あさのあつこさんの「野火、奔る」を読む。

 

 

 

待ってました。「弥勒シリーズ」の最新刊。

 

待ってはいるのだが、このシリーズを読むには、

結構の気力がいる。疲れる。

 

導入から結末まで、とてつもない、緊張感に包まれるからだ。

 

このシリーズは、映像で言ったら、モノクロ。

いや、闇しかない、そんな気になる。

 

尋常ではない二人の男、遠野屋と小暮信次郎。

白刃をかざして対峙するような、彼らの関係は、

そのやり取りの一言一句が、斬り合いをするかのような

不穏さをはらんでいる。

 

二人が魅かれ合うのだとしたら、

それは、温かみのある情などではなく、

黒い業のようなものなのだろう。

 

ある時期まで、父親の子飼いの刺客として、

人斬りを強いられてきた遠野屋。

その過去を知ると、彼にまとわりつく闇も、

何となく納得がいくのだが、

信次郎は、果たして、どうなのだろうか。

 

町方同心として生きてきた信次郎が、

人の人ならざる部分を面白いと感じ、

それを曝したいと思う、

その「歪み」は、一体どこからやってきたのだろう。

 

前作、「花下に舞う」でその一端が描かれたが、

それでも納得しにくい。

 

底へ底へと沈んでいきそうな思いを、

引き留めてくれるのが、岡っ引きの伊佐治だ。

 

伊佐治のあたたかさが、破滅に向かいそうな二人の関係を、

なんとか、保ってくれている。

 

ま、いずれにしろ、いつかは、この関係にも終わりがやってくるのだろうが、

それは、どんな形になるのだろうか。

 

どんな形であれ、終えんを迎えて、ほっとできるのだろうか。

 

子の最新刊では、再び、八代屋との因縁が浮上してくる。

あら、八代屋の事件って、どんなだったっけ。

慌てて、「鬼を待つ」を読み返してしまった…。