先日、

家の近くのコンビニで、

プリンを買いました。

 

本当に、

よくある、

普通のプリンです。

 

黄色くて、

ちょっと柔らかそうな、

あのプリンです。

 

では、

いったい、

なぜプリンを買ったのでしょうか。

 

理由は、

単純です。

 

甘いものが食べたかった。

ただ、

それだけのことなのです。

 

お腹が空いて、

ふと立ち寄ったコンビニの棚に、

そのプリンはありました。

 

手にとって、

レジに持って行って、

お金を払う。

 

ごく普通の、

日常の風景です。

 

ここで、

一つ思い出してほしいことがあります。

 

私たちは普段、

どれくらい「食べる」という行為に、

意識を向けているでしょうか。

 

ただ、

口に運んで、

飲み込むだけ。

 

そんな風に、

生きているのではないでしょうか。

 

もちろん、

それの何がいけない、

というわけではありません。

 

むしろ、

それが普通です。

 

時間は有限ですし、

忙しい毎日の中で、

一食一食に全神経を集中させるなんて、

不可能です。

 

そう考えると、

あの時買ったプリンも、

私にとっては、

数あるおやつのうちの一つに過ぎませんでした。

 

ですが、

問題は、

ここからなのです。

 

家に戻り、

スプーンを取り出し、

フィルムを剥がす。

 

ここまでのプロセスに、

何の変哲もありません。

 

しかし、

スプーンをプリンの表面に差し入れた瞬間、

私の世界は、

ガラリと音を立てて変わりました。

 

思っていたより、

よかったのです。

 

これは、

スゴイことです!!

 

普通のプリンだと思っていました。

 

どこにでもある、

量産の、

安価なプリンだと、

勝手に思い込んでいたのです。

 

でも、

違いました。

 

なめらかさ。

そして、

口に入れた瞬間に広がる、

濃厚な卵の風味。

 

それは、

まるで、

高級な洋菓子店で作られたかのような、

圧倒的なクオリティでした。

 

私は、

驚愕(きょうがく)しました。

 

もっと早く知りたかった……!!

 

本当に、

そう思いました。

 

ここで、

少し話しは変わりますが、

私たちは日々の生活の中で、

どれくらい「決めつけ」をして生きているでしょうか。

 

「これは、こういうものだ」

 

「どうせ、大したことはないだろう」

 

そうやって、

自分の小さな経験則だけで、

物事を判断してはいないでしょうか。

 

今回の場合で言えば、

「コンビニのプリンなんて、どれも同じだろう」

という、

勝手な思い込みです。

 

人間の脳というのは、

省エネをするようにできています。

 

すべてを新鮮な驚きとして受け止めていたら、

エネルギーがいくらあっても足りません。

 

だからこそ、

私たちはラベルを見て、

「これはこういうジャンルだ」

と、

自動的に分類してしまうのです。

 

それは、

生きるための知恵でもあります。

 

けれど、

その知恵のせいで、

私たちは、

目の前にある素晴らしい現実を見落としているのではないか。

 

そんな風に、

思えてならないのです。

 

では、いったい、

どうすればいいのでしょうか。

 

すべてを疑ってかかること。

それは、

少し疲れてしまいます。

 

でも、

たまには、

完全に油断しているところに、

思いがけない感動が飛び込んでくることもある。

 

今回のプリンの一件は、

まさに、

そういうことなのです。

 

ただの甘味ではありません。

 

人間の固定観念を揺さぶる、

小さな事件だったのです。

 

少し大げさに聞こえるかもしれません。

 

でも、

本当に、

そう感じたのです。

 

世の中には、

私たちがまだ知らない、

隠された魅力が、

たくさん転がっています。

 

遠くの国に行かなくても、

高いお金を払わなくても、

すぐ足元に、

そういうものが落ちている。

 

コンビニの冷蔵庫という、

極めて日常的な空間の中に、

宇宙の真理のようなものが、

隠されていたと言ったら、

大げさでしょうか。

 

いや、

大げさではないと、

私は信じたいのです。

 

なぜなら、

その一口のプリンが、

私の硬直した心を、

優しく溶かしてくれたからです。

 

忙しい毎日を送っていると、

どうしても心がトゲトゲしてきます。

 

効率ばかりを考えて、

無駄なものを切り捨てる。

 

そんな生き方に、

知らず知らずのうちに、

縛られている。

 

