下の文章は2008年7月に、このブログに書いたもの。「ツキカゲノモリ」初演の1年前に書いている。
改めて読み返してみて、「田舎」「家」「廃屋」への思いは今も変わらないなぁ。
これまでの間に、お墓の問題は片付いたけど(片付いてほしくもなかったけど)、廃屋たちは今もゆっくり朽ちていっているのだろうか。
「ツキカゲノモリ」の背景には、こんな思いも流れていた。再確認。
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「廃屋」(2008/7/8)
ボクの人生には3つの廃屋が出て来る(今のところ)。
1つ目は父の実家。
ボクが物心ついたころには、父が小さい頃過ごした『母屋』は廃屋になってて、新しく建てた『ハナレ』に叔父さん一家と祖母が住んでいた。
『母屋』はホコリ臭くて、暗くてワンダーランドだった。
父の一番上の姉が小さい頃(戦前)には、『母屋』の土間に小作人さんが米俵を積み上げていたらしい。
大きな廃屋だった。
近所の子供たちは「お化け屋敷」と呼んでいたことを後から知った。
『母屋』は潰されて新しい家が建ち、今はもうない。
2つ目の廃屋は、わが実家だ。
父母が「家出」してマンションに移り住んだので、廃屋になった。
ボクの部屋は、ボクが大阪に出て来たときのままに、ホコリをかぶっていっていた。
最近、父の気まぐれで掃除して再び住めるようにしているらしいが、まだそれは見てない。
3つ目の廃屋は母の実家だ。
これまた大きな家だったが(ツマを初めて連れて帰ったとき、部屋数の多さに迷子になりかけた)、祖父は亡くなり、祖母はグループホームに移り、伯父さん一家はやはり『ハナレ』に住んでいる。
祖父が建てた家だったが、祖父一代のモノで終わるらしい。
ボクは外孫なので、なにも口出しはできない。
思い出と一緒にゆっくりと朽ちていっているのだろう。
悲しくて見に行く気にもならない。
あと、父方の祖父のお兄さんの一家は、娘さんがみんな嫁に出てしまい、最終的にお墓を見る人がいなくなる。
祖父のお兄さんは、ちょっと偉い人だったらしく、お墓がえらいでかい。
墓石も普通のの3倍くらい太い。
だけど、そう遠くない将来、誰もお参りする人がいなくなる。
廃屋みたいなものだ。まだだけど。
建物としての『家』に対するボクの不信感というのがあるのだけど、上のようなことに気がついて、そりゃそうだと合点がいった。
営みのない家に意味はないし、意味は家じゃなくて営みにあるんだと思ってしまう。
『家』がなくなるのは悲しいことだけど、営みがなくなるのはもっと悲しい。
今、ボクが住んでる部屋(賃貸)もいつかなくなる。
それまで大事にして、一生懸命営もうと思う。
だけど、密かな悩みはお墓のことだ。お墓どうしようかなぁ。
あと、脈絡上はおかしいのだけど、廃屋のホコリ臭さは実は好きだ。
なんと言うか落ち着く。
それもこれまでの体験によるものなんだろうけど。
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◼︎満月動物園 第弐拾弐夜
『ツキカゲノモリ』
2014年12月26日(金)~28日(日)
シアトリカル應典院
+++助けてと祈った神さまは、死神だった+++
★特設サイト【ご予約受付中】