えらく、郷里松山のことが懐かしい。
帰りたい(移住したい)かと言われれば、できれば勘弁願いたい。
松山の人とは基本的に合わない。というか大阪が合いすぎる。
なのになんだろう? この懐かしさは?
たぶん、この前の帰省したときの実家の雰囲気が、ボクが大阪に出る前の感じに、近ごろになく、近かったのではないかと、推論してみた。
父は老いた。母も老いた。妹は子持ちだ。ボクにもツマがいる。
なに一つとして同じで在り続けるものなどないのだと、今は知っている。
たぶん、この懐かしい雰囲気も今に雲散霧消する。
そのことを偲んでいるだけなんだろう。
記憶の風景が触れそうな気になってしまうくらいに。
そんな気持ちが人に銅像を作らせたり、あるいは神や仏や宗教なんかを生み出すんだろう。「変わらない」ものを求めている。
それに比べて舞台芸術のなんとパッと儚いことよ。「なくなる」ことは前提だ。
「あの舞台」にはもう二度と触れない。
あー、ちょっと寂しい気持ちになっているんだな、ボクは。
ボクの人生上のことですが、今は「今」の滅びの前の小休止状態だ。
こんなこと考えてる夜の結論はいつも一つで「ま、頑張るしかない」ってとこで折り合いをつけて寝る訳です。
しかし、寝付けない。眠気はすごいのに! ふぁうん。