もあれば、
ピザを食べる日もある。
厳しくする自分もいれば、
優しくする自分もいる。
その両方を行ったり来たりしながら、
私たちは生きています。
揺れ動きながら、
それでも何とかバランスを取ろうとしている。
人間の人生とは、
まさにそういうものなのだと思います。
完璧じゃなくていい。
遠回りしてもいい。
時には、
夜中にこっそりピザを頼んでしまってもいい。
そんな自分を、
「これも私だな」と笑って許してあげること。
そこから、
本当の優しさが生まれるような気がします。
自分を愛するということ。
それは、
キラキラした自分だけを愛することではありません。
ダメな自分も、
情けない自分も、
食いしん坊な自分も、
まるごと抱きしめてあげることです。
そうやって、
自分の機嫌を取りながら、
私たちは明日へと歩いていく。
世界は広いけれど、
今日という日は、
あなた一人のものです。
だから、
どうか自分に優しくしてあげてください。
美味しいものを食べて、
よく眠って、
また明日から、
それぞれのペースで歩いていけばいいのです。
大丈夫。
あなたのお腹も、
心も、
ちゃんとあなたを支えてくれています。
だから、
安心して、
今日という夜を終わらせましょう。
おやすみなさい。
また明日、
素敵な朝が来ることを願って。