『経済で読み解く織田信長 ~「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する~ 』 | メトロポリスパート3

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読書記録メイン、たまにCDレビュー。興味のある英文記事の和訳

 

面白かった。そして、もう少し日本の歴史を勉強しないとダメだな思った。応仁の乱あたりの部分は呉座さんの『応仁の乱』を読む前に復習したい。

本書の一番の驚きは、昔々の日本は大陸から銅銭を輸入して貨幣として使っていた点。

マクロ経済学で金本位制やユーロはヤバい。なぜなら自由な金融政策が打てないから(マンデルフレミングモデルでの説明が分かり易い)、とあるが大昔の日本もそれぐらい危なっかしい経済だったようだ。

そして、銅銭の輸入や商品輸出(ぼろ儲け)の貿易利権を握っていたのが、寺社勢力だった。

寺社勢力というと仏教の布教や信仰をしていただけでなく、仏教の海外留学で作ったコネクションで貿易業、荘園経営、金融業、中央銀行のような仕事をしていた。ビジネスで得た巨万の富を使い、時の権力に献金を行うことで、幕府の財政を支えつつ自らの権力を強化するというビジネスモデルで「巨大な経済マフィア」へと成長していった。

寺社勢力の陣容は、以下の4つが挙げられていた

種々の利権を握っていた老舗、比叡山延暦寺(天台宗)
鎌倉・室町時代にかけて比叡山と勢力を争った五山(臨済宗)

新興勢力として猛威を振った本願寺(浄土真宗本願寺派)、日蓮宗

 

仏教というルーツを持つ者同士でも利害が絡むと仁義なき覇権争いをする。変わらない人類の悲しい性だ。

印象に残ったのは比叡山と本願寺の中興の祖、蓮如との寺社勢力の抗争だ。抗争と言っても一方的に蓮如がやられてしまうのだが、やり方がえげつない。


1)布教活動をしていたら邪教と言いがかりをつけて本願寺を焼き、金を巻き上げる。
2)布教の根拠地を失った蓮如は転々とした後、再度布教を始めたら僧兵が来襲(何とか撃退)

 

襲撃された同年に「報恩講」という本願寺のイベントを行い、翌年(1467年)にも堅田において「報恩講」を開催し、多くの庶民が帰依したということで、ようやく蓮如にも運が回ってきたと思ったら、

 

3)その堅田を比叡山が焼き払うという暴挙に。


危機を脱出し門徒と共に避難先に向かう船の中で、比叡山を見上げて発した蓮如の言葉が心に刺さった。「恐ろしき山かな」

そんな寺社勢力や有力者たちの活躍と経済が常にデフレ気味という構造的な欠陥のせいで、足利義持以降はとんでもないことになる。

 

チャイナの歴史を見てると身内、仲間同士で争ってて全く理解不能なのだが、江戸時代以前の日本も身内、仲間同士で裏切り、暗殺などを駆使してガンガン戦うのは何なんだろうか。

そんなアナーキーな日本を織田信長は平和な日本に変えた。狂人だが、偉大だ。

信長は群雄割拠の戦国を改めるため中央集権国家樹立を目指した。目的のため、巨大な権力寺社勢力や有力者の既得権と戦闘力を剥ぎ取る信長のマネジメントは参考になる。


関所の廃止は戦略・作戦上もジャマなので徹底的に潰したが、対立を止めたら無駄に弾圧はしなかった。


とはいえ、いつまでも坊主にデカい顔をさせておくつもりはない。試験的に実施した検地は、秀吉時代に本格化して荘園の権益も最終的には奪取に成功している。

問題の銅銭貨幣による経済はというと、倭寇で銅銭やらボロボロの鐚銭が入ってきて、やっぱり信長の時代も銅銭依存だった。
 

ただ秀吉が天正菱大判を作り、江戸時代には金銀銅の三貨制になるなど、ようやく日本にも中央銀行ができて、めでたしめでたしとなる。

それにしても信長は対立する相手には容赦がない。

 

それは三好長慶の失敗しかり、日本の歴史にしっかり学んでいるからだと思われる。秀吉がちょっと歯向かった北条氏を潰し、家康が秀頼を倒したのも歴史の教訓が解く最適解だったのだろう。

ところで、日本は近隣諸国に甘ーい対応に終始しているが、どんどんヤバイ方向に向かっている気がする。戦争を回避するリアリズムな政策の他に、信長のような超積極的政策もオプションにあるべきなのでは?とも思うこの頃である。