突然、思考がフリーズすることがあります。
行動も停止します。
身の回りのすべての更新を停止してしまいます。
今回は『牢獄模倣』の後にやってきました。
フリーズ。
出し切ったのだとも、新たな膨大な課題に向き合ったのだとも、思います。
丸尾丸一郎との日々は刺激的でした。
丸尾丸クンは自身ブログで「新しい面を引き出してくれた」、と書いてくれましたが、丸尾丸クンもボクの新しい面を引き出してくれたと思います。
丸尾丸クンとの出会いは、丸尾丸クンもブログに書いてくれてましたが、應典院の演劇祭でした。
丸尾丸クンとこの劇団鹿殺しさんが最優秀。
まー、色々あって現在にいたるのですが(大雑把!)、今のところ丸尾丸クンとの間で奇跡的だと思うのは、オンタイムな問題意識がほぼ重なることです。
離れて暮らし、共通の友人も少なく、作風も大きく違い、趣味趣向も志向も違い、まわりからはなんで仲イイの? 的な目で見られますが、たまに会って話すときにオンタイムな問題意識が重なることが多いのです。
奇跡的なことだと思うので、今後も重なり続けるかどうかは分かりません。
たぶん、丸尾丸クンと一緒だから乗り越えられたことと、丸尾丸クンと一緒だから気が付いてしまった沢山の課題と、丸尾丸クンと一緒だから見つけた自分と、ないまぜになってフリーズしたんだと思います。
膨大な情報量。
あてもなく、本を読み続け、マンガを読み、ヒトの作品を観劇し、他人の価値観に沿って、自分の中に流れ込んだ情報を仕分けして、今、少し心が動き始めました。
丸尾丸クンの志向やボクの志向から考えて、たぶん、もう丸尾丸クンと一緒に作品を作る機会はないと思いますが(やりたくないということでなく)、この困惑(フリーズ)をもたらしてくれた丸尾丸一郎との作品づくりの経験から逃げずに大事にしたいと思います。
やや私信めいた話になりますが、月曜劇団の上原日呂くんから「感情移入できない」との感想をいただき、自身のブログにも感想を書いていただいた。
すまん。感情移入させないように作ったのです。あなたは正しい。
観劇に感情移入を求めるお客さんには、なんのこっちゃ分からなかったかもと思う。
悪漢小説のような芝居がずっとしたかったのです。
観てる間中、主人公の「敗北」をお客さんが望んでいるような芝居。
昔、読んだ清水一行の経済小説でそんなのつくりの悪漢小説があって、読んで楽しくもなんともなかったのに、ずっとその小説について考え続けてるボクがいて、いつかあんなのがやりたいと思っていたのです。
バラバは罰を免れました。復讐したい遺族や被害者の思いは踏みにじられました。でも、バラバは負けたと思っています。バラバが勝ち誇りながら死刑になる姿と、バラバが打ちのめされながら無罪放免される姿と、ボクは「自分の価値観」の中においてさえどっちが「正解」が分かりません。どっちもシャクにさわる。
でも、バラバが打ちのめされた姿に一瞬、溜飲が下がってしまう。なんで溜飲が下がるのか分からない。「自分の価値観」を点検せざるを得ない。
そんな構成を目指しました。
なので「感情移入ポイント」を探しながら観劇すると、最後まで乗り切れなかっただろうなぁ、と思います。ごめん。
なんてことを、上原クンにメールしようかと思ったが、なんだか改まった感じで照れくさいので、ブログに書くことにした。
終わった公演の「解説」をするのは、気恥ずかしくてほとんどやったことがなかったのだけど、乱読した中に三島由紀夫の「芝居の媚薬」というのがあって、それに自身の上演台本に関する解説が収録されていて、こういうのもアリかと、気まぐれに思ってしまったので、勢いで書いてしまった。
『牢獄模倣』の最後、牢番が鍵を開けて去ったあと、打ちのめされうなだれるバラバ。
あのときの女性的な姿態(ボクたちはビーナスポーズと読んでいた)が、観念的でバーチャルな世界に生きているバラバに唯一、肉感を与える一瞬で、バラバが現実に放り出された一瞬、あるいはバラバの世界がバラバ自身に襲いかかってきた一瞬であったろうと思います。
また丸尾丸クンの腰尻のラインがエロい!
あの一瞬は物語上の結末ではありませんでしたが、あの一瞬がより物語をグロテスクなものにし、より舞台に流れる時間を濃縮していたと思います。あの一瞬には、丸尾丸一郎と一緒だったからたどり着いたのだと思います。
『牢獄模倣』終わります。
ご来場ありがとうございました。
丸尾丸一郎は2月に劇団鹿殺しと一緒に大阪・神戸公演に帰ってきます☆
ぜひ駆けつけてあげてください☆
そして、私はというと今月も一人芝居をやっております。
魂、搾り取られます。
でも、これも傑作です☆
諏訪いつみです☆
『カーニバル』
こちらにも是非、駆けつけてください☆