party is over | ネムリノソコ

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おたいらに

『party is over』、最近読み直した「to-y」でポラロイド写真に殴り書きしてあるのがカッコよくて心にメモした言葉です。
次の満月のタイトルにしようかと思いもしたのですが、(ボクには)ちょっと気取りすぎかと思って却下。上條敦士だからカッコイイわけで、ボクは上條敦士にはなれないですし。

『赤猫ロック』からこっち走りっぱなしで、ちょっと『party is over』な気分なわけです。
ああっ…、安直!

どうやら稽古期間は仕事もはかどる仕組みになってるらしく、明日から心配。
イイときは全部良く、ワルイときは…、いや、いかんいかん心の稽古を続けるのだ! なにせ稽古期間中が一番、人生各方面充実しておりますもので。

部屋の片付き具合だけは別。稽古期間中は、キタナイ。掃除せねば。

自分では自覚があるのだけど、脚本の書き方が明らかに変わった。
憑き物が落ちた感じ。
やっぱりボクは脚本家じゃない。
演出家のボクからの発注に従って書く、という感覚がより明確になった。

あくまで自分での自覚。外から見て分かるかどうかは、たぶん問題じゃない。
問題になるのは、『それで面白い作品が上演できたのか?』 ってことだけ。

サリngROCKさんと『雨の隙間~』をやれた経験が大きい、…、と現時点の分析。
誰か、脚本書いてくれないかなぁ。まあ、色々タイミングとかもあって興行の形まで持ち込むのはカンタンじゃないんですが。
じゃあ既成台本をやれよ、という話もあるのだけど、サリngROCKさんとの仕事が楽しかったので、脚本家とディスカッションできる距離感を求めてしまうのですね。欲深い。

旗揚げ公演のセリフの中に、恋に落ちるのはタイミングが一番大きい、というようなセリフを書いたのですが、何事もタイミングは重要よねぇ。

『赤猫ロック』『これより先はない』とギュッと作って、とても充実。
昨年の『牢獄模倣』から問題意識を持ってた「モノをつくる手順」について、稽古期間は短かったけど、いや短かったからこそじっくりと考えられた。収穫。
ムダのない稽古。を実現できる地力があってこそ、「必要な」ムダも確保できる、と思います。

ヤマサキエリカさん、重田恵さん、殿村ゆたかさんに感謝。

役者さんには頭が上がりません。
役者抜きに舞台があるはずもなく、逆に言えば演出家がいなくても脚本家がいなくても、いわんや照明や音響なしでも、役者だけで舞台はできるわけですから、演技というものが全ての根幹にあるわけです。
演技とはなにかという命題に挑み続けることこそ演劇だと思ったりする訳です。
いやそろそろ(ボクなりの)答えを持つべきなんでしょうが、答えを持って検証し強化ししていくべきなんでしょうが、まだまだ挑んでいるのが楽しいので、もうしばらく。
思春期ですな。

なにせ『赤猫ロック』に『これより先はない』と、楽しかったのです。
ご来場いただいたみなさまありがとうございましたm(_ _)m
足を運んでくださるみなさまがいるから、「演技とは」なんてことを考えてられるのです。

ようし! 明日からも頑張ろう!

『party is over』

ああっ…、やっぱり気取りすぎですね。
今後は心のメモに留めよう。