ペンキ屋を、営んでいた父親が、【飲む博打女性】
余りにも母親に生活費を渡さないので
母親に、離婚してくれと15歳の俺は相談した。
アパートにて、母親と弟と、住民票を移してしまうと、
もしも離婚しても調べてお金をタカリに来るし手をあげるし
俺が、作戦を練るから
俺が、母親と弟のめんどうをみるからって言って少し考えてもらった。
何で稼ぐかは、いくらでも有った。
とりあえず、小学三年の時から、考え出して、稼いでいた。
近所の八百屋にてリヤカー借りて、町内以外の裕福な住宅地の大型粗大ゴミ置き場で、ビクターのステレオや、赤井のデッキや、どんどん積んで、親友のオヤジさんが、土建屋していて大きな倉庫の片隅を無料で貸してくれて、ソコで、バラして原因は、ホコリ?配線の腐食?
大した事は無くてドンドン直して行き、土建屋の若い衆に頼んで質屋でお金に替えてもらったり
近所の古本屋で、手に入れた本に、配線図の理解とか、解らない事は、勉強した。
2年後の小学5年生頃は、駅前に放置していた自転車をリヤカー借りて運んで、バラして色を塗る、部品取りして組み立る。
土建屋の店先に並べて、1台3000円で、大繁盛、トータルで、
70万円売り上げ、10才のガキ
友達が中学卒業したら、一緒に土建屋をしてくれとひつこく言っていたが、全く興味無かった。
授業中も、ジャンジャン新しい稼ぎ方が、溢れていたw
通信簿なんてオール1でいいんやわって
15歳までに、考えられない額を持っていた。ダンボール箱に束で
中学の中間試験も期末試験もバイト行くから1度も受けた事が無くてオール1w
土建屋の若い衆の寮の1室借りていた。ちゃんと家賃払って
だから、母親と弟の衣食住は、存在していた💦
結局、母親は、52歳の若さで胃がんステージ4、3ヶ月で逝ってしまった。政治家が、使う様な病院の個室に母親を入院、2日に一度、花束💐を買う。母親の妹(叔母さん)も毎日来てくれて姉妹でキャッキャッしていた。でも、お母さん、俺がしてあげたかったのは、コレじゃない。
旅行や、ショッピングや、お母さんが幸せに楽しく過ごせれる日々を、90歳だろうとしてあげたかった。ゴメンねぇ🙏
40年前に、突発的に駅のホームで、過呼吸に、酸素が入ってこなくて苦しくて、今日が俺の命日やろか?って、少し思った。
未だに、あのホームには、行けないし電車もバスも予期不安に。
大好きなバイクでならば全く予期不安の存在を忘れる事が出来る。
今日は、ここまで
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