でも、

ふとした偶然で出会った美味しいものによって、

私たちは、

「あ、生きるって、こういうことだったな」

と思い出すことができるのです。

 

そう考えると、

これは、

ただの食べ物の話ではありません。

 

私たちの生き方そのものについての、

重大な問いかけなのだと言えます。

 

もっと、

世界を信頼してもいいのではないでしょうか。

 

もっと、

目の前の出来事に、

心をひそかに震わせてもいいのではないでしょうか。

 

完全に油断していたからこそ、

その衝撃は大きかった。

 

防衛心を解き放ったときにだけ、

本当の豊かさは、

流れ込んでくる。

 

そういうことなのだと思います。

 

明日もまた、

同じコンビニに行くかもしれません。

 

同じ棚を見て、

同じプリンを探すかもしれない。

 

でも、

もう以前の自分とは、

少しだけ違います。

 

「もしかしたら、この中にとてつもないドラマが眠っているかもしれない」

 

そう思えるようになったからです。

 

日常の中に潜む、

小さな奇跡。

 

それに気づけただけで、

今日の日は、

十分に価値があったと言えるでしょう。

 

だから、

私はこれからも、

油断していこうと思います。

 

すべてを疑うのではなく、

すべてに驚く準備をして、

生きていきたい。

 

プリンが教えてくれたのは、

そういう、

とても深い教訓だったのです。

 

本当に、

人生とは、

何が起きるか分からないものですね……。

少し、

話しは変わりますが、

 

みなさんは、

普段の生活の中で、

「偶然(ぐうぜん)」について、

どう考えているでしょうか。

 

「偶然だから、しかたない」

「たまたま、そういう日だった」

 

そうやって、

私たちは毎日の出来事を、

あっさりと片付けてしまっています。

 

予定通りにいかなかった日。

思わぬハプニングに出会った日。

 

そんなとき、

私たちは、

すぐにため息をつきます。

 

「ツイていなかった」

「運が悪かった」

 

そう言って、

心のシャッターを、

ぴしゃりと閉ざしてしまう。

 

でも、

少し待ってください。

 

本当に、

それはただの「偶然」なのでしょうか。

 

ここで、

見方を変えてみるのはどうでしょう。

 

実は、

世の中には、

私たちが思っているような「偶然」など、

一つもないのかもしれません。

 

すべてには、

ちゃんと意味がある。

 

すべての出来事には、

深い理由がある。

 

そう考えると、

目の前で起きるささいな出来事さえ、

全く違った輝きを放ちはじめます。

 

たとえば、

駅のホームで、

電車に乗り遅れたとします。

 

「あぁ、あと少しだったのに」

「なんて自分はタイミングが悪いんだ」

 

そうやって、

イライラしてしまう。

 

でも、

もしもその電車に乗っていたら、

何か大変なトラブルに巻き込まれていたかもしれない。

 

あるいは、

その電車を一本遅らせたおかげで、

ずっと会いたかった懐かしい人に、

偶然、出会うことができたかもしれない。

 

そう、

目の前の「不都合」は、

実は、

もっと大きな幸運のための、

隠された準備なのかもしれないのです。

 

これは、

スゴイことではないでしょうか。

 

私たちは、

自分の小さな目で見えている範囲だけで、

幸か不幸かを決めてしまっている。

 

「これが正しい」

「こうあるべきだ」

 

そんな窮屈な枠の中に、

自分の人生を、

無理やり押し込めようとしている。

 

だから、

少しでも予定が狂うと、

パニックになってしまうのです。

 

では、

いったい、どうしたらいいのでしょうか。

 

問題は、

私たちのその「固い頭」にあります。

 

『頑固さ(がんこそ)』

 

と言い換えてもいいかもしれません。

 

自分の思い通りにしたい。

自分の予測の範囲内で生きていたい。

 

その安全な場所から、

一歩も出たくない。

 

そういう恐れが、

私たちの心をガチガチに固めているのです。

 

でも、

思い出してください。

 

あの、

コンビニのプリンが教えてくれたことを。

 

完全に油断したとき。

無防備になったとき。

 

そのとき初めて、

世界は本当の姿を見せてくれた。

 

そう、

人生の面白さは、

予測不能なところにあるのです。

 

思い通りにならないからこそ、

面白い。

 

計画通りにいかないからこそ、

ドラマが生まれる。

 

そう考えると、

ハプニングこそが、

人生のスパイスなのだと言えるでしょう。

 

ここで、

少し壮大な話をさせてください。

 

宇宙(うちゅう)の歴史についてです。

 

何億年という気の遠くなるような時間の中で、

星が生まれ、

消えていった。

 

奇跡のような偶然が、

幾重にも重なって、

いま、この地球という星ができた。

 

そして、

その地球の上で、

私たちがこうして息をしている。

 

これって、

ものすごい確率の奇跡だと思いませんか。

 

いま、

あなたがここにいること。

 

いま、

あなたがこの文章を読んでいること。

 

それ自体が、

奇跡の連続なのです。

 

宇宙の始まりから、

今日のこの瞬間まで、

 

すべての歯車が、

ピタリと噛み合わなければ、

この出会いはなかった。

 

そう思うと、

目の前にあるすべてのことが、

愛おしく思えてきます。

 

嫌な上司も。

うまくいかない仕事も。

電車の遅延も。

 

すべては、

この大いなるドラマの一部なのだと。

 

もちろん、

頭では分かっていても、

いざ現実に嫌なことが起きると、

そんな風には思えないものです。

 

「きれいごとを言うな」

「こっちは本当に困っているんだ」

 

そう言いたくなる気持ちも、

痛いほどよく分かります。

 

人間ですから、

怒る時もあるし、

泣きたくなる時もある。

 

それでいいのです。

無理に聖人君子ぶる必要なんてありません。

 

問題は、

そのあとに、

どう心を切り替えるか、ということです。

 

落ち込むだけ落ち込んだら、

ふと、

空を見上げてみる。

 

「まあ、いっか」

「これも何かのサインかもしれないな」

 

そうやって、

肩の力を抜いてみる。

 

それだけで、

世界の見え方は、

ガラリと変わるのです。

 

ここで、

一つの言葉を紹介させてください。

 

『変えられないものと、変えられるもの』

 

という考え方です。

 

世の中には、

自分ではどうにも変えられないものがあります。

 

他人の気持ちや、

過去の出来事や、

天候などは、

いくら私たちが願っても、

変えることはできません。

 

でも、

変えられるものもある。

 

それは、

「自分自身の受け止め方」です。

 

同じ雨の日でも、

「憂鬱で最悪な一日だ」と思うこともできれば、

「たまには静かに本を読む最高のチャンスだ」と思うこともできる。

 

雨そのものは変えられませんが、

雨に対する自分の心は、

いつだって自由に変えることができるのです。

 

これは、

非常に強力な武器です。

 

誰にも奪うことのできない、

自分だけの聖域(せいいき)だと言ってもいい。

 

その聖域をどこに置くかで、

人生の豊かさは、

180度変わってきます。

 

モノに執着し、

地位や名誉に縛られ、

他人と自分を比べ続ける人生。

 

それも、

一つの生き方かもしれません。

 

でも、

もっと軽やかに、

もっと自由に、

もっと目の前の奇跡を感じながら生きる道もある。

 

どちらを選ぶのかは、

あなた次第なのです。

 

そう考えると、

なんだかワクワクしてきませんか。

 

明日、

目が覚めたとき、

世界はまったく新しく生まれ変わっています。

 

昨日までの悩みも、

今日の不安も、

新しい朝の光の前では、

ほんの小さな影でしかない。

 

だからこそ、

もっと肩の力を抜いていこう。

 

もっと、

自分を甘やかしてあげよう。

 

そして、

世界に対して、

もっと優しく開かれた心でいてほしい。

 

完璧でなくていい。

迷ってばかりでもいい。

 

転んだっていい。

そのたびに、

新しい景色が見えてくるのだから。

 

人生という名の、

果てしなく広大な旅路。

 

その途中で出会うすべての出来事は、

あなたを成長させるために、

用意された贈り物なのです。

 

そう思えた瞬間から、

あなたの毎日は、

輝き出します。

 

今日も、

どこかでプリンが待っているかもしれない。

 

誰も気づかないような、

小さな奇跡が、

あなたを待ち構えているかもしれない。

 

さあ、

準備はいいでしょうか。

 

すべてを疑うのではなく、

すべてに驚く準備をして、

 

今日も、

素晴らしい一日を、

始めに行きましょう。

 

扉を開ければ、

そこには、

見たこともないような新しい世界が、

静かにあなたを待っているはずですから